第3話 ベッドに呼ぶということは

 エレインは家を持たず、宿を転々とした生活をしていた。

 特に、エレインのような冒険者は依頼で家にいないことも多いために、宿の方が何かと便利だからだ。

 宿の主人は、戻ってきたエレインを見て驚いた表情をしていた。

 何故なら、エレインの後ろには先ほどまではいなかったはずの奴隷の少女がいたからだ。


「あの……失礼ですが、そちらは?」

「ああ、先ほど私が買った」

「へ、奴隷をですかい?」

「問題があるか?」

「い、いやいや、そんなことはございませんよ。ただ――」

「分かっている。宿代は二人分だろう」


 宿の主人は精一杯の愛想笑いを浮かべていた。

 別に、そんなことをしなくてもエレインが宿で暴れるようなことはないが――やはり、噂というものはどうにもついてくるものだ。

 何度か利用したことのある宿であるために、少しずつ慣れ始めてはいるようだが、やはりまだエレインのことが少し怖いらしい。

 エレイン自身、笑顔どころか表情をほとんど表に出さない。

 あまり起伏のない話し方をするが故に、怒っているのかどうかも判断が難しいのだ。

 だが、エレインはおそらく冒険者の中でもかなり温厚な性格をしている。

 それを知っている者が少ないだけだ。

 早々に支払いを済ませると、エレインはルーネを連れて自身の宿泊している部屋へと向かう。二階の角部屋で、今は隣には誰も宿泊していなかったから、静かで気に入っていた。

 エレインは部屋に戻ってすぐに椅子に腰かけると、


「まあ、好きなところで休んでくれ」


 そう、ルーネに向かって言った。


「え、好きなところ……ですか?」


 ルーネはというと、少し困惑したような表情を見せた。

 ここは一人部屋で、ベッドは多少大きいが――椅子は一つしかない。

 椅子はすでにエレインが使っていて、残りの休める場所と言えばベッドくらいのものだった。

 ルーネは扉から少し離れた床へと座る。


「……」

「……」

「……いや、ベッドで休んだ方がよくないか?」

「えっ、そ、それはできません」

「何故?」

「何故って……わ、私は?」


 ルーネは言葉を少し詰まらせながらも、はっきりと言った。

 奴隷だから――ベッドを使うことはできない。

 エレインはそこで、ようやく彼女の意図を掴んだ。

 椅子はエレインが使っていて、ベッドしか空いていない。

 いや、そもそも椅子が空いていたとしても、奴隷と言う立場ではあまり勝手にできない、ということか。

 元は王族だからか、あるいは彼女の性格なのか、随分と生真面目なのだとエレインは考えた。

 下手のことをすれば、奴隷というのはひどい扱いを受けるものとでも教えられているのかもしれないが。


(私も指示をするのは得意ではないのだが……)


 明らかに奴隷を買うことに向いていないのに、買ってしまった以上は責任がある。

 エレインは椅子から立ち上がると、ベッドの方へと移動して座った。


「……私の隣に座れ」

「は、はい」


 ルーネはすぐに、指示した通りエレインの隣に座った――かと思えば、やはりベッドではなく床に座り込んだ。


「そっちじゃない」

「……え?」

「ベッドの上だ、座れ」

「……っ、は、はい」


 ルーネは何かそわそわとした様子のまま、ようやくエレインの隣に座る。

 ここまで、いくつか指示を出す必要があった――エレインは考え込む。


(自由にしていい、と命令すればいいのだろうか。それとも、首輪自体を外してしまうか……)


 買ったばかりの奴隷の首輪を外す――そんなことを考えるのは、おそらくエレインくらいのものだろう。

 仮にそれでルーネが逃げ出しても、エレインは『彼女がそうするなら』と納得する。

 彼女がほしいと思ったのは事実だが、無理やり何かをするつもりはないからだ。


「……あ、あの……っ」


 ふと、神妙な面持ちでルーネが口を開いた。頬は紅潮していて、先ほどから本当に落ち着かない様子だ。


「……どうした?」

「い、いえ、その……わ、私……初めて、で」

「? 何が、だ」

「っ、あ、の……ベッドに呼ばれたら、『する』って、聞きました、ので」

「……?」


 エレインはルーネの言葉の意味がすぐに理解できなかった。

『ベッドに呼ばれたらする』――まさか。


「……昼寝がしたいのか?」

「……へ? あっ、あれ……? いえ、そうではなく……っ」


 ますます、ルーネの顔が赤くなっていく。

 もしかして何かの病気ではないか――エレインは心配になり、ルーネをベッドに横たわらせた。


「ひあっ」

「少し落ち着け。顔が赤いぞ」

「あ、あんまり、見ないでください……っ」

「なんだ、顔を見られるのが恥ずかしいのか?」

「そ、そうではなく……いえ、今は恥ずかしい、のですけれど……」

「言いたいことがあるならはっきり言ってくれ。私も言われないと分からないことはある」

「う、うぅ……ベ、ベッドに呼ばれたら……え、をするのだと、教えられました」

「……?」


 ルーネは顔を隠したまま、はっきりと言葉にした――にもかかわらず、エレインはまた頭の中で処理が追い付いていなかった。

 だが、理解できた瞬間に、動きを止める。

 つまり、エレインは今――ルーネを『えっちなこと』をするために誘った、ということになっているわけだ。


(……私はとんでもないことをしているのでは?)


 ――おそらく、エレインが生きてきた中で最も焦りの表情を見せた瞬間であった。

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