第18話 なりたい自分は遥か遠い
どうして、どうして。
どうして、こうなってしまったの。
ルナリアの頭の中を、ぐるぐると同じ問いが回っている。
なんで、私がこんな気持ちにさせられないといけませんの!?
それもこれも、すべてあの女がいるせいだ。
あの女が学園に来たから、おかしくなってしまったのだ。
ルナリアは、急ぎ足で階段を降りる。
悔しくて、苦しくて、もどかしかった。
ずっと頑張ってきた自分が、平民ごときに勝ち目がないことが理解できなかった。
こんなの、何かの間違いですわよ!
間違いであってほしい。
自分よりも殿下の役に立てる女がいるなんて、間違いであるべきだ。
ルナリア・エスルガルテこそが、殿下の隣にいるに相応しいのだ。
急ぐ足が走り出しそうになる。
そこでルナリアは、足を止めた。
階段を駆け下りれば、それは憎い女と同じレベルになるということだ。
そんなのは、嫌だった。
落ち着きなさい、ルナリア・エスルガルテ。
ルナリアは踊り場に止まって、深呼吸をする。
頭のガンガンとした痛みが治まるまで、ルナリアはそこで深呼吸を繰り返した。
そう、冷静になるのですよ。
自分に言い聞かせる。
だって、わかっていたことではないか。
自分が殿下の役に立たない存在であること。
自分が国を窮地に追い立てる存在であること。
自分が誰にも愛されていない存在であること。
前世の記憶から、わかっていたことではないか。
今更あの女に怒りを覚えて、何になると言うのだろうか。
なんて、空しいお話なのでしょう。
こんなシナリオを考えた人物に、物申してやりたい。
私だってちゃんと、生きているのだと。
誰になんと思われようとも、ルナリアとして生きてきたのだと。
その人生を、ただヒロインを引き立てるためだけに使われるのは、なんと空しいことだろう。
私はただ、殿下をお慕い申し上げているだけですのに。
なのにどうして、こんなことになってしまったのだろうか。
ルナリアは、天井を見上げた。
きっと今自分は酷い顔をしている。
前世の記憶を思い出したあの日よりも、混乱している。
あまり、実感はなかった。
『闇の帝王』を復活させたときの自分の心情が、手に取るようにわかるのに。
未来のことのはずなのに、まるで過去のことかのようにわかるのに。
なのに、自分が『闇の巫女』になるのだという実感は、なかったのだ。
その実感が、湧いてくる。
日を増すごとに、実感が湧いてくる。
リーリエ・ソルアの存在を知ったあの日から、実感が湧いてくる。
こんなの知ってしまったら、リーリエ・ソルアに怒りをぶつける以外に治める方法を思い付きません。
ルナリアは、掴んでいた本を見る。
どうしてこんな本を、借りて来てしまったのだろう。
身の程をしれということなのだろうか。
抗おうとするだけ無駄だと、笑っているのだろうか。
自分の役割を果たせというのだろうか。
お前の役割は、悪役令嬢だということなのだろうか。
どうして私には、苦しい道しか与えられておりませんの?
リーリエ・ソルアはあんなにも華やかな道が用意されているというのに。
どうして、ルナリア・エスルガルテは苦しんだ末に惨めに死なないといけないのだろうか。
怒りよりも、悲しさが勝ってきた。
これなら、リーリエ・ソルアのところに突撃する心配はないだろう。
先程の怒りに任せたまま歩いていたら、訓練場へ行っていただろう。
そして、そこに見えた桃色の髪に向かって本を投げつけていただろう。
ルナリアは、肺が空になるほどに息を吐き出す。
一度、屋敷に戻って落ち着きましょう。
ああそれよりも、さっさとこの本は返してしまおうか。
先ほど教室の窓から、桃色の髪が見えた。
つまり、図書室には現れないということだ。
こんな気分が悪くなるもの、さっさと手放してしまおう。
ルナリアは、再び階段を降り始めた。
1階にたどり着いた時だった。
「あら、ヴィーセン様」
「今日はよく会いますね、ルナリア嬢」
「ええ、本当に」
攻略対象である彼に、あまり会いたくなかった。
それに、朝に散々心の中で罵倒した相手である。
なんだか、しっぺ返しをくらったような気分ですわ。
ヴィーセンのことを、貴族の役割を放り出したいだけの男だと見限っていた。
今のルナリアは、彼と大きな差はない。
自分に与えられた悪役令嬢という役割を放り出したくて、もがいている意地汚い女だ。
彼のことをとやかくいう資格などなかったのかもしれない。
「……なんだか大人しいですね」
「それはどういう意味ですのよ」
「いえ、顔を合わせるといつも突っかかってきましたので」
「私が突っかかってるのではありませんわよ。ヴィーセン様が先に煽ってくるのでしょう」
「いや。殿下と常に一緒にいるからと妬んで突っかかってきたではありませんか」
そう言われてみると、そうかもしれない。
彼との出会いは随分昔の話で、まだ幼かった。
ルナリアはヴィーセンに興味がなかったので、うろ覚えである。
でももしルナリアが先に突っかかっていたのだとしたら。
それは殿下と2人きりで会いたいのに、横にずっといたヴィーセンが悪いのではないだろうか。
なんで私ばかりが悪いと言われなくてはならないのでしょうね。
ため息が零れそうになる。
しかし、そんな姿を他人に見せたくはない。
視線をヴィーセンから外した時に、ルナリアが手に持った本が目に入ってきた。
