第20話 意地と矜持と

 馬車が学園の門の前に到着する。


 「お気をつけて、いってらっしゃいませ」


 御者の決まり文句を背に受けて、ルナリアは学園の門をくぐった。

 視線だけで周囲を探るが、リーリエ・ソルアは見当たらない。

 登校している生徒もまばらだ。


 早めに来るという目標は、達成されましたわね。


 下駄箱で、同じクラスの女生徒と視線があった。

 女生徒はルナリアに頭を下げる。


 「ごきげんよう、本日も良い天気ですね」

 「ごきげんよう、ルナリア様。晴れ続きで快く過ごせそうでなによりでございます」

 「よろしければ教室までお話いたしませんか」

 「はっはい、お供させていただきます!」


 学友に驚かれたことに、ルナリアは驚いた。

 しかし、驚かれても当然かもしれない。

 ルナリアはその女生徒とあまり話したことがなかった。


 学園や夜会で会えば挨拶はする。

 必要があれば、軽い会話もした。

 しかし、進んでその学友と共にいることはなかった。


 その女生徒だけではない。

 ルナリアはいつだって、リヒャルト殿下の傍にいた。

 他の誰と過ごすよりも多くの時間を、リヒャルト殿下に使った。

 一部の女生徒とは、学園内外で仲良くしていた。

 それでも、一番に選ぶのはリヒャルト殿下の隣だった。


 今まで接してこなかったのに、という驚きでしょうね。


 そう考えてみれば、驚かれても仕方ないのかもしれない。

 まさか自分に話し掛けて来るなんて、といったところだろうか。

 ルナリアとしては、暇つぶしに気が向いたからという理由だ。

 何かを期待されているのだったら、申し訳ない。

 特に何かをしてあげようというつもりはない。


 新作のドレスがどうとか、とある店のスイーツがどうとか。

 そんな雑談をして、教室に入る。

 教室には、三人ほど人がいた。

 いつも早く来ている人たちだ。


 「それでは。また機会があれば」


 ルナリアは席の離れている学友にそう告げて、窓際にある自分の席に着く。

 席から訓練場を見れば、カイト・ユスティガルドが訓練をしていた。


 朝早くから熱心ですこと。


 騎士団長を夢見る彼にとっては、苦じゃないのかもしれない。

 彼が今ここに居るということは、リーリエ・ソルアの朝のランダム会話は別の人か。

 それとも、彼が訓練を終えて教室に向かう途中で会うのか。

 親密度の低い状態での会話はどんなだったか、前世の記憶を探る。

 前世の人の推しとやらは彼ではなかったらしい。

 なので、細かい会話がうろ覚えである。


 訓練を終えたところなんだ、と言っていたような気がしますわね。


 ということは、彼が訓練を終えて少しするとリーリエ・ソルアが登校してくるのか。

 ルナリアは時間を把握しておいたら役に立つかもしれないと考える。

 授業の準備をしながら、横目でカイトの訓練を見た。

 

 訓練をしているのがリヒャルト殿下でしたら、見応えがあったのですけれども。


 朝日に煌めく汗は、夜空に輝く星よりも美しく瞬くことだろう。

 揺れる髪の先まで凛々しく見えることだろう。

 汗で張り付く髪もまた愛しいだろう。

 何よりも、真剣に前を真っ直ぐ見る瞳は、その熱さでルナリアが溶けてしまうかもしれない。


 ああっ、拝見したいですわ……!


