第15話 心のスクショを眺めて生きておりますわ

 「髪を洗うのが勿体ないですわ……」

 「そうですね。では、お風呂に入りましょうか」

 「でも、髪を洗うのが勿体なく感じますの」

 「そうなのですね。では、お風呂に入りましょうか」

 「殿下が髪にキスをされましたのよ。洗うのが勿体ないですわ」

 「そうですね。では、お風呂に入りましょうか」

 「髪を洗うのが勿体ないですわ……」


 「では、その髪を切り落としましょうか」


 「もう少し余韻に浸らせてくれてもよろしいのではなくて!?」


 夜、ルナリアとベルーナは攻防を繰り広げていた。

 いつもなら風呂に入って、髪を乾かしている時間である。

 しかし、ルナリアがいつまでもお風呂を渋るのだ。


 原因はただ一つ、殿下がキスを落とした髪の毛である。


 「殿下が、優しく触れて、キスを落としてくれた髪ですのよ!? 大事にしたいではありませんか!」

 「ええ、大変よろしいことだと思います。ですが埒が明かないので、切り落として宝箱に保管しましょう」

 「丁寧に伸ばした大切な髪の毛ですのよ!?」

 「もちろん存じておりますよ。ケアをしているのは私ですから」

 「ベルの意地悪! 鬼! 悪魔!」

 「はいはい、では悪魔に身を委ねてお風呂に入りましょうか」

 「人でなしー!」

 「誠に残念ながら、生まれた時から人間で通っております」


 ルナリアは、家用のドレスを脱がされ、浴槽に放り込まれた。

 ベルーナの手際の良さに、ルナリアはされるがままであった。

 薔薇の香りがする石鹸が、頭に乗せられて、ベルーナの手で泡立てられる。


 ああ、殿下の触れたところが洗われていきますわ……。

 悲しい……。

 殿下の温もりが泡に溶けて流れていってしまう……。


 「そんな悲愴な顔しないでください。面白くなってしまいます」

 「面白いってなんですのよ!」


 今となっては貴重になってしまった殿下との逢瀬の証ですのよ!

 もう少し丁寧に扱ってほしいですわ!


