第16話 運が良いのか悪いのか

 ルナリアは教室に到着してすぐに、借りてきた本を開いた。

 そして、そっと閉じた。


 タイミングが悪すぎますわ……!


 運が良いのか悪いのか、借りてきた本は光魔法に関する本であった。


 あの女から逃れる術はないとでも!?


 本を破り捨ててやりたい気持ちを、無理矢理抑え込む。

 いやもう、窓から投げ捨ててしまおうか。

 そうしたい気持ちに駆られるが、学園の備品を粗末に扱うわけにはいかない。

 癇癪を起しながら机を殴りたい気持ちを、必死に抑え込む。


 私は淑女の中の淑女。

 私はエスルガルテ公爵家の一人娘ルナリア。

 私はリヒャルト殿下の婚約者。


 そう心の中で繰り返して、気持ちを静める。

 やはり自分の立場を思い出すことが、一番効果的である。

 学友たちに粗末な姿は見せられない。

 リヒャルト殿下の婚約者たるもの、粗相は許されない。


 私の道は、リヒャルト殿下が照らしてくださいますのよ。


 そう思うと、心が安らいでくる。

 流石リヒャルト殿下だと、ルナリアは誇らしい気持ちになる。


 さて。

 落ち着いたところで、机に置かれた本に目を向ける。

 これを返して違う本を借りに行くか。

 ちらりと、教室に掛けられた時計を見る。

 往復したとして、授業開始には間に合うだろう。


 しかし、リーリエ・ソルアに鉢合わせる可能性が高すぎる。


 これでは、何のために早く来たのか。

 何のために図書室で本を借りて来たのかわからなくなる。


 明日の朝、違う本を借りに行くか。

 では、今日一日はどのように過ごそうか。

 計画が丸つぶれである。


 ああもう、なんでよりにもよって光魔法の本なんてものが置いてありますのよ!


 図書室の本棚の配置に、心の中で文句を付ける。

 いや、そもそもあそこでヴィーセンが話しかけてこなければ。

 そうすれば、もっと落ち着いて本を選ぶことができたのに。


 本当に癪に障る殿方ですわね。


 レーヘルン・バルムヘルテが嫌な男だとすれば。

 ヴィーセン・モルガルテは癪に障る男であった。


 昔からそうなんですのよね。


 ルナリアが、リヒャルト殿下と婚約をした頃。

 それとほぼ同時期に、殿下に歳の近い友人をと宛がわれたのがヴィーセンであった。

 ルナリアはそのように記憶している。

 殿下の元へ遊びに行くと、いつだっていた邪魔くさい男と認識している。


 ゲームの知識を、思い返してみる。

 確か、友人という名の傍仕えだったか。

 モルガルテ侯爵の宰相としての足固めに使われたのだったか。

 しかし、貴族というのは得てしてそういうものである。

 ルナリアはそれで同情もしないし、むしろ良いことだと考えている。


 前世の私やヒロインは、同情しておりましたわね。


 自分の人生を自由に選べないというのは、悲しいことだと言っていた。

 自分の道は自分で決めるべきだと、そのようなことを言っていた。


 それも一つの生き方なのでしょうけれども。


 ルナリアには、今一つ悲しさがわからなかった。

 前世の記憶を持っていても、それはあくまでも前世だ。

 今のルナリアではない。

 記憶は頼りにはなるが、その感情はあまりわからなかった。


 殿下の傍仕えとして、ずっとお隣にいられるのに、何を不満に思うことがありますの?


