第25話 流しているだけ
声を聞いて、ピタリとエレインは動きを止めた。
それはエレインが強敵を相手にする時と同じく、完璧とまでされる気配殺し――思わず、ルーネが振り返って確認するほどだ。
「エ、エレイン様……?」
「――いや、すまない。私の触り方がまずかったか?」
「い、いえ、その……昔から、人に触られるのは慣れていなくて……」
「そうか」
エレインは静かに頷いた。
内心では焦っているが、幸いにも表情には出ることはない。
王族であったというのだから、使用人に身体くらい洗わせるのかと軽く考えていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。
この場合、優しくしすぎるのもよくはないのだろう。
ルーネが前を再び向いたので、エレインは再チャレンジする。
「ん……っ、ふ、あっ」
「……」
「ふぅ、ふっ、んっ」
「……」
「あっ、やっ……」
――背中を流しているだけのはずだが、一体これはどういうことなのだろうか。
よほどルーネは背中が弱いらしいが、せっかくエレインが流すと言ったのだから、という気持ちで耐えているらしい。
だが、ここまで艶めかしい声を漏らされてはさすがのエレインも気が気でなくなってしまう。
何か間違って、不意に手を出してしまうことだってあり得る。
「……洗い終わったから、後は各々で、な」
「は、はい……ありがとう、ございます」
少し涙目で、頬を赤く染めたルーネがちらりと振り返って、感謝の言葉を口にする。
何度でも言うが、これは背中を流しただけでそれ以上のことはしていない。
だが、仮に誰かに見られていたとしたら――どう見たって、エレインがルーネに手を出したとしか思われないだろう。
(……風呂に入るだけでこれほど神経を使うとは)
普段の仕事よりも、ひょっとしたら疲労しているかもしれない――そんな風に、エレインは感じていた。
もちろん、精神的な意味でエレインが勝手に疲れているだけで、気にしなければどうということはないものだ。
むしろ、エレイン自身ここまで自分が繊細だったのかと、驚きと発見があった。
身体を洗い終えたエレインは先に湯舟へと浸かる。
エレインは同世代の女性に比べれば身長も高いが、大柄というわけではない。
小柄なルーネが入る分には十分なスペースが湯舟にはある――が、改めて湯舟で落ち着いてから、彼女と一緒に入るのはさすがにまずいのでは、と考え直した。
何せ、背中を流すのだけでも一苦労だったのだ。
(元々、汚れを洗い流せればよかったのだしな)
湯舟に関しては、ルーネのために用意したと言っても過言ではない。
エレインは思い立って、すぐに湯舟から出ようとするが、
「し、失礼します」
またしても、ルーネに先制されてしまった。
否、この場合は完全にエレインの失策だったと言ってもいい。
一緒にお風呂に入ると約束しているのだから、ルーネは当然――湯舟にだって入ってくる。
そのまま、どういう風に落ち着くのかと思えば、ルーネは小さな身体をエレインに預けるようにして前に座ったのだった。
「えっと、こんな感じでよかった、でしょうか?」
「……ああ」
エレインは否定もせずに、小さな声で答える。
向かい合うのではなく、密着するような形での入浴――エレインからしても、ほとんど経験のないものであった。
これが別に意識をしていない相手であれば、エレインだって何も思わない。
だが、ルーネは別なのだ。
(……この状況は、やはりまずいな)
ルーネが向かい合っていないのは、むしろ幸いだったと言えるだろう。
エレインは様々な感情の入り混じった、そこらの魔物であれば逃げ出してしまうような険しい表情を浮かべていたからだ。
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