第19話 その名は、ルナリア・エスルガルテ

 「おかえりなさい、ルナリアお嬢様」


 屋敷へ戻ったルナリアを、ベルーナが出迎える。

 しかし、ルナリアはそれに答えなかった。


 ルナリアに道を開ける使用人たちの誰にも声を掛けずに、自室へと戻る。

 いつもは誰かに開けさせるドアを自分で開ける。

 誰かが入ってくる前に、さっさとドアを後ろ手で閉める。

 そして、制服のままベッドの上に倒れ込んだ。


 ドアがノックされる。


 「ベルーナです、お嬢様。お着替えを手伝いに参りました」


 その声も、ルナリアは無視をした。

 正しくは答えるだけの気力が残っていなかった。


 もう一度、ドアが叩かれる。

 ルナリアは答えずに、目を閉じた。


 静かにドアが開かれた音が聞こえた。

 人の気配が、近付いてくる。


 それでもルナリアは動かない。

 体を起こしもしない。

 何か声を掛けることもしない。


 ただベッドにうつ伏せに倒れ込んでいた。


 「お嬢様、制服が皺になってしまいますよ」


 ベルーナが、優しく背中に手を置いてきた。

 

 「知らないわよ」

 「お着替えを手伝いますので」

 「私、もう休みたいのだけれど」

 「それでは、支度を整えますので」


 中々引き下がってくれない。

 そんなベルーナに、ルナリアは苛立ちを覚えた。


 「構わないって言っておりますでしょう!」

 「しかしそのまま眠るのは……」

 「やかましいですわ!」


 ルナリアは、横に置いてあった鞄をベルーナに投げつける。

 ベルーナはそれを、なんなく受け止めた。

 手慣れている動きに、ルナリアは更に苛立ちが募る。


 「一人になりたいんですの」


 もう誰とも話したくない。


 「ほっといてほしいんですの」


 もう何も考えたくない。


 「そんなことも、察することができませんの!?」


 こんなこと言われたって、困るだけだろう。

 そんなことはわかっている。

 しょうもない八つ当たりだって、わかってはいるのだ。


 だけど。

 持て余した感情を。

 行き場を見失った感情を。

 どうすればいいのか、ルナリアにはわからなかった。


 「ルナリアお嬢様」


 しかし、ベルーナは変わらずに名前を呼んできた。

 特に優しくするわけでもなく。

 教え諭すわけでもなく。

 呆れているわけでもなく。


 いつもと何も変わらない声で、名前を呼んできた。


 「全力でお休みいただくには、準備が必要です」

 「全力で休むってなによ……」

 「全身全霊でお休みいただかなくてはなりません」

 「疲れたから休みたいと言ってますのよ……」


 それなのに全力とか全身全霊だとか、余計に疲れる単語を言わないで欲しい。


 「聞いておりますよ。ではボタンを外していきますね」

 「まったく聞いていないじゃないですの……」


 これ以上何か言うのも面倒くさい。

 ルナリアは、完全に力を抜いた。


 その隙にとばかりに、ベルーナが寝支度を整えていく。

 ルナリアはされるがままに、転がっていた。


 「本日のアロマは、ベルガモットでございます」


 ルナリアの支度を整えたベルーナが、アロマを焚く。

 ベッドサイドに置かれたアロマポッドから、甘いながらにさっぱりとした香りが漂ってきた。


 「それでは、ご下命通り放っておきますので」

 「今更遅いと思うのですけれども」

 「おやすみなさいませ、ルナリアお嬢様」


 ベルーナが部屋から出ていく。


 まあ、もういいですわ。


 やっと一人になれた。

 しかし、なんだか求めていたものと少し違う気がする。


 ため息をつきながら、きちんとベッドの中へ潜り込んだ。


 ベルガモットの香りが鼻をくすぐる。


 結局、ベルーナに当たり散らしてしまった。

 理想の淑女には程遠い。

 もう何がしたいのか、わからなくなってしまった。


 今日はもう、眠ってしまいましょう。


 眠って全て忘れて、そうして朝を迎えられたらいいのに。