 むしろルナリアは、羨ましいとまで思っている。

 婚約者の座も、傍仕えの座も両方担えれば良いのにとまで、思っている。

 無理な話であることは、わかっている。

 どちらかしか選べないのならば、婚約者が良いとも思っている。

 今の立場に、全く不満のないルナリアには、ヴィーセンの気持ちなど少しもわからない。

 ゲームで語られた彼の思いを『識って』いても、まるでわからなかった。

 いや、わかる気もなかった。


 彼は、貴族の役割を放り出したいだけですわ。


 そんなの、許せるわけがない。

 むしろ、殿下の傍仕えを辞めた方が良いのではないかとすら思う。

 貴族の役割に不満を抱いている男が、将来、王の横で宰相になるというのか。

 ルナリアは、それは良いことだとは思えなかった。


 癪に障ると思っておりましたけれど、私の勘は意外と当たりますのね。


 殿下に彼を外すように進言しようかしら。

 いえ、でもヴィーセン様のことを気に入っているようだから、嫌な顔をされるかしら。


 ルナリアは、悩む。


 まあ、機会があったらさりげなく進言する程度にしておきましょうか。


 なんて思ってみるが、はたと気が付く。

 ゲームの中で起きた婚約破棄の場面。

 もちろん、ルナリアは無実を主張した。

 悪いことをしたなどと、少しも思っていないのだ。

 むしろ教えてあげたのに強情なヒロインが悪いとすら、思った。


 でも誰も、ルナリアの意見には賛同してくれなかった。


 それだけ信頼がないのか。

 それだけ我儘と思われたのか。


 ルナリアが進言したところで、リヒャルト殿下は聞いてくれないかもしれない。


 そんな思いが沸々と湧いてくる。

 ルナリアよりも、ヴィーセンの方が信頼されているのではないか、と。


 比べるものではないことはわかっている。

 役割が違うこともわかっている。


 けれど、こんなにも殿下を思っていることが伝わらない。

 それがどうにも、歯がゆい。

 どうして殿下は、受け取ってくれないのだろうか。

 そんな不満を、少しだけ覚えた。


 これを読んだら、少しは何かがわかるのかしら。


 ルナリアは、目の前にある光魔法に関する本を見る。

 じっと睨んでも、本は粉々にならない。


 土に埋めたら、なくなってくれるかしら。


 落ち葉が土に戻っていくように。

 本も、ボロボロになって、そしてなくなっていってくれないだろうか。


 ですから、これは学校の備品なので粗末にしてはいけないんですのよ!


 気を抜くと、すぐにこの本を処分する方向に考えが動いてしまう。

 しかし、それくらい光魔法に関する本を手に取ってしまったのが不服だった。


 光魔法が嫌なのではない。

 正しくは、光魔法を使える女が嫌いなだけである。

 もっと正確に言えば、光魔法を使えるという理由で平民なのに殿下の隣に座っている女が嫌いなのである。


 つまり、リーリエ・ソルアが嫌いなだけである。


 どなたか、私をリーリエ・ソルアから解放してくださいまし……!


 しかし、ここがゲームの世界で配役が決まっている以上、無理な話なのだ。

 ルナリア・エスルガルテは、悪役令嬢の役を言い渡されている。

 リーリエ・ソルアは、ヒロインの役を言い渡されている。

 そんな中でルナリアを助けてくれるものなど、どこにもないのだ。


 少しでも気を抜けば、リーリエ・ソルアへ繋がるようにできているのだ。


 なんと悲しい現実なのでしょう……。


 ルナリアは、肩を落とすことしかできない。

 誰にも、どうすることもできない。


 いえ、いいえ。


 ルナリアは、机の上に置いた拳を握りしめる。


 誰に助けてもらえずとも、必ず生き抜いてみせますわ。


 愛する王子様は、ルナリアを照らしてくれる。

 けれども、彼はルナリアを助けるためにいるのではない。

 悲しいことながら、それがこの世界のルールなのだ。


 殿下のためにも、この国を危機に陥れるわけにはいきません。


 だから、『闇の帝王』を復活させてはいけない。

 『闇の巫女』を作り上げてはいけない。

 『光の巫女』の出番などないことが、望ましいのだ。


 私のためにも、あんな惨めな死に方をしてはなりませんわ。


 何がなんでも、生き抜いてみせる。

 リーリエ・ソルアから、逃げ延びてみせる。


 こんな不本意なシナリオは、破り捨ててみせる。


 そのために敵を知るというのは、良いことだと思いましょう。


 ルナリアは、光魔法に関する本を読む決心をした。

 ごくりと唾を飲み込む。

 そして、表紙を捲ろうとした。


 その時、始業のチャイムが鳴り響いた。


 私、この本を読むか読まないかだけで朝の時間を使い切りましたの!?


