第6話 ミーア、お小遣いに心踊らせる


 そして、記憶を頼りに部屋においてあったベルで専属メイドを呼んだ。

 そのベルの音にミーアの表情が一瞬で抜け落ちたことも知らずに。



「イザベル様、お呼びでしょうか」


 美しい角度で頭を下げる彼女の所作にイザベルは内心で感嘆の声をあげた。


「急いでお兄様にこの手紙を出して欲しいの。

 それと、これを作れる人を探してくれる?予備も含めて五つ程お願いしたいのだけれど。頼めるかしら?」

「畏まりました」


 イザベルの話し方が丁寧で威圧的ではないことにミーアは内心、首を捻った。それでも、表情には微塵も出さない。


 イザベルは少しのことで怒鳴り散らし、機嫌が悪い時には扇で叩くのが日常なのだ。


 余計なことを言って機嫌を損ねることがないよう、ミーアはいつでも細心の注意を払っている。『余計なことは言わない、話しかけない、求められた答えを瞬時に弾き出して答える』これが鉄則だ。


 けれど、今は医師を呼んだことを伝えなければならない。

 医者嫌いなイザベルは今、何故か扇で口許を隠している。つまり、手に武器を持っている状況だ。


(扇で叩かれるのでしょうね。上手くタイミングを合わせて倒れて、衝撃を緩和しましょう。

 顔に傷ができる程度にかわさないと長引くかもしれないわね)


 心のなかでどうすれば自身の被害が最小限になるのかを瞬時に導き出し、ミーアは抑揚の少ない声でイザベルへと告げる。


「お医者様が間もなくお見えになります」

「そう、分かったわ。ありがとう」


 言い終えてすぐに身構えたミーアであったが、予想した衝撃はない。それどころか礼を言いながら、イザベルが微笑んでいる。


(……幻覚?)


 自身の見たものが信じられず、ミーアは呆然とイザベルを見詰めた。


「ミーア?」


 不思議そうな視線をこちらに向けるイザベルにミーアは動揺した。


(何故? 今までは蔑むような視線を向けられてきたのに、何故それがないの? 何を企んでるのかしら……)


「いえ。イザベル様が五日も目を覚まされなかったので……その……」


 ここはいつもなら「何でもない」と言って謝るところだ。

 それなのに、聞かれてもいないを言ってしまったことで更に動揺していく。


「公爵ご夫妻も皇太子殿下もたいそう心配していらっしゃいました。

 殿下は政務と学園生活と忙しいなか毎日イザベル様のもとへといらっしゃっております。本日もイザベル様の好きな深紅の薔薇を持っていらっしゃいまして……」


 焦れば焦るほど言葉が飛び出していく。

 イザベルは穏やかな視線をミーアに向けたまま、静かに聞いていた。


「そうなのね。心配をかけて申し訳なかったわ。ミーアもありがとう」

「いっ、いえ! 私こそ病み上がりのイザベル様にベラベラと話しかけてしまい申し訳ありませんでした。

 あの、お手紙が急ぎとのことなので、至急、街まで出しに行ってきてもよろしいでしょうか?」

「街まで? 屋敷にも配達員は来るのでしょう?」

「はい。ですが、本日の配達は既に終わっているため、次回は明日になります。

 今ならまだ、ユナイ様がご留学されておりますケルディオ王国までの明日発の郵便が間に合うかと……」


(なるほど。確かに早い方が良い。じゃが、ミーアの負担をかけてまで急ぐべきか……)


 うむむ、と表情に出さないように気を付けながら悩んでいれば、ミーアは再び口を開く。


「ケルディオ王国への郵便の発送は五日に一度です。今ならまだ明日に間に合いますが、いかがされますか?」


(お給金が良いから今まで色々と我慢してきたわ。今のイザベル様が例え弱っていて一時的だとしても、暴力を振るわないならばお給金に見合うように別の部分で働くべきね)


 ミーアの信条は、お給金の分は働く(お給金以上の働きはしない)だ。

 だからイザベルの専属メイドを三年も勤められたのだろう。ミーアが専属になるまでは日替わりの押し付け合いであった。


「それじゃあ、悪いけれどお願いするわ。ついでに何か美味しいものでも食べてきて」


 そう言って渡されたお小遣いは少なくない。そのことに、ミーアは感動した。


(お給金に加えて、お小遣いまでくれるなんて! 今日は最高の日だわ!)


 ミーアは、ついさっきまで無表情で給金が良いからと淡々と働いていたことなどすっかり忘れて上機嫌になった。


「それでは行って参ります。あわせてこちらの絵のものを作る職人も声をかけておきますね」

「ありがとう。気をつけていってきてね」


 ミーアはイザベルに見送られて部屋を出た。


「それにしても、何で急に別人みたいになったのかしら。私としてはこっちの方が助かるからいいんだけど……」


(お給金はいいし、イザベル様は何でか急に大人しくなったし、ラッキー!

 まぁ、そのいい人もいつまで続くのかは分からないけどね)


 イザベルの部屋から笑顔で出てきたミーアを他の使用人たちは「遂にストレスで頭がおかしくなってしまった」と思ったのだが、自分達がイザベルに関わるなんて真っ平御免まっぴらごめんなので、誰も彼女に声をかけることはなかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る