第6話 相棒との出会い-Side灯屋-5

 


 守ると言った幽雅さんを俺はただぼんやりと眺めてしまう。

 なんの迷いも無い幽雅さんは憎たらしいくらい綺麗で、不覚にも男相手に見惚れていた。

 だが今はそんな場合ではない。

 やっとの思いで俺は正気に戻る。



「そっ、そんなの駄目に決まってるでしょう!? そんな危ない事させられません! さっさとその呪い? とやらを解いてください!」



 能力なのに呪いってどういう事だとか、色々聞きたいがそれどころではない。

 苦し紛れにそう叫んでみるが、意地の悪い顔をして幽雅さんは言った。



「解呪なんて面倒な事せずとも、灯屋君が意図的に怪我をして私を再起不能にすれば簡単ではないか」

「な……」



 なんて事を考えるんだ。

 あまりに淡々とした声で告げる幽雅さんは、自分がどうなろうと知った事ではないと言いたげだ。

 たとえ死んでも構わないと。

 その覚悟を、俺は誰よりも知っている。


 絶句している俺に対し、勝ち誇ったように幽雅さんは笑った。

 部下の気持ちを無視して勝手に一人で怪我をしていた俺に幽雅さんを責める事はできない。

 幽雅さんは俺と同じ事をしているだけなのだから。


 たとえ俺が幽雅さんに傷付いて欲しくないと言った所で、第一印象が悪過ぎた。

 なんの説得力もない。

 言葉を発する事ができない俺は歯を食いしばるしかできなかった。

 緊迫した空気を緩めるように、幽雅さんが小さく笑った。



「ふふ。君がそんな事できないとわかっているから、つい意地悪を言った。すまない」



 別に幽雅さんが謝る必要のない事だ。

 それなのに謝られてしまえば、俺がへそを曲げている訳にもいかない。

 俺もなるべく軽い感じになるよう努めた。



「……能力くらい、口で説明してくれれば良かったんですよ」

「ほほう、君は私の言葉を素直に信じたかね。あからさまに苦手意識を持っていたようだが?」

「うっ……すみませんでした」



 ぐうの音も出ない俺は謝るしかできなかった。

 だが、それだけでも随分胸が軽くなった。

 幽雅さんは、俺よりもよっぽど上司としての器がでかいと思う。

 


「ですが……」

「ん?」

「幽雅さんの能力は現場に不向きです。俺は貴方とは組めません」



 負け惜しみでも何でもなく、俺は幽雅さんに事実としてそう告げた。


 幽特の過去の死亡事故のほぼ100%が、現場にいる悪鬼の種類が調査時と違う事だった。

 視える悪鬼が限られている俺達にとって事前調査はとても大切だ。

 慎重に悪鬼の種類判別が行われるのだが、丁寧にやればやるほどもちろん時間がかかる。


 既に死亡や行方不明の被害が報告されていたり、まだ被害は出ていなくても公共施設や集合住宅など、すぐにでも大きな被害が予想される現場は事前調査すらままならない。


 そんな時。二種類の悪鬼が見える俺は、調査不足の現場は一人で向かう事を選択している。

 人命がかかっているのだからスピード重視だ。

 今すぐにでも危険に晒されるかもしれない大勢の人を早く救えるし、他の社員を巻き込む事もない。

 これが最善だと俺は思っている。



「俺は特と上の悪鬼が見えるので致命傷になりにくいんです。中と下の攻撃なら即死は無いので、見えないものは割り切って攻撃を受けてから相手の位置を把握して倒します。こんなスタイルですから幽雅さんの能力は俺との相性が最悪なんですよ」



 幽雅さんは俺の言葉を聞いて、眉をひそめる。

 俺は更に畳みかけた。



「身代わりなんて、どれだけつのかわからない不確かな盾は邪魔なだけです。わかったらさっさと解呪してください。大怪我する前に会長におねだりでもして他の仕事に回してもらったらどうですか?」