 そう思いながら目を閉じれば、ルナリアはすぐに眠りに落ちていった。





 「お、これはリヒャルトルート入れたかな?」


 わたしは、卒業パーティの始まったゲーム画面を見ている。

 あとはもう、キャラクター同士の会話を読んでいくだけである。

 ここは全ルート共通のようなものなのだが、ちょっとした台詞が細かく違っているせいでスキップができない。


 最初は台詞全部読みたかったから嬉しかったけど。

 何周もしてるとちょっとめんどくさいんだよな。


 ボタンを押すのが面倒になった私は、オート進行のボタンを押す。

 紙パックのストローを齧りながら、シナリオが進んでいく様を眺める。


 「婚約破棄イベントきたー」


 悪役令嬢のルナリアが、リヒャルトに婚約破棄を言い渡される。

 納得がいかないと怒っている銀髪の少女の立ち絵が映し出された。


 「納得も何も、めちゃくちゃいじめてきてたんだよなあ」


 教科書や上靴を隠されたり捨てられたりは当たり前。

 机の中にカエルが入れられていたり。

 嘘の情報を与えられて、周りに迷惑をかけたり。

 階段から突き落とされたこともあったな。

 あと、紅茶をかけられたり。

 もはやティーカップを投げてきたこともあった。


 「この世界の貴族令嬢どうなってんだよって思ったよね」


 あくまでゲームの中のことなので笑いながら見ていられたが。

 そんな直接的ないじめをしてくる貴族令嬢ってありなのだろうか。

 まあ、面白かったからありかな。


 ルナリアの髪が、黒に変化する。

 ルナリアの瞳が、赤に変化する。


 2Pカラーみたいになるのが、闇落ちして『闇の巫女』になったことを示しているらしい。


 銀髪キャラ好きだから勿体ない気がするけど、色チェンジもそれはそれで好き。


 『闇の帝王』が復活して、世界を征服してやるぞ的な口上をする。

 そして主人公ちゃんが「そんなことさせないっ!」と前に出る。

 戦う女の子好きだよ、いいよ。

 でも何回も見たシーンなので、オートのままスナック菓子を食べる。


 「やった、リヒャルトルート確定っすわ」


 戦う主人公ちゃんをサポートするために、キャラが一人出てくるのだ。

 それは、最も親密度の高い攻略キャラとなっている。

 リヒャルトが出て来たことで、私は安心した。


 もちろん、リヒャルトとの親密イベントは全部やっていたから平気だとは思っていた。

 しかし、今回は他のキャラの親密度も高めにしていたので、万が一が心配だったのだ。


 エンディング後のスチルがちょっと違うらしいんだよね。


 そのスチル回収のために、頑張って親密度上げをしたのだ。

 報われているといいなあなんて思っていたら、『闇の帝王』と『闇の巫女』が倒されている。


 これで世界平和は守られましたとさ。

 そして卒業パーティが再開される。

 主人公が、リヒャルトに呼び出された。

 ここからは告白イベントである。


 わたしは、ぐっと体を伸ばす。

 腰がバキバキだ。


 これでやっと全部スチルが揃ったかな。


 「おつかれさまっしたー」


 自分で自分にねぎらいの言葉を掛けた。


 そして、ふと。

 本当に、ふっと、思った。


 「ルナリアちゃんが幸せになるエンドなかったな」


 どのルートでも、婚約破棄をされて闇落ちしていた。

 告白イベントより先には、出てこない。

 エンディングロールの中で出てくるスチルは、めちゃくちゃ序盤の呼び出しイベントのスチル1枚だけだ。


 まあ、当て馬だからなあ。


 そんなメタなことを思うけれど。

 でも。


 「ルナリアちゃん結構好きだったんよね」


 彼女が闇落ちしないルートが1つくらいあっても面白かっただろうにな。

 わたしは、少し残念に思ったのだった。





 「ルナリアお嬢様、朝ですよ」


 ルナリアは、ベルーナの声に目を開けた。

 パチパチと瞬きをする。


 ここは、見慣れた自分のベッドの中だ。

 枕の横にゲーム機は置かれていない。

