第14話 馬車ってこんなに遠かったかしら

 夜会よりも緊張しましたわ。


 疲れ果てながら、ルナリアは1階にたどり着く。

 そうっと覗き込んだ廊下には、リーリエ・ソルアの姿はなかった。


 胸を撫で下ろして、下駄箱へと向かう。

 学年とクラスごとに並んでいる下駄箱は、最上級生のものが一番階段に近い。

 その中でも、ルナリアの属するクラスが一番階段に近い配置になっている。


 ルナリアの属するクラスの下駄箱は、壁に付く形で取り付けられている。

 そこに向かい合うように隣のクラスの下駄箱が立つ。

 その背面に、そのまた隣のクラスの下駄箱がある。


 リーリエ・ソルアの下駄箱は、ルナリアの位置からは見えないようになっていた。

 なので靴を履き替えている分には、問題ない。

 むしろ安心して良いとも言えるだろう。


 しかし、である。


 下駄箱が連なる場所から一歩踏み出せば、そこは誰もが通る大扉がある。

 そこを潜り抜けるのには、学年もクラスも関係ない。

 この場合に至っては、身分すらも関係ない。


 つまり、この箱に囲まれた楽園から出てしまえば、待つのは緊張感漂うランウェイ。

 ここから門までの道のりは真っ直ぐだけれども、誰がどこから見ているかはわからない。

 リーリエ・ソルアが、うろちょろとしているかはわからない。


 屋上以外のイベントスポットへ行くには、必ずここを通りますものね。


 中庭、訓練場に行くならばここで外靴に履き替えてから外に出る。

 図書室に行くならば、上靴のまま外廊下を通って別校舎に行く必要がある。


 さて、リーリエ・ソルアはどの道を行ったのでしょう。


 あの女のそそっかしさなら、既に移動していてここにはいない可能性は高いですわ。


 しかし、念には念が必要である。

 ルナリアは、靴を履き替える。

 そして、一度深呼吸。


 気合を入れて、一歩踏み出す。


 まるでデビュタントの時のよう。


 初めての夜会も、すごく緊張して。

 扉を潜るのが、すごく怖くて。


 でもあの時は、優しく手を引いて下さる方がいらした。


 デビュタントに緊張しているルナリアを、優しくエスコートしてくれる王子様がいた。

 今は、その王子様は隣にいない。

 本当に、一人。


 とても心細いですわね。


 でも、やるしかない。

 いつまでもここに立ち尽くしているわけにはいかない。


 ルナリアは、顔をあげて一歩踏み出す。

 コツンっと革靴が音を鳴らす。


 さあ、行きますわよ。


 下駄箱で出来たパーテーションが途切れる。

 そっと、つま先を落とす。


 下校する生徒の波に、ルナリアも入っていく。

 真っ直ぐ、大扉に向かって歩いていく。

 

 扉の外に出れば、太陽の光が眩しくて、すこしだけ目を細めた。


 見える範囲に、桃色はいない。

 しかし、先程は思いもしないタイミングで横を通り過ぎて行った。

 まだ、気は抜けない。


 ルナリアは、慎重に歩いていく。


 ああ、校門までがこんなに遠く感じるなんて。

 生まれて初めての経験だ。

 いつだって、ここを堂々と歩いていた。


 この国最高峰の学園に通えることも。

 殿下と同じ学園に通えることも。

 将来のために沢山勉強できることも。

 

 すべて、誇らしいことだから。


 いつだって、やり切った顔で歩いていた。


 なのに、こんなにも足が重い。


 どうか、リーリエ・ソルアに出会いませんように。


 踏み出す一歩ごとに、そう願いを掛ける。


 ああ、どうか誰にも気取られませんように。


 たかだか平民ごときに、こんなにも怯えている様を誰にも見られたくない。

 たかだか平民ごときに、こんなにも怯えている様を誰にも知られたくない。


 いつだって、凛としたルナリア・エスルガルテで居たいのに。

 いつだって、完璧なルナリア・エスルガルテで居たいのに。


 全部あの女のせいですわ!