 ルナリアが頬を膨らませる。

 ベルーナは表情を変えずに、着々と洗髪を進めた。


 石鹸の良い香りとベルーナの暖かい手に、疲れが取れていくのがわかった。

 今日一日、緊張の連続だった。

 自分が想像していたよりも、疲れがたまっていたのかもしれない。


 「ねぇ、ベル」

 「なんでしょうか、ルナリアお嬢様」

 「何か……そうね、面白い本とかないかしら」

 「本ですか?」

 「ええ、学園の空き時間に読もうかと思って」


 今まで、学園で暇さえあれば殿下に会いに行っていた。

 生徒会でもないのに、何か手伝わせろと押しかけたこともあった。


 でも、今はそんなことはできない。

 迂闊に動けば、リーリエ・ソルアと鉢合わせる危険性が高まる。


 授業の予習や復習をしようにも、限度があった。

 ルナリアは、学園での授業はほとんど修めてしまっているのだ。

 幼少期より妃教育として、かなりの量の勉強をしてきた。

 学園での授業は、復習にしかならない。

 新しく学ぶことは少なかった。

 それでも、違う先生から習うというのは新鮮で、授業は真面目に聞いている。


 しかし、自分で更に復習をするというのは、いくらルナリアでも身が入り切らない。


 なにか今までとは違う、新しい時間の使い方が必要だった。


 「ですが、公爵家に貯蔵されている御本は全て読まれていらっしゃいますよ」

 「そうよねぇ……」


 新しく何か本を取り寄せるか。

 しかし、どの分野を取り寄せればいいのだろう。


 「学園の図書室は、ご利用にならないのですか?」

 「そう、そうよねぇ。それが一番早いですわよねぇ」


 イベントスポットになっていなければ、図書室に駆け込むのだが。

 いや、駆け込むのはダメか。

 どの道、移動している間に鉢合わせては努力が水の泡だ。


 朝、本を借りて教室で読もうか。

 そして人の波が落ち着いてから、下校すればいい。

 なんだったら、訓練場にキャラが現れてから帰宅すれば確実かもしれない。


 そうか、それがいいかもしれない。


 「いえ、そうね。学園の図書室を利用してみるわ。ありがとう、ベル」

 「解決したのならよかったです」


 朝を早めた分、確かに時間を持て余していた。

 良い時間の使い方を見つけられてよかった。


 ルナリアは全身をベルーナに洗われてから、浴槽を出る。


 寝間着に着替えて、髪にオイルをなじませる。

 それからベルーナの風魔法で、髪を乾かされる。


 そして、鏡台の上に並ぶボトルの内の一つを、ベルーナが取る。

 水魔法で開発された美容液だ。


 前世ほど化学や工学は発展していない。

 しかし、生活と魔法が密接に関わっている。

 女性として欠かしたくない部分が整っていた。


 前世で手作り石鹸とか作ったことがありませんでしたし、助かりましたわ。


 前世の記憶がなければ、何事も思わずに暮らせていても。

 思い出してしまえば、特に日本で暮らしていたのならば。

 お風呂がないこととその後のケア用品がないことは辛かっただろう。


 ゲーム設定ではこんなところまで練り込まれていなかったでしょうに。

 私、かなり運が良い転生をしたのではなくて!?


 そう一瞬思うが、1年後に破滅が待っている時点で運が良いとは言えないことを思い出した。

 

 もしかして、殿下と同じクラスのモブ令嬢辺りに生まれ変わるのが一番運が良かったのではなくて……?


 しかし、転生先など選べない。

 そもそも前世の記憶を思い出したこと自体が、本来なら在り得ないことである。


 運が良いのか悪いのか、判断しかねますわね。


 ルナリアは渋い顔になった。


 「そのような顔をしなくても、もう終わりましたよ」


 ルナリアがよそ事を考えている間に、寝支度が全て整った。


 「ご苦労様、ベル。もう下がってよろしいですわよ」

 「はい、おやすみなさいませ、ルナリアお嬢様」

 「ええ、おやすみ」


 ベルーナを下がらせて、ベッドの中へと入る。

 綺麗に整えられたふわふわのベッドに、ルナリアは全身の力が抜けていくのを感じた。


 リーリエ・ソルアから逃げきるって、思っていたより大変ですのね。


 それとも、殿下と会えないから力が出ないのだろうか。

 でも、今日は偶然にも殿下と会えた。

 なら意外と、そんな偶然がまたあるかもしれない。


 何よりも、生き抜かなければ何にもならない。


 明日もまた一日、逃げ切ってみせましょう。


 ルナリアは、心地良い眠気にそのまま身を委ねた。





 次の日、ルナリアはまたも朝早くに学園へ到着した。

 昨日と違うのは、すぐに教室には向かわなかったことだ。

 ルナリアは、学園の図書室に来ていた。


 借りる本をさくっと決めて、早く教室に向かいましょう。


 図書室から教室に向かう間にリーリエ・ソルアと出会ってしまったら、元も子もない。

 鉢合わせないように、わざわざ登校時間を早めているのだ。


 ルナリアは、図書室の手前にある棚を見ていく。

 この棚は、学術書を並べている棚のようだ。


 うーん、読んだことのない本がいいですわよね。


 どうせ借りるならば、初めて読む本が良いだろう。

 それと、読み応えのあるものの方が良い。

 頻繁に図書室へ来るのもリスクを高めるだけになってしまう。


 ルナリアは歩いている内に、魔法学の棚へと来ていた。


 「ルナリア嬢?」

 「え、ヴィーセン様?」


 棚の前には、ヴィーセンが居た。


 どうしてこんなところにヴィーセン様がおりますの!?