 なんとも非効率な時間の使い方に、愕然とする。

 どれだけリーリエ・ソルアが憎いのだろうか。

 いや、表現しきれないくらいには憎らしく思っている。

 そういう意味では、こんなに時間を使ってしまっても納得できる。


 ですが、限度というものがありますわよ。


 自分にそう突っ込みを入れながら、本を鞄にしまった。

 そして、授業の準備をする。


 あの本を読むのは、放課後にいたしましょう。


 折角入れた気合が無駄になってしまった。

 そのことは少し残念に思う。

 しかし、時間に猶予が出来たことは少し有難い。

 ただ問題を先延ばしにしただけだけれども。


 とにかく今は、学業に専念できる。

 そのことが、ルナリアの気持ちを軽くさせた。





 ルナリアは、授業に集中した。

 先生の話にひたすら、耳を傾けた。


 そうしないと、光魔法とリーリエ・ソルアのことを考えてしまいそうだった。

 そうしないと、自分の行く末への不満を考えてしまいそうだった。

 そうしないと、訓練場に見える愛しい人を目で追い掛けてしまいそうだった。


 殿下のどんな姿も見逃したくない。

 すべてをこの目に焼き付けたい。

 一瞬たりとも、殿下から目を逸らしたくない。


 なのにその隣を歩く女のせいで、ルナリアの思いは叶わない。


 ルナリアは現実逃避するかのように、授業に没頭した。


 何度も頭に叩き込んだ科目であっても、集中して授業を受けた。


 そうして、昼休みの時間になった。


 約束通りに、カナリエとシェニーネ、ローティが迎えに来てくれた。

 リーリエ・ソルアはやはり殿下に引っ付いて、教室を出て行ったらしい。

 どこまでも厚かましい女である。


 3人に迎えに来てもらったことによって、昼食を安心して取ることが出来た。

 教室に戻る時も、怖さはなかった。


 放課後も彼女たちを呼び出せばいいのかしら。


 そんなことを考えたが、彼女たちには彼女たちの予定がある。

 この先1年間ずっとは付き合ってくれないだろう。

 第一、学友に頼らないと何もできないと思われるのも癪である。

 殿下が構ってくれないから、学友に逃げていると思われるのも癪である。


 けしてルナリアは、一人が寂しくて誰かの隣にいるわけではない。

 けしてルナリアは、殿下に構ってもらえなくて不貞腐れているわけではない。


 この場合、ルナリアが殿下を避けていると言っても過言ではない。


 避けているわけでも、避けたいわけでもないのですけれどもね!


 もはや定例のお茶会を毎晩開催したい勢いである。

 そんなことをしたら、殿下が体を壊してしまう。

 だから踏み止まっているだけである。


 殿下が会いに来てくださったら、それは夢のような心地なのでしょうけれど。


 昨日のように、オマケも何もなしでお話してくれたらどれほど良いことだろうか。

 もちろん、付いて行った先にリーリエ・ソルアがいるという罠などなしでお願いする。


 そうしてルナリアは、また午後の授業を真剣に受ける。

 時間はあっという間に過ぎて、放課後となった。


 さて、帰る人の波が落ち着くまで読書するといたしましょう。


 ルナリアは、光魔法に関する本を机の上に置いた。

 深く深呼吸をする。

 朝の内に心を決めておいたからか、抵抗は減っていた。


 そしてルナリアは、その本の表紙を捲った。


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