 鞄を握る手に力が入る。

 この数日で何回思ったかわからない。


 どうして、私がこんな目に合わなきゃいけないのか。

 どうして、あの女のせいでこんなことになっているのか。


 これを1年も繰り返さないといけないんですのね。


 それは闇落ちくらいしたくなるかもしれない。

 ルナリアは、ゲームの中の自分に思いを馳せた。

 将来、自分が辿っていたかもしれない自分に思いを馳せた。


 早くもくじけそうな自分が情けないですわ。


 いっそ、シナリオ通りに生きてしまえば楽なのかもしれない。

 いえ、どうあがいても楽には生きられない。

 シナリオ通りに生きたって、ルナリアが得られるものはないもない。

 虚しさが残るだけだと、知ってしまっている。


 ただ、どう苦しむかが変わるだけだ。


 すべて投げ出して、逃げてしまいたいですわ。


 リーリエ・ソルアからだけじゃない。

 学園からも、人生からも。

 全部全部を投げ出してしまって。

 全部全部から逃げてしまいたい。


 ルナリアの瞳に、少しだけ光るものが生まれる。

 そんな時だった。


 「おや、ルナリアじゃないか」


 それは天からの御遣い。

 神々しいほどの輝きに包まれて、降臨せしめし御方。

 我らがライズルド王国の第一王子。


 「リ、リヒャルト殿下!」


 ルナリアの前に、リヒャルト殿下が現れた。


 「帰るところかな?」

 「ええ、そうですわ」


 まさか、学園内で殿下と会えるなんて。

 更には会話まで出来るなんて。

 すっかり諦めていたルナリアは、天にも昇る心地だ。


 リヒャルト殿下に連れていかれるのでしたら、本望ですわ!


 「もし時間があるなら、一緒に中庭へ行かないか?」


 え、本当に天へのお誘いですの?

 まさか、殿下と会話するだけではなく、お誘いまでいただけるなんて。

 今日はなんといい日なのでしょうか。

 沈んでいた心も、空高く飛び上がっていくというものございます。

 やはり私を導いてくださるのは、殿下だけですわ。

 いつだって、殿下が私の行くべき道を照らしてくださいますの。


 はて、ところでなんで沈んでいたのでしょうか。


 ルナリアは、殿下の誘いを承諾するよりも前に、我に返る。


 ダメ、ダメですわ!

 このお誘い、受けてはダメですわ!


 一緒に中庭に入った先にリーリエ・ソルアがいる可能性が捨てきれない。

 確実にいないとわからない限り、中庭に行くことはできないのだ。


 なんということでしょう……私が殿下からのお誘いをお断りしなくてはならないなんて。


 不敬とか。

 不敬じゃないとか。

 そんなものよりも前に。


 大好きな婚約者に誘われて、喜ばないはずがない。

 それを断らなくてはいけないなど、身を引き裂かれそうな思いだった。


 心苦しいにもほどがありますわ。


 でも。

 だけど。

 だけれども。


 ルナリアは、断るしかないのだ。

 そこに、リーリエ・ソルアの影がちらついている以上。


 「折角のお誘いですが、本日は講師からの課題をやらねばならなくて……」

 「講師?」

 「ええ、妃教育のためにお呼びしている古代文字の課題が、少々手間取っておりまして」


 難しいと感じているのは本当だ。

 それに、今日帰宅したらやろうと思っていたのも本当だ。

 でも、殿下のお誘いを断らなければならないほど切羽詰まってはいない。


 ああ、申し訳ございません、殿下……!


 ルナリアの心と胃がチクチクと痛んだ。


 「そうか、それならば仕方ないね」


 殿下が、目を伏せられる。

 愁いを乗せた黄金の睫毛が、目の下に影を付ける。

 殿下が瞬きをして、羨ましい程に長い睫毛から風が巻き起こる。

 もちろん、ルナリアの気のせいだが。


 ああ、本日も殿下の睫毛が巻き起こす風を浴びてしまいましたわ。


 帰ったら、早速日記に書かねばなりません。

 将来、リヒャルト殿下の伝記が書かれる時の参考資料には、是非。

 是非とも、私ルナリア・エスルガルテの日記をお使いくださいませ!


