第13話 放課後の過ごし方を募集中ですわ

 どれほどイベントを把握していたとしても、把握しきれないものがある。


 それは、移動のタイミングである。


 ゲーム内では、その辺りの緻密な描写などない。

 ふんわりと授業が終わり、ふんわりと移動場所を選択できるようになる。

 それだけである。


 しかし、ゲーム世界で生活しているルナリアにとっては、すべて地続きのもの。

 移動という行為が必要である。

 それは当然、リーリエ・ソルアも同じである。


 ルナリアにとっては、一秒のズレが致命傷になる。

 こればかりはゲーム知識では補えないものであった。


 どうしましょう。


 ルナリアはゆっくりと帰り支度をしながら、懸命に頭を働かせる。

 下校が落ち着いて、確実にリーリエ・ソルアがイベントスポットに移動しているだろう時間を狙うか。

 しかし、ルナリアが最後まで教室に残って1人なるのは悪印象ではないか。

 もしも次の日にうっかりリーリエ・ソルアの上靴がなくなっていたら。

 最後まで残っていたルナリアが疑われることになるだろう。


 だって、ルナリア・エスルガルテはリヒャルト王太子殿下を取られているから。


 3日も我慢しきれなかったのね。

 そう思われて、疑われるのだろう。


 いきなりそんな陰湿なことしませんわよ。


 多分、と自信なく付け足す。


 人ごみに紛れて移動するしかありませんわ。

 ですが、その先でうっかり鉢合わせたらどうしましょう。


 もういっそのこと、土魔法で窓から階段を作ってしまいましょうか。


 窓の外を眺める。

 いや、そんな目立つことを毎日するわけにはいかない。


 うう、大人しく真っ直ぐ帰るしかありませんわよね。


 帰り支度が終わってしまったルナリアは、諦めて席を立つ。

 処刑台に行く人というのは、こういう緊張感の中で歩いたのだろうか。

 そんな途方もないことを考えた。


 クラスメイトが教室を出るのに続いて、ルナリアも廊下へ出る。


 心臓がかなりうるさい。

 顔を上げて、リーリエ・ソルアがもしいたらと思うとかなり怖い。


 ええい、しっかりなさい。ルナリア・エスルガルテ!


 ルナリアは気合を入れると、顔を上げた。

 彼女がいたら目を逸らして何処かに隠れればいい。

 いなければ、何事もなく馬車へ向かえばいい。


 当たって砕けるしかありませんのよ……!


 砕けてはダメなのだが。

 自分で自分に突っ込みを入れながら、ルナリアは姿勢を正して歩く。


 ルナリアを見た学友が、道を開けてお辞儀をする。


 「ごきげんよう」


 礼儀を重んじて挨拶をしてくれた学友に、ルナリアは声を掛ける。


 「ごきげんよう、ルナリア様」


 そう返してきてくれた女生徒の顔を見ずに、ルナリアは真っ直ぐ前を見て歩く。

 彼女と談笑するだけの時間を、ルナリアは持っていない。

 

 姿勢を正して、優雅に。

 しかし最大限に速く。


 ルナリアは、廊下を歩く。


 リーリエ・ソルアと鉢合わせる前に、どうにか階段まで行ってしまわないと。


 本当なら走って昇降口まで行きたい。

 しかし、それは淑女のすることではない。

 階段を駆け下りたというリーリエ・ソルアと同類になることは、絶対に嫌だった。

 そんなの汚名以外の何物でもない。


 そもそも、ルナリア・エスルガルテはリヒャルト王太子殿下の婚約者だ。


 いつだって誰かに見られている。

 いつだって誰かに値踏みされている。


 何かしでかせば、あっという間にその座から落とされるだろう。


 いや、そんな貴族社会の小難しい話よりも重要なことがある。


 リヒャルト殿下の御名に、傷を付けるなど論外ですわ!