 しかし、ただでさえ多忙であらせられる殿下に訓練などさせるわけにはいかない。

 休める時があるのならば、少しでも休んで欲しい。

 殿下は何かと頑張りすぎてしまうところがある。

 傍仕えのヴィーセンには、しっかりと見張っていてもらいたいものだ。


 そんな向上心に溢れるところも、また素敵でございますけれども。


 ルナリアは魅力に溢れすぎている婚約者に思いを馳せる。


 そんなことを考えているうちに、カイトは訓練場からいなくなっていた。

 ちょっと考え事をしていただけなのに、もういない。

 今日のルナリアの登校時間が、リーリエ・ソルアに鉢合わせない最低ラインということだろうか。


 今日はイレギュラーでしたからね。


 これならば、朝に鉢合わせることからは簡単に逃れられそうだ。

 ルナリアは自分の作戦が正しかったことに、嬉しさを感じた。


 手慰みに、教科書を開いた。


 今頃、殿下は何をされていらっしゃるかしら。


 殿下との思い出をあれこれと呼び起こしている内に、始業の鐘が鳴った。





 昼休みは、今日もまたカナリエたちと過ごした。

 彼女たちとお喋りしながらの学食も、だいぶ慣れてきたように思う。

 「あの御方、廊下で筆箱を落として「ひょえあー!」なんてけったいな鳴き声を上げてましたのよ」

 