 未来の見知らぬ誰かに、念を飛ばした。


 「ルナリアは、いつも頑張っていて偉いね」

 「そんな、殿下の婚約者として当然のことですわ!」


 それに、いつだって頑張っているのは殿下の方ですわ。

 勉学に政務に、生徒会にも所属しておりますし。

 お身体がいくつあっても足りないでしょう。

 そんな頑張り屋なあなたに追い付きたくて。

 それで私、頑張っておりますのよ。


 そう捲し立ててしまいたかった。

 けれど、殿下があまりにも柔らかく笑うから。

 ルナリアはその言葉を出す機会を、失ってしまった。


 「体を壊すようなことは、ないようにね」


 ルナリアの風に揺れた髪を一房、殿下の手が掬い取る。

 そして、髪の先に唇を触れさせた。


 どなたか、どなたかこのシーンをスチルに描き起こしてくださいませ!


 何故、自分はヒロインではないのだろうか。

 何故、これはゲームシナリオではないのだろうか。


 もしもこれがゲーム本編であったのならば、絶対スチルになっているのに!


 こんな悔しさを感じることがありまして!?

 いや、ありませんわ!


 悪役令嬢として破滅することを恨んではきましたけれども。

 ヒロインでなかったことを恨むことになるとは、思いもよりませんでしたわ!


 しかし、この殿下を独り占めできていると考えれば、それはなんと甘美なものだろうか。

 殿下の婚約者だから。

 だからこうして、殿下からの愛を受け取ることができるのだ。


 生まれてきてよかったですわ!

 ありがとう、お父様、お母様!

 ルナリアは幸せでございます!!


 「こういうのは、やはり照れくさいな」


 殿下が、ルナリアの髪から手を放す。

 重力に従って、髪が降りて行った。


 「いえ殿下。私の胸は大変ときめいておりますわ」

 「そう? 本当にそうならいいのだけれど」


 本当に決まっておりましょう!

 だって、殿下ですよ?

 リヒャルト王太子殿下に、あのようなことをされましたのよ!?

 喜ばない女がおりますでしょうか。

 否、おりません!


 しかし、私以外の女性にそのようなことをなさる機会もなかったでしょう。

 殿下は謙虚な御方でいらっしゃいますから、不安に思うのかもしれません。

 え、私以外にしたことはないですわよね?

 流石に、リーリエ・ソルアともそこまで親愛度上がってませんわよね?

 ええ、まだ始まったばかりですし、4月の時点でそこまで急激にあがるはずありませんわ。


 大丈夫、落ち着くのですよ、ルナリア。


 「殿下に愛を伝えられて、喜ばぬ令嬢などおりませんわ」

 「君がそう言うなら、そうなのかもしれないな」


 ええ、そうですわよ、殿下!

 そうなのでございますわよ、殿下!


 私は最高潮に喜んでおりますわよ、殿下!


 扇をさっと広げる。

 そうでなくては、口端が引くついていることが殿下にバレてしまう。

 にやけそうなのを我慢していることが殿下にバレてしまう。


 「ああ、引き留めてしまって申し訳ない」

 「そんなことありませんわ。殿下とお話できて、嬉しく存じます」

 「それでは、気を付けて帰ってね」

 「殿下も、良き一日をお過ごしくださいませ」


 リヒャルト殿下が中庭へと向かっていく背中を、ルナリアはうっとりと眺めていた。


 真っ直ぐ歩いているだけですのに、こんなにも美しいなんて。

 私は、あの方と共に歩く栄誉を与えられておりますのね。


 ほう、とため息が零れた。


 ああ、もう、お慕いしておりますわ、リヒト様。


 沈んだ心を一瞬で照らしてくださる、私の光。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

面白い! 続きが読みたい! と思ってくださった方は、

広告下↓↓↓にあります「☆」または「応援する」欄を押してくれると嬉しいです。


評価や感想は、今後の励みになります!

よろしくお願いします!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る