「ヴィーセン様は、どちらに向かおうとしてましたの?」
「殿下に頼まれた資料を、図書室に借りに行くところですよ」
それならば、ちょうど良い。
ルナリアは早く手放したい本を、ヴィーセンへ差し出す。
「この本、返しておいてくださらない?」
「なんで僕が」
「間違えて借りてしまいましたのよ。図書室へ行くならば、ちょうど良いではありませんか」
ヴィーセンが、苦い顔でルナリアから本を受け取る。
「光魔法? 面白い本を借りたんですね」
「ですから、間違えてしまったと言っておりましょう? こんなの読むなんて、時間の無駄ですわ」
「……希少な魔法について知ることは、良い勉強になると思いますけど」
ヴィーセンの冷たい視線に、ルナリアはムッとする。
そんなことは言われなくとも、わかっている。
どんな知識も吸収した方が良いことはわかっている。
しかし、惨めな気持ちになってまで学ばなきゃいけないものなのだろうか。
ルナリアには、拒否反応しかない。
「ではあなたが読めばよろしいのではなくて」
ルナリアは、ヴィーセンから視線を外す。
もう、どうでもよかった。
だから、深く考えずにそれを口にしてしまった。
「魔法学の研究をなさりたいのでしょう? ちょど良いのではないですか」
ヴィーセンから、冷たい風が吹いた気がした。
しまった、と思った時には遅い。
出てしまった言葉は取り消せない。
これは、前世でゲームをやった時に得た知識だ。
この世界のルナリアは、知ることができない情報だ。
前世の記憶に引っ張られすぎましたわ……。
「何故、それを知っているのですか。誰にも伝えたことはないのに」
ほら、怒ってますわ……。
ヴィーセンは幼い頃より、リヒャルト王太子殿下の傍仕えとしての教育を施されていた。
モルガルテ侯爵家の跡取りとしての教育を施されていた。
いずれ父の跡を継ぎ、宰相の地位へ上がれるようにと教育を施されていた。
しかし、それはヴィーセンの望む未来とは違うものだった。
ヴィーセンは、魔法学者になることが夢だった。
しかし本人の夢など、この世界では儚いものだ。
夢を語る暇もなく、将来になるべきものは定められている。
ヴィーセンは叶わぬ夢を心に秘めながら、リヒャルト殿下の隣に立っていた。
そんなヴィーセンが、貴族の文化を好いているわけがない。
その癖に、逆らうだけの気概もない。
どんよりと暗い顔で立っているだけの男だと、ルナリアは感じていた。
周囲の令嬢たちは、愁いを帯びた表情が良いなどと仰っておりましたけれど。
ルナリアには、陰鬱な表情を見ているだけでこちらまで気が重くなるから好きでなかった。
前世では、クールキャラも好きとかなんとか騒いでいた気がするが。
顔はヴィーセンの方が好きだった。
しかしそれはあくまで前世の話で、現実のルナリアはヴィーセンに爪の先も興味はない。
「何故それを知っているのかと、聞いているのですが」
言い訳が何も思い付きませんわ……!
まさか、ここはゲームの世界であり前世の私はこれをプレイしていた。
そのシナリオで、あなたがヒロインに本音を語っていたことを記憶しているのだ。
なんて、そんなことが言えるわけはない。
しかもそのイベントはまだ起きてない。
そのイベントが起きるほど親密度が上がるのは、早くても夏くらいだ。
流石に考えなしすぎましたわー!
己の失態をいくら悔やんでも、時は戻せない。
ああ、本当にどうしてこんなにも上手くいかないのだろう。
なりたい自分は、遥か遠い。
「適当に言っただけなんですけれども、本当に学者を目指しておいでだったのですか?」
苦し紛れにしらばっくれる。
ヴィーセンが、ルナリアの様子を伺うようにじっとりと見てくる。
大変いたたまれない。
早くこの場から離れたかった。
「そういえばあなた、殿下をお待たせしているのではなくて?」
ルナリアがそう言えば、ヴィーセンが舌打ちをする。
「今の話は、聞かなかったことにします」
そういうと、ヴィーセンは図書室の方へと向かっていった。
ルナリアは、ヴィーセンの背中が見えなくなってから、大きく息を吐き出した。
前世の情報と混乱しないように気をつけていかないと……。
気にすることが多すぎて、眩暈がしそうだ。
ズキズキと痛む頭を押さえながら、ルナリアは下駄箱へと向かう。
あるべき理想の姿のために。
なるべき自分の姿のために。
様々な気持ちを押し殺しているのに。
色々な気配りをして動いているのに。
それでも「自由きままに振る舞っている」と思われてしまうのか。
どうして?
私はこんなにも、頑張っておりますのに。
ヴィーセンは、将来ヒロインの朗らかさに心を許していく。
そして、望むことも許されない夢を語る。
ヒロインは自由のない道に同情の念を抱く。
けれど、ヴィーセンの溢れる才能を褒める。
ずっと努力してきたことを、偉いと褒める。
そうやって彼の心は、将来救われるのだ。
正直に言って、羨ましい。
羨ましい。ずるい。妬ましい。
誰も私のことは認めてくださいませんのに。
自分に用意された、不本意な道を思う。
いっそ、その道を進んでしまえばよいのだろうか。
何も考えず、耳を塞ぎ、目を閉じて、用意された道を進めばいいのだろうか。
そうすれば、私は少しは救われるのでしょうか?
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