 「まあ、いつの間に動物園も併設されたのかしら」

 「ルナリア様ったら、それは正直者すぎますわよ」


 本日のリーリエ・ソルアの不思議な行動を聞いて、くすくすと笑う。

 あの女を特別に無視したり、手を汚したりはしない。

 ただ、見える範囲で見物した情報を交換しているだけだ。

 ルナリアは提供できる情報などないけれど。

 聞いているだけで、面白さ半分憎たらしさ半分というところだ。


 「鳴き声もさることながら、廊下中に散らばせるので通れなくなってしまって迷惑でしたわね」

 「仕方ないので、拾い集めるのを手伝って差し上げましたのよ」

 「まあ、カナリエ様もシェニーネ様もお優しいのね」

 「間違って踏んで転んでしまっては大変ですものね。流石お二人ですわ」

 「ご本人なら、踏んでお尻から転んでおりましたわよ」


 それはなんとも器用なことだ。

 ルナリアは、いっそ関心の念を覚えた。

 しかしそのドジっぷりで殿下の気を引こうとしているのなら、扇を打ち付けたい限りである。


 そんなこと、いたしませんけどね。


 食後のハーブティーで、心を落ち着かせる。

 それにしても、まさに珍獣という響きがぴったりの女である。

 殿下の心の広さがなければ付いて行けないだろう。

 いや、他にも攻略されてしまう殿方がいるのだった。


 皆様、ご趣味が悪いですわよねぇ。


 リヒャルト殿下がヒロインに攻略されることは棚上げする。

 そんなこと考えたって苛立たしさが増すだけである。

 それに、ゲームとは違う行動を取っているのだ。

 何がどううまく作用するかは、まだわからない。


 「そういえば、皆さま聞きまして?」


 ローティが、話を変える。

 その後は新作スイーツの話で持ち切りだった。

 ルナリアが朝に別の女生徒から聞いたスイーツの名前も出た。


 そんな和やかな昼休みを終えて、午後の授業へと挑む。





 午後の授業も座学のみである。

 暖かな日差しを感じながら、先生の説明を聞く。

 必要なところはノートに書き留める。


 そうやって過ごしていれば、あっという間に下校の時刻になった。


 ルナリアは、意識してのんびりと帰り支度をする。

 教室からどんどん人がいなくなっていく。

 帰り支度が終わっても、ルナリアは立ち上がらなかった。


 やはりぼうっとしているのは、時間が勿体ないですわね。


 明日の朝こそ図書室で本を借りよう。

 そう決心しながら、訓練場に視線を落とす。


 教室にも訓練場にも誰もいない。

 まるで世界に一人取り残されたかのようだ。


 しかしルナリアは、昨日までのささくれだった心が嘘のように落ち着いていた。

 落ち着いて、木々が風に揺れるのを見ていた。


 なんだか、こんな落ち着いた時間は久しぶりのような気がしますわね。


 ずっと、慌ただしかった。

 正しくは、心が穏やかでなかった。


 いくら大丈夫だと思っていても。

 いくら自信を持って動いていても。


 心の奥底では、不安で仕方なくて。

 でも、そんな風に感じる自分が許せなくて。


 不安に思って当然ですのにね。


 愛する婚約者に見限られること。

 負の感情を募らせて闇に呑まれること。

 殿下の隣で笑う女に倒される運命であること。


 そんなもの嫌で、不安で、泣き出したくて当然だ。


 誰かに助けてもらいたいと思う。

 でも、誰にも助けられたくないとも思う。


 そんな情けない自分、見ていたくないと思う。


 意地と言われてしまえば、そうなのでしょうけど。


 魔法実技の時間にレーヘルンに言われた言葉を思い出す。

 人からの優しさを受け取れないことは美しくないとか。

 その意地がいつかルナリアの首を絞めるとか。

 そんな台詞を吐いていたことを思い出す。


 「ふふっ」


 思わず、笑ってしまった。

 当たっているようで当たっていない台詞にも。

 前世で言う負け台詞というやつだと思ったことにも。


 「逆ですわよ、レーヘルン様」


 ルナリアは、誰もいない教室で一人呟いた。


 「意地を張っているから、美しく立っていられるのですわ」


 今のルナリアには、意地と矜持しかない。

 シナリオ通りになど生きてやらないという意地。

 ルナリア・エスルガルテとして生きてきた矜持。

 その二つだけが、ルナリアの心を支えている。


 怖くないと言えばそれは嘘になる。

 腹立たしくないと言えばそれは嘘になる。


 それでもそれを全部飲み下して、ルナリアは微笑むしかない。


 向かい来る運命に、最後まで抗って見せるしかできないのだ。


 それも、一人で。


 いや、一人じゃないのかもしれない。

 事情を誰かに話して、直接的に助けてもらうことはできない。

 妄想の酷い女として社交界から冷ややかな目で見られるようになるだけだ。


 それでも。

 家に帰れば、暖かなお茶と甘いお菓子を用意してくれる侍女がいる。

 深く詮索せずに、昼を共に過ごしてくれる学友が三人もいる。

 優しくて世界で一番格好良い素晴らしい婚約者がいる。


 そして何よりも、ルナリアの幸せを願ってくれた見知らぬ誰かがいる。


 大丈夫。

 きっと、大丈夫。


 この先にどんな運命が待っているのだとしても。

 その時に感じた暖かさは本物だ。

 もし近い将来、裏切られることがあったとしても。

 今まで感じてきた嬉しさは宝物だ。


 その思い出を支えに、ルナリアは運命に抗って見せることができる。


 そう思えるくらい、今は暖かな気持ちで満たされている。


 ふと訓練場に人影が見えた。

 今日はリヒャルト殿下とヴィーセンが訓練場に現れる日のようだ。

 そこに、桃色の影は見当たらない。


 リヒャルト殿下とヴィーセンが対人訓練を始める。

 剣を打ち付け合うお姿も、素敵だ。

 ヴィーセンはあまり剣は得意ではないようで、少し押されている。

 なんでもこなせるリヒャルト殿下は、やはり誰よりも格好良い。


 ヴィーセンが、剣に魔法を乗せる。

 それに倣うように、リヒャルト殿下も剣に魔法を乗せた。

 魔法剣は、男性方の一般的な戦術だ。

 残念ながら、ルナリアは誰にもそれを教えて貰えていない。

 見よう見まねで試したところ、暴発させて池に落ちた。

 春先の苦い記憶がよみがえる。


 流石、殿下の剣は美しいですわ。

 

 水をまとわせて、剣を打ち付け合っている。

 少し距離を取ったかと思えば、剣を奮って水玉を飛ばした。


 いつまでも見ていたい。


 けれど、ルナリアは我慢して席を立ちあがった。


 ルナリアは、運命に抗ってみせると決めた。

 だから、どれだけ殿下を見つめていたくともやらねばならぬことがあるのだ。


 「さて、今日もリーリエ・ソルアから逃げ切ってみせますわよ!」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

諸事情により、更新頻度を2日に1回に減らさせていただきます。

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