第44話 前世と今世と藤の花


 コノハとしての楽しい時は終わりを告げ、彼は帝となった。

 そして彼の希望により別れから1年後、小夜は12歳の時に帝の許嫁となる。


 婚約したことで、やっと狐の面を外して会えた小夜は能面のような顔をしていた。

 以前の小夜を知っている彼にとって、小夜がこの婚約を拒絶しているように見えたが、他の女性などとは考えられなかった。


 それでも、帝として初めて顔を合わせた時は、話をすれば笑みを浮かべてくれた。

 その後に小夜と会えたのは、死ぬ間際を入れてたったの4度。会えない間もふみでのやり取りはしていたものの、帝である彼に心を開くことはなかった。


 自身がコノハであると打ち明けようと思ったこともある。

 だが、以前のように笑ってくれなかったら、拒絶されたら……と考えると恐ろしくなり言えなくなった。



 会うたびに更に乏しくなる表情に、姫として美しいとされる作られた笑み。

 顔色も悪く、呪いのせいだと知ってからは陰陽師を小夜の側につけ、暗殺者から守るために影の者もつけた。


 だが、小夜は強大な呪いにむしばまれ、駆けつけた時には陰陽師の力を持ってもどうにもならなくなっていた。


 それだけではない。小夜は呪いにより輪廻りんねから外されてしまい、もう生まれ変わることができない程に魂が激しく蝕まれていた。



「もう、助からぬ」

「……そ…………ですか……」



 小さな声で返した小夜は微笑んだ。久々に見た作り物ではない笑みに彼はきつく瞳を閉じる。

 彼女の笑みは解放への喜びなのか、安心させるためのものなのか。



「ご迷惑……を…………」



 その続きを言わせないよう、遮るかのように彼女のひたいに彼は2本の指を置く。そして、代々の帝が持ち得る不思議な力を吹き込んだ。



「守れず、すまなかった。許してくれとは言わぬ。恨んでくれ」

「貴方様はいつもわれを守ってくださいました」


「いや、不幸にした。守れないなら手を伸ばすべきではなかった」

「いいえ、われは不幸などではありませんでした。貴方様の許嫁になれて幸せでした」



 そう言い残して小夜は死んだ。


 彼女は自由を愛していたし、帝を愛していたわけではない。

 だが、これから死ぬ自分のことで帝が少しでも自身を責めないようにと願った。優しい嘘だった。


 そして、それは彼の中に深く深く奥に閉じ込めていた気持ちを呼び覚ましてしまった。



 (嘘だと分かっている。本心ではないと……。だが、それでも……)



 帝はしばらく無言でこの世を去った小夜を見詰めていた。



「小夜……。小夜の魂を輪廻から外されたのを戻すだけのつもりだったが、すまない。

 ……手離せぬ」



 仄暗ほのぐらさを瞳に宿して彼女の冷たくなった左手を手に取り、彼は小夜の左の薬指の爪先に唇を落とした。

 そして、己の持つ全ての力を注ぎ込み、小夜の爪に菊の紋様もんようが浮かび上がるのを眺めた後、彼は満足げに笑った。


 全身全霊で込めたものは、小夜を自分に縛り付けておくための縁を強制的に結ぶ力であった。





 その結ばれた鎖のような縁を愛しげに見て小さく笑う。


「いつからなんて愚問だな。生まれるずっと前からに決まっている」


 リリアンヌからの質問にあまり前のようにルイスは答える。


 (イザベル。今度こそ、小夜の時の分まで幸せになろう。前世のようには絶対にさせない。そのためなら、何でもする。イザベル以外がどうなっても構うものか。

 イザベルが望むことならば、何でも叶えよう。この世のすべてをあなたに──)


 

 藤の花の匂いがふわりと香ったような気がして、イザベルとルイスは窓へと視線を移したのであった。

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