第5話 相棒との出会い-Side灯屋-4



 いつもより少し早く出社すれば、既に幽雅さんが一人でデスクに向かっていた。

 まだ他の社員は来ていない。



「おはようございます」

「ああ、おはよう。早いな」

「幽雅さんほどじゃないですよ」



 前向きに幽雅さんと話そうと決意したものの、いざとなると言葉を切り出すのが難しかった。

 昨日の態度を謝罪したいが、幽雅さんの作業の手を止めさせるのも申し訳ない。

 切っ掛けが掴めないでいると、幽雅さんから声を掛けてきた。



「灯屋君。君の報告は受けているが、とても褒められたものではないぞ」

「なっ……」



 いきなりの否定的な言葉に俺は目を見開いた。



「君がボスになってからの討伐成績は優秀だし、怪我人の数は圧倒的に減っている。しかし、医療費が過去最高に増えている。それは単純にボスである君が全員分の怪我を引き受けているに過ぎないからだ」



 まさかそれをハッキリと糾弾されるとは思わなかった。

 怪我をして社員からの優しい説教はあっても、結果さえ出ていれば問題ないと考えていた。

 急に居心地の悪さを感じてしまう。



「すみません」



 俺は自分以外の誰も傷付いて欲しくないという信念でそうしている。

 今後もこのスタイルを変えるつもりは無いから謝るしかない。

 幽雅さんは首を横に振り、俺に微笑みを向ける。



「私の派遣を知らされていなかったのは君だけだ。何故なら、灯屋君ボスを助けて欲しいと幽特社員全員が本社に申請してきたのだからな」

「え」



 自分の事で精一杯だったから気付かなかったが、確かに昨日、俺以外の誰も幽雅さんの入室には驚いていなかった。

 単純に皆、この人事を知っていたからなのだ。


 言葉を尽くしても行動を改めない俺に、皆は全てを諦めているものだと思っていた。

 なのに、俺を見捨てる事なく可能な限りの行動に移していたなんて。

 幽雅さんも俺を責めるというよりも、気遣わしげに告げる。



「まったく、部下にそこまで心配を掛けるなどボス失格だぞ」

「……はい」



 幽雅さんの指摘は本当に真っ当だし、俺自身もその通りだと思う。

 俺が誰にも必要とされない役立たずのゴミクズだなんて、言われなくてもわかっている。

 黒い感情が渦巻いて、自分が惨めになるだけの言葉が溢れてしまう。



「恵まれていて苦労も知らなそうなお坊ちゃまには、俺のような一つの事も満足にできない無能の考えなんて理解できないでしょうね」



 まるで呪詛のように低く響く声だった。

 俺は自分で言ったはずの言葉に驚いてしまう。

 こんな事が言いたい訳じゃないのに、またやってしまった。

 謝罪どころか更に悪態をつくなんてどうかしている。

 何故かこの人に対しては最悪の形で距離を取ろうとしてしまうのだ。

 変な汗が背筋を伝うのを感じ、俺はいたたまれず俯いた。

 それと同時に、何故か幽雅さんの笑い声が響く。



「ふははは、確かに私は容姿にも富にも恵まれて何の苦労もしてこなかったからな。順風満帆とは私のための言葉かもしれん!!」



 まさかの肯定に動揺した俺は跳ねるように顔を上げた。

 俺に対して怒るでもなく、憐れむでもなく、ただ堂々としている幽雅さんが眩しくて無意識に顔をしかめてしまう。

 幽雅さんは更に続ける。



「灯屋君と私は違う生き物なのだから理解できないのは当然だ。しかし、これから共に過ごしてどんな人間なのか答え合わせをしていけば良いだろう。私達は相棒なのだからな」

「……え?」



 あいぼう。

 突然出た単語がまったく理解できなかった。

 最も俺と幽雅さんに似つかわしくない言葉に思える。

 考えが追い付かず石のように固まった俺に、幽雅さんは一枚の紙を眼前に掲げた。



『灯屋善助と幽雅正継は業務上、必ず二人で行動すること。パートナーとして各々得意分野を活かし、これまで以上の働きを期待している。幽雅正茂ゆうがまさしげ



