第46話 最初に出会った時から
建物の三階――それなりの高さがある。
高低差から考えても、今のエレインでギリギリいけるかどうか、といったところか。
フォレンの目は本気で、下手に動けばルーネの喉元を切る覚悟があるようだった。
「要求は?」
エレインはこの状況においても冷静に受け答えする。
「は、ははっ、要求? そうだな――」
「エレイン様っ!」
フォレンの言葉を遮ったのはルーネだ。
彼女は目に涙を溜めて、迷うことなく言い放つ。
「私のことは気にしないでくださいっ」
「おい、何を勝手に……」
「ルーネ、心配しなくていい。君は必ず助ける」
「そんな怪我まで負って……どうして……」
「理由なんて一つしかないだろう」
「俺を無視するんじゃないっ!」
フォレンはルーネの髪を掴むと、乱暴に後ろに下げた。
それを見て、エレインの表情は一層鋭くなる。
「おい、何をしている?」
「状況が分かっているのか……!? 俺に逆らえばこいつの命はないんだぞ!」
「別に慌てる必要はない。要求を言ってみろ」
「はっ、だったら……そこに落ちてるナイフで自分の腹を刺してみろ」
フォレンは何気なく目に入ったナイフを見て、言った。
「な、なんてことを……!」
「おっと、暴れるなよ……。仮にあいつができないようなら、そうだな。お前の首元を少し切って脅してやる。それで――は?」
目の前の状況を見て、フォレンはただただ驚くしかなかった。
エレインは、何の迷いもなく自身の腹部にナイフを突き刺したのだから。
「エレイン様ッ!」
ルーネが声を荒げる。
エレインは腹部にナイフを刺した状態のままに、フォレンに問いかけた。
「それで、次は?」
「な、何なんだ、お前……おかしいだろ。そんな迷わず、どうして自分の腹を刺せる……!? どうしてそんなことができるんだ!?」
「どうして? 分かり切ったことを聞くな」
エレインは、真っすぐルーネを見据えた。
「惚れた女のために命を懸けるくらいする。ルーネ、私は君のためなら死んだって構わない」
「……っ」
この状況で、エレインはルーネに告白した。
彼女に惚れていて、そのために死ぬことができるのだと。
行動がそれを示していて、ルーネは言葉を詰まらせて、答えることができなかった。
そんな状況を見て、フォレンは思わず大きな声で笑う。
「はははははははっ! 惚れた女のために、死ねるだと? なら、ちょうどいい。そのナイフで自分の首を切って死んでみろ! そうすれば、この女は解放してやるさ!」
フォレンの言うことは嘘だ――エレインには分かる。
だが、行動に迷いはない。
腹部のナイフを抜いて、エレインは自らの首にナイフをあてがう。
ルーネが叫び、フォレンは笑う。
わずかに皮膚を切ったところで、フォレンの体勢が崩れた。
「な……!?」
アネッタが後ろから、フォレンに向かって体当たりを食らわせたのだ。
ルーネが離れ、バランスを崩したフォレンとアネッタが倒れる形となり、
「こ、の……小娘が!」
「アネッタ!」
フォレンが怒りに任せて、剣を振り上げる――だが、その剣が振り下ろされることはない。
アネッタが体当たりをする瞬間には、エレインはすでに動き出していた。
駆け上がるように壁を走り、姿を見せたエレインは、そのままフォレンの剣を握っていた腕を斬り飛ばす。
「ぐ、ぎゃああああああ!」
悲鳴を上げて、フォレンが腕を抑えて暴れまわる。
エレインも、最後の力を振り絞った。
その場に膝を突くが、まだ倒れない。
剣を支えにして、エレインは再び立ち上がろうとする。
だが、それを止めたのはルーネだった。
「ルーネ?」
「……後は、私が」
「しかし――」
「エレイン様、私にやらせてください」
ルーネは覚悟を決めた表情だった。
彼女を縛る鎖を切ると、エレインは自らの剣を彼女に渡す。
剣を握ったルーネがフォレンの前に立つと、彼は怯えた表情で、
「ま、待て……待ってくれ! 何でも言うことを聞く。だから……」
「ふっ」
一呼吸。
ルーネが放った一撃は、肩から脇腹に向けて。
フォレンはバッサリと斬り伏せられて、最後まで命乞いをすることすら叶わなかった。
「私の大切な人を……二人も傷つけた。あなたを許すことは、できません」
見届けて、エレインはそのまま壁に寄りかかるように座る。
すぐに、ルーネが駆けつけた。
「エレイン様……! すぐに止血を……!」
「私より、アネッタを自由にしてやれ」
「何を言っているんですか! この怪我で! アネッタ、少しだけ待っていて!」
「わ、わたしは大丈夫ですから」
見たところ、ルーネとアネッタは二人とも怪我をしている様子はなかった。
なら、少なくとも慌てる必要はないだろう。
エレインの方は――受けた傷があまりに大きい。
「ルーネ、君が無事でよかった」
「……ごめんなさい、私が、私のせい、で……」
「違う。あの男――グレスは私を狙っていた。ああ、そうだ。なら、お互いに迷惑をかけた、ということにしよう。それで、君は納得してくれるか?」
「……できません」
「ふっ、君らしいな。だが、私はそうしてほしい。ルーネ、君に伝えたいことがあるんだ。まあ、すでに言ってしまったが……改めて」
エレインはルーネの頬に手を触れて、
「君のことが好きなんだ。最初に出会った時から、ずっと」
ルーネはエレインの手に触れて、強く握り返す。
「……どういう感情で、受け取ったらいいのか、今は分からないです」
「いいさ。私が勝手に思っていること――」
「そうじゃなくて! ちゃんと、治ってから伝えてください……。お願いですから」
「……そうか。なら、一先ずは治してから、だな」
エレインはそう答えると、静かに目を瞑る。
ルーネとアネッタが呼びかける声も、徐々に遠く感じるようになっていた。
今度こそ限界だ――やがて、エレインは意識を手放した。
二千五百のうち、逃げ出したのは数百名。
少なくとも二千を超える兵士をエレインは単独で打ち倒し、反乱を企てたフォレン・アヴェルタを討ち取った英雄として知られるようになる。
だが、その容赦のない惨状――一人で殺したとは到底思えないほどの、敵の数。
エレイン・オーシアンは王国内ではさらなる畏怖の対象として知られるようになったが――その日以来、王国で彼女の姿を見た者はいないという。
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