 起き上がって部屋を見渡してみても、スナック菓子は置いていない。

 代わりにお気に入りの鏡台やテーブル、ソファーなどが置かれている。


 ああ、前世の夢を見ましたのね。


 2回目ともなると、すんなりと状況が把握できた。


 「昨晩はお眠りになれましたか?」

 「ええ、そうね。不思議な夢を見たけれど」

 「不思議な夢ですか?」

 「そう、夢よ」

 「どのような夢だったのですか?」

 「おかしな夢よ。この私に向かって、貴族令嬢らしくないなんて言ってくる夢」

 「それは幼少期の夢ということでしょうか?」

 「違いますわよ、失礼ね!」


 ルナリアは、ベッドから降りる。


 「ベル、体を洗っている時間はあるかしら」

 「ご準備できております」

 「流石ね」


 ルナリアは、いつもより長い時間をかけて朝の支度をした。

 支度を終えて、時計を見る。

 早めに教室へつくには、ギリギリの時間だ。

 図書室に行く余裕はないだろう。

 それとも、御者に急ぐように言おうか。


 いいえ、本を借りるのはまた明日にいたしましょう。


 慌てて学園に行くなど、はしたない。

 貴族は、いつだって誰かに見られている立場なのだ。

 その名に相応しい行動をしなくてはならない。

 その名に恥じない行動をしなくてはならない。


 エスルガルテ公爵家の一人娘として。

 リヒャルト王太子殿下の婚約者として。


 ルナリア・エスルガルテは、いつだって模範とならねばならないのだ。


 淑女たれ。


 ルナリアはそのように教育された。

 ならば、そのように生きるしかないだろう。


 誰がなんと言おうとも。

 この先どのような運命が待ち受けていようとも。


 貴族令嬢の、淑女の鏡として。


 そこに凛と、立ってなくてはいけないのだ。


 例え光魔法を使えなくても。

 例えヒロインになれなくても。


 何を、思い悩んでいたのでしょうね。


 ルナリア・エスルガルテは誰にもなれない。

 ルナリア・エスルガルテは、ルナリア・エスルガルテにしかなれない。


 それは、ルナリアが他の誰かになれないという意味でもある。

 逆に、他の誰も、ルナリアにはなれないという意味でもある。


 私は私らしく、思う道を突き進むことしかできませんのに。


 誰を羨んでも仕方ない。

 むしろ、誰かに羨まれる存在であるべきだ。


 顔を上げて、胸を張って、真っ直ぐに前を見て。


 幼い頃、作法教育で言われたことを思い出す。

 基本中の基本だ。

 ルナリアは姿見の前に立ち、笑顔を作る。


 それは、淑女にとっての武装。

 戦うための武器であり、身を守るための防具である。


 「お嬢様、馬車の支度ができました」

 「ええ、今行くわ」


 ルナリアが自室を出ていく。


 廊下に差し込む朝日が眩しい。

 ルナリアは、目を細める。


 朝日の煌めきは、愛しいあの御方に似ていらっしゃいますわ。


 キラキラと煌めいていて、眩しいところ。

 それでいて、なんだか暖かな気持ちになるところ。


 どんな時だって、必ずそこにいらっしゃるところ。


 そんな素晴らしい人の婚約者なのだ。

 落ち込んでいてどうする。

 ないものねだりをしていてどうする。


 破滅が待ち受けているというのなら。

 私は華麗に、その運命から逃げきってみせましょう。


 負の感情を募らせて、『闇の巫女』になどなってやるものですか。


 ゲーム通りの生き方なんてしてやるものか。

 ゲーム通りの死に方なんてしてやるものか。


 強欲に、大胆に。

 煌びやかに、華やかに。


 何一つ、取りこぼしはしない。


 欲しいものは、すべて手にいれてみせよう。


 「だって私は、ルナリア・エスルガルテですもの」


 望んでくれる人が一人でもいるのならば。

 運命の1つくらい、自分で切り開いてみせましょう。


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