 達筆な文字で書かれた内容を何度も読み直す。

 正茂は会長の名前だ。

 この筆文字も会長直筆であるとわかる。

 わかるのだが、内容を理解したくなかった。



「な……なんですか、これは」

「お爺様から預かった指令だ。当然、拒否権は無い」



 幽雅さんはニコリと整った笑みを浮かべている。

 今日話してみても、やっぱり俺はこの人が苦手だと感じた。

 だからつい首を横に振ってしまう。



「いや、えっ……俺一人で問題無いですけど」

「ほうほう」



 やんわり指令に異を唱えると、幽雅さんは席を立ち、こちらに近付いて俺の左肩に手を置いた。

 別に幽雅さんは手に力を入れている訳ではない。軽く乗せた程度だ。

 それでも完治していない負傷に響き、鋭い痛みを感じて俺は少しだけ顔を歪めた。



「こんな状態でか? 上司に嘘をつくのは良くないな」

「なんの事でしょう?」



 怪我をしても助けなど必要ないと、俺は痛みを無視して笑顔を張り付け答える。

 幽雅さんも負けじと笑みを浮かべ、何故か大きく胸を張った。



「しかし!! 私が上司である以上、灯屋君はもう二度と怪我をする事はない!! 安心したまえ!!」

「……は?」



 なんだその自信は。 

 この人は一体何をいい加減な事言っているんだと、俺は幽雅さんに疑いの目を向ける。

 幽雅さんがフフンと余裕たっぷりに鼻で笑った時、ちょうど社員の女性がフロアに入ってきた。



「おはようございまーす……って、二人で何見つめ合ってるんですか?」

「おはようございます佐久良さくらさん。全然見つめ合ってないですよ」

「そうですか?」



 俺は否定し、幽雅さんから数歩距離を取る。

 訝しみながら席に向かおうとする佐久良さんを幽雅さんが呼び止めた。



「佐久良君。すまないが、灯屋君を思いっきり引っぱたいてくれないか?」

「え……ああ! わかりました」



 わかりました、ではない。

 何故かすぐに納得した佐久良さんが俺の前に来た。

 いや、なんで俺が殴られなきゃならないんだ。

 まさか、俺の態度が悪い仕返しをここで!?

 確かに俺が悪いけども、なんで急にそんな流れになったんだ。



「ボス、いきますよ」

「え、えッ、はい!」



 軽くパニックになっている間にスピーディーに行動されてしまった俺は完全に受け入れ態勢になっていた。

 バチィンッとフロアに大きな音が響き渡る。


 確実に佐久良さんの手のひらが俺の頬を打った感触があったのに、どれだけ経っても痛みを感じる事はなかった。

 彼女がビンタのプロだったのか?

 俺がホッと息をついていると、佐久良さんが慌てたように幽雅さんに駆け寄った。



「大丈夫ですか!?」

「ああ、見事な平手打ちだったな。佐久良君には嫌な役をさせてしまった」


 

 佐久良さんは眉をハの字にして首を横に振った。

 ニコリと笑う幽雅さんの頬が赤くなってしまっている。

 幽雅さんが頬の内側を舌で探っているような動きをしているから、口の中が切れているのかもしれない。



「何が、どうなっているんですか……」



 叩かれたはずの俺でなく、何故、幽雅さんがダメージを受けているのだ。

 俺の質問に幽雅さんは得意げに笑った。



「これが私の能力。自らに呪いを掛け、対象の外傷を肩代わりする……つまり、身代わりの能力だな」

「はぁ!?」



 俺が幽雅さんを疑うから、実践して見せたという事らしい。

 幽雅さんは腫れつつある頬を気にする事なく、俺に歩み寄った。



「私も灯屋君と同じ信念を持っている。私が上にいる限り部下を絶対に傷付けさせない。これからは私が灯屋君を必ず守ると誓おう」



 そのあまりに真っ直ぐな言葉と視線に、俺はただ圧倒されていた。

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