 この時期にイベントはあっただろうか。

 前世の記憶を辿ってみるけれど、朝に発生するイベントに心当たりはない。

 ではなぜここにいるのだろうか。

 シナリオとは関係ない、彼独自の行動なのだろうか。


 「あなたが図書室にくるなんて、珍しいですね。ここには殿下はいらっしゃいませんよ」

 「別に殿下を探しているわけではないですわ」

 「殿下のことを追い掛ける以外にも、能があったんですね」


 私のことをなんだと思っておりますの!?

 

 確かに殿下のことは大好きで、一秒でも多く一緒にいたいとは常々思っている。

 そのための行動が多いことも、自覚はある。

 でも、いくらなんでもそこまで言われる必要はないのではないか。


 「本を借りに来る以外に、何がありますのよ」


 図書室への目的など、普通はそれ以外にない。

 本を求めてくる場所が図書室だ。

 そうヴィーセンに伝えると、彼は肩をすくめた。


 「流石、次期王太子妃様は勤勉でいらっしゃいますね」

 「なによ。ではあなたは、何をしにここへいらしてますの」

 「本を借りに来たに決まってるじゃないですか」


 なんなんですのよ、この男!


 ルナリアは、扇で口元を隠す。

 奥歯からギリギリと音が出ていそうな気がした。


 殿下の側近だからって厚かましいにもほどがありますわ!


 昔から、何故だかルナリアに一々つっかかってくる。

 ルナリアが一体何をしたというのか。

 まったく心当たりがない。


 「次期宰相と名高いヴィーセン様には、物足りないのではなくて?」


 ふんっと顔を逸らす。

 ちらりと横目で見ると、ヴィーセンがルナリアに冷たい眼差しを送っていた。


 なんですのよ。

 先に煽ってきたのはそちらではありませんこと?


 何故そんな目で見られなくてはいけないのか、ルナリアは不満を覚える。

 彼の地雷でも踏み抜いたのだろうかと、ゲーム知識を呼び起こそうとする。

 しかし、ヴィーセンという男は昔からこんな男だった。

 ルナリアが何をしてもしてなくても、睨んでくるような男だった。


 ヴィーセン様にそこまで気を使う必要もありませんわね。

 私は当然のことしか言っておりませんし。

 

 ヴィーセンは、成績が優秀だ。

 全ての科目でトップクラスにいる。

 魔法学についても精通していて、魔法の扱いは上級者だ。


 モルガルテ侯爵家の貯蔵する本も、王城にある本も、ほとんど読んでしまったと聞く。

 そんな彼が、学園の本を借りに来ているのだ。

 返す嫌味としては適切だろう。


 「自由気ままに振る舞ってる君と違って、学べる時間は限られているのでね」


 ヴィーセンは一冊の本を棚から抜き取ると、ルナリアの横を通り過ぎていく。


 な、なんですのよ、あれは!


 ルナリアは人目がなくなったのを良いことに、扇を握りしめる。

 目が釣り上がっていることも、眉間に皺が寄っていることも、今は気にしないでいた。


 今の、私に言いましたのよね!?

 誰に向かって自由気ままだと仰ってますの!?


 妃教育で、かなりの時間を拘束されている。

 リーリエ・ソルアのせいで、学園での身動きも取りにくくなった。


 いえ、あの女への事情はヴィーセン様が知る由もありませんわね。


 そう考えると、急に理由もなく殿下に近付かなくなったルナリアは、自由気ままに見えるのだろうか。

 いや、殿下の優しさに甘えて分不相応に隣を歩くリーリエ・ソルアの方が自由気ままではないだろうか。


 ヴィーセンの立場を考慮して甘く採点するならば。

 学業に、王太子の従者としての仕事、モルガルテ侯爵家の跡継ぎとしての教育。

 宰相職は世襲制ではないが、その地位に付けるようにとの教育もされているだろう。

 多忙であることは間違いない。


 ですが、だからってあろうことに、私に向かって「自由気まま」とは失礼すぎますわよ!


 ルナリアは苛立ちを募らせたまま、目の前にある本を掴んだ。

 そして図書室のカウンターに叩き付け、本を借りる手続きをし、教室へ向かうのだった。


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