 ああ、また嫌な言い方をしてしまった。

 しかし今はその方が良い。

 突き放す俺の言葉に、いつの間にかフロアに増えた社員が声をあげた。



「よっ、ボスのツンデレ!」

「ほ~、なるほどなぁ。これがツンデレというものか」



 幽雅さんは珍しいものでも見たような顔になる。

 話に集中している間にフロアにいる社員が十人近くになっていた。

 俺はツンデレではない。

 お願いだから全員で微笑みを浮かべて温かい空気を出すのはやめてくれませんかね。 



「俺、邪魔だってハッキリ言いましたよね!?」

「あはは、本当に邪魔なら何も言わず現場で見捨てるのが手っ取り早いじゃないですか~!」



 通りすがりの男性社員が笑いながら言った。

 だから何で皆そういう鬼畜な事ばかり考えるんだ。

 人が増えた場所でこれ以上幽雅さんと会話を続けるのは無理だ。

 空気を変えようと俺はフロア全体に呼びかけた。



「すみませんが誰か、幽雅さんの頬を冷やした方が良いと思うので救護室への案内をお願いしても……」

「救護室を一番使ってるのボスなんですから、ボスが誰より詳しいですよ」

「……ハイ。その通りです」



 あっさりと社員に論破された俺は何も言えなかった。

 事務の皆さんは既にパソコンに向かって各々の業務に取り掛かっている。

 彼らは超常現象をどうにかそれっぽい現実的な事件として処理してくれる、とても重要な存在だ。

 この縁の下の力持ちがいるからこそ俺達は現場で力を振るえるのだ。


 現場に向かう人間は、突発の悪鬼に対応できるように社内での急ぎの業務が無い。

 俺が現状一番暇なのだから、諦めて幽雅さんを救護室へ案内する事にした。



 ◇◇◇



 救護室には誰もおらず、暗い室内でも俺は点灯スイッチに迷う事なく触れる。

 常時待機している看護師はいないものの、近くの病院と契約しているので看護師が必要な場合呼び出しブザーを押せばすぐに駆けつけてくれる。

 今は必要ないので幽雅さんをソファに座らせた後、俺は冷凍庫の中から保冷剤を出してタオルに包んで渡した。



「ありがとう」

「いいえ。そう思うなら早く呪いを解いてくれませんか」



 俺が動く事で、どこかに体をぶつけたりしないか気になってしまう。

 仕方ないので壁に背を預けて立つ事を選んだ。

 ただ歩くにしろ扉を開けるにしろ、俺の不注意でこの人が痛い思いをするかもしれないのは怖過ぎる。

 人のために自分の心配をしなければいけないなんて、とんでもなくやりにくい。

 想像以上に面倒な呪いだ。


 しかし、ふと思った。

 俺にとっては恐ろしいが、自分が最も大切な人間にとっては身代わりになる存在なんて喉から手が出るほど欲しいのではないか。

 ゾッと背筋が寒くなった。


 こんな能力、誰にも知られない方が良いに決まっている。

 会長に孫は沢山いるが、正継なんて人は初めて知った。

 幽特とそこそこ長い付き合いの俺からすれば、いなかったはずの人間が突然現れた気分だ。

 もしかすると、本当にこの能力が原因で今まで隠されていた存在なのかもしれない。

 そんな考えがよぎった時、幽雅さんは静かに言った。



「別に解呪方法くらい教えても構わないよ。どうせ知った所で君には解けないからな」

「……舐めてるんですか」



 挑発的にこちらを見上げる幽雅さんを俺は睨んだ。

 まだ俺達のバトルは終わっていなかったようだ。



「舐める、か……ふふ、舐めるに近いかもしれないな」

「はぁ?」



 俺が怪訝な顔をすると、幽雅さんが保冷剤を置いてこちらに近付いた。

 幽雅さんは俺を囲うように壁に手をつき、想像よりも顔と顔の距離が近くなる。

 驚いたが、後ずさるにしても壁を背にしている時点でどうしようもなかった。

 このまま顔が触れてしまうのではないかと焦ったが、幽雅さんは俺の耳元で囁いた。



「解呪方法は私とキスする事だ」

「……え……?」



 必死に理解しようとするが、上手く頭が回らなかった。

 なんでキス?



「もちろん、ちゃんと舌を絡める大人のキスでなければ効果は無いから留意するように」



 とんでもない補足に俺が目を見開いていると、幽雅さんはニヤリと歯を見せて子供っぽい笑みを浮かべた。



「君は随分私が気に食わないようだからな。嫌いな相手とは絶対にしたくないだろう? 方法は簡単だが実行できないなんて、灯屋君はさぞかし悔しいんじゃないかと思ってな! ふはははは!! 勝ったな!!」



 そう高らかに笑い、俺から離れた幽雅さんは保冷剤を持って救護室から出て行った。

 勝ったな、って子供か。

 あまりの幼稚さに気が抜けてしまう。

 幽雅さんの足音も気配も無くなったのを察して、俺はズルズルと壁を伝ってしゃがみ込んだ。

 力無く項垂れ、胸いっぱいに空気を吸込み大きな息を吐く。



「はぁ~~~~~~~~……ありえねぇだろ……」



 確かに幽雅さんの言っている事は正しい。

 簡単そうに見えて嫌な解呪法だ。

 そこは認めるからどうぞ勝ってくれ。


 俺は男に興味は無い。

 上司としてなら、まあどうにか幽雅さんを認められそうだが、苦手なタイプなのは変わらない。


 だから、絶対にキスなんてしたくない、無理だと叫べば良かった。

 たとえ幽雅さんの思う壺だったとしても、ごめんなさいと敗北宣言すべきだった。

 それなのにだ。



 ────俺は、幽雅さんとなら“できる”と思ってしまった。



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