第21話 無意味だった

 ファルフの湖――そこには精霊がいる、という言い伝えがある。

 湖の精霊が、森を豊かにするために作ったのだ、と。

 霧に包まれた湖はどこか幻想的だが、ここだけ少し霧が薄い――人の気配がしたのはこの辺りで、エレインには確証があった。


「霧が薄いのは、自分の視界を確保するためだ。霧を作るだけで、相手の居場所を把握できていない――

「――二流だぁ?」


 エレインの言葉に反応して、湖から一人の男が姿を現す。

 濡れた髪を両手で後ろに流し、目つきの悪い男が水を滴らせながら、エレインの前に立った。

 随分と柄が悪く、この辺りで見ない様相をしている。

 おそらく、殺し屋を生業としているのだろう。


「随分と好き勝手言ってくれるじゃねーの」

「一つ問う、何故ルーネを狙う?」

「はっ、馬鹿言ってんなよ。答えると思うのか?」

「いや、答えてくれるのなら助かるってだけだ。お前は斬ると決めているのでな……今回は問答なしだ」

「強気だねぇ。まあ、こっちは殺すのはお前だけのつもりだがな」

「? どういうことだ。ルーネを狙っているのではないのか?」

「おっと、口を滑らしちまったな。まあ、これから殺すから関係ねえか」

「……ふっ」

「あん、何を笑ってやがる?」


 男の表情が、途端に険しくなった。

 だが、エレインは意に介さずに答える。


「いや、私の前に姿を現すとは、二流どころか三流だと思ってな」

「……やれやれ、『血濡れの剣聖』だか知らねえが、随分と調子に乗った女だ。周りの奴らがビビってるから、勘違いしてるらしいな」

「勘違い? 何をだ」

「実力以上に自分が強いと思い込んでやがる。そこに――隙ができるとも知らずになぁ!」


 男はそう言って、エレインに真正面から飛び掛かった。

 腰から剣を抜き放ち、エレインと斬り合うつもりらしい――が、エレインは男に背を向けると、そのまま後方に向かって剣を振るった。


「……がっ!?」


 すると、エレインの正面にいたはずの男が血を吐いて、姿が消えていく。

 逆に、何もなかったはずの場所から血飛沫が吹き出して、男が姿を現した。


「霧の魔法は視覚も誤魔化す。だが、無意味だったな」

「な、何故、分かった……?」

「だから三流だと言っている。私が気配を察知してここまで来たんだ。その時点で、視界が使えなくてもお前を斬ることくらいできると把握しておくべきだったな」

「……こ、の――」


 スパンッ、と小気味よい音と共に、男の首が刎ね飛ばされ、湖へと沈んでいく。

 赤色に染まっていくが、やがてそれも戻っていくだろう。

 男を斬った瞬間から、徐々に霧も晴れていった。


「あまつさえ、私の挑発にも乗ったお前は敵じゃない。それに、時間をかけるつもりもないんでな」


 エレインはそう言うと、すぐにルーネがいる場所へと駆ける。

 時間にしてほんの数分程度――ルーネの実力ならば、ここまで紛れ込んだ強敵と言える魔物とも渡り合える可能性はある。

 ただし、霧という視界が確保できない状況では厳しいだろう。

 彼女の意を汲んで傍を離れたが、エレインは気が気でなかった。

 無事でいてくれたらいい――すぐに、彼女の気配を感じた。


「あ、エレイ――」


 エレインは、ルーネの姿を見るや否や、彼女を強く抱きしめた。


「……待たせてしまった。怪我はないか?」

「だ、大丈夫です。それより、エレイン様……血が」

「っ!」


 指摘されて、エレインは慌ててルーネとの距離を取る。

 自身が返り血塗れであることを忘れ、彼女に抱き着いてしまった。

 せっかく、そこまで汚れていなかった服が、しっかりとエレインに付着していた血で汚れてしまう。


「……すまない」

「そ、それよりも怪我はされておりませんか!?」

「心配ない。ただの返り血だ。霧を作っていた奴は始末した」

「! まだここを離れてほんの少ししか時間が経っていないのに……エレイン様は本当にお強いんですね」

「たいしたことはない。君こそ、魔物に襲われなかったか?」

「それが、エレイン様が離れたらピタリと魔物が来なくなってしまって……」


 魔物がエレインだけを狙うなんて、普通ならあり得ない。

 だが、まるで対象を絞ったような動きをする術は知っている。


「――もう一人いるな」

「え、まさか、まだ敵が……!?」

「ああ、どうやら敵は、君を生け捕りにしたいらしい」

「……!? わ、私を狙って……?」


 やはりルーネとは一度、話をした方がよさそうだ。

 まずはもう一人の敵を討つ――こっちの方が、早く終わりそうだった。

 エレインはすぐ近くに隠れている人影に距離を詰め、首元に剣をあてがう。


「動くな」

「ひ、ひぃ!? い、命だけは……お、お助けを……! ボ、ボクは、ただ命令された、だけで……!」


 そこにいたのは、怯えた表情を浮かべた――子供だった。

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