 ルナリアが淑女らしからぬ振る舞いをすれば、笑われるのはルナリアだけではない。

 エスルガルテ公爵家も笑われるが、それよりも。


 婚約者であるリヒャルト王太子殿下まで、笑われてしまうのだ。


 王太子殿下は、自分の婚約者の管理1つ出来ないらしい。

 王太子殿下は、その程度の婚約者しか選べないらしい。


 そのような悪評を流されてしまうことになるだろう。


 ルナリアは、そのように教育されてきた。

 「笑われるのはあなただけではないのですよ」と、そう言われて育ってきた。


 両親も講師も皆が口を揃えてそういうのだから、きっとそうなのだ。


 だからルナリアは、常に優雅に振る舞わねばならない。

 常に完璧な淑女として、その場に立っていなくてはいけない。


 いくらリーリエ・ソルアから逃げて生き延びるためと言えど、淑女らしからぬ振る舞いはできない。


 未来がどうなろうとも、ルナリアはリヒャルト王太子殿下の婚約者であるのだから。


 むしろ完璧な淑女で居続けるために、あの女から逃げているといっても過言ではないですわよね。


 ルナリアは、リーリエ・ソルアが大嫌いである。

 前世の記憶を思い出しただけで大嫌いである。

 リーリエ・ソルアを思うだけで、怒りが湧いてくる。


 そんな中で顔を合わせたら、感情のままに動くだろう。


 それは、理想の淑女とはかけ離れた姿だ。

 それでもルナリアは、止まることができないだろう。


 実際止まれなかったから、ゲームでは悪役令嬢になったのですしね。


 淑女らしからぬ振る舞いをした。

 婚約破棄の理由はそれだった。

 それだけでもないのだろうけれども。

 少なくとも、味方が誰一人としていなかったのは、淑女足り得なかったからだろう。


 だからルナリアは、凛としてなくてはいけない。


 たとえ廊下の向こう側に桃色の髪が見えたって、走り出してはならないのだ。


 しかし、すごく緊張しますわね……!


 いつ桃色が見えやしないかと、ものすごく緊張しながら歩いている。

 この緊張が顔に出ていないと信じたい。

 正直、一歩踏む出すのが怖い。

 さっさと廊下を抜けてしまいたい気持ちと、一歩も動きたくない気持ちが混在する。


 この世界にも盗聴器や監視カメラがあればよろしいのに。


 前世の世界ではあった機械に思いを馳せる。

 しかし、それこそ仕込んだことがバレた時に取り返しがつかない気もする。

 この世界にあったとしても、この案はやめておこう。


 階段までの廊下が、とてつもなく長く感じる。

 しかし何事も終わりは来るもので、どうにか階段の前にたどり着いた。


 ここまで来れば、安全でしょう。


 ルナリアは、リズムよく階段を降りていく。

 リーリエ・ソルアが前にいるのか、後ろにいるのか。

 それは知りようがないけれど、同じ方向を向いて階段を降りるのだ。

 鉢合わせようがない。

 顔を合わせようがない。


 あとは速やかに靴を履き替えて、馬車へ行くだけである。

 しかしこのゲーム、中途半端に文化が混ざっている。

 貴族社会で名前はカタカナなのに、始業式は4月だし、校舎へ入るのに靴を履き替える。


 今まで何も思ったことはありませんでしたけれども。


 そこで生活してきたルナリアにとっては、違和感のないものだった。

 しかし、前世の記憶を思い出してしまうと、見え方が随分変わってしまうものだ。


 なんて、中途半端な設定なのでしょう!

 まあ前世の私も、気にせずプレイしておりましたけれども!


 前世では気にならなかった設定の杜撰さが、ルナリアになってからは妙に気になった。


 世界観設定の御方、もう少しどうにかならなかったのでしょうか!?


 いや、あくまでこれは乙女ゲーム。

 プレイヤーが入り込みやすいことが重要である。

 きっと、設定を考えた人もそういう結論に至ったのだ。


 たぶん、きっと、おそらく。


 ルナリアは、そう無理矢理自分を納得させた。

 妙に知識が出来てしまうのも考え物である。


 そんな風に、余計なことを考えていたからかもしれない。


 後ろのざわめきに、気が付くのが遅れた。


 とんっ、と軽やかな音で隣に降り立つ者がいた。


 反射でそちらに視線を送る。

 ルナリアは、悲鳴が漏れそうになった。


 ふわりと、肩より高い位置で切り揃えられた桃色の髪が揺れる。


 前だけを見た大きな瞳。

 楽しそうに上がっている口角。

 幼く感じられる丸い頬。


 リーリエ・ソルアが、ルナリアの横を通り過ぎて行った。


 軽やかなステップで、階段を降りていく。

 ターンをするように、踊り場でくるりと向きを変える。


 ルナリアは、思わず顔を逸らす。


 タンッタンッと足早な音が、徐々に小さくなっていった。


 いつの間にか止めていた息を、ルナリアはゆっくりと吐き出した。

 まだ、心臓がバクバクと大きく鳴り響いている。


 あ、あの女……階段を静かに降りたら死ぬ呪いにでもかかっておりますの!?


 階段を駆け下りていたという目撃情報は聞いていた。

 彼女の行動すべてが杜撰で物音が立つというのも聞いていた。


 しかし、駆け下りるまで行かなくてもあんな速度で階段を降りて来るとは聞いていない。


 これだから、これだからリーリエ・ソルアは……!


 ルナリアは、リーリエ・ソルアのお尻を扇で打ち付けたい気持ちを堪える。

 扇がミシミシと音を立てているが、どうにか堪えるしかない。


 階段で追い越されるなんて、想定外ですわよ!


 まさか階段を降りる速度がここまで違うと思っていなかったのだ。

 彼女が落ち着きのない人間であることを、計算しきれていなかったのだ。


 なんて品のない……!


 あんな女が殿下の隣で雑音を立てているのかと思うと、怒りがこみ上げてくる。

 お忙しい殿下に、静かな学園生活を送らせてあげてほしい。

 煩雑とした音を聞かせて、余計に疲れさせないでほしい。


 殿下が気にしていないとわかっていても。

 本当にダメなときなヴィーセンが止めているだろうと思っていても。


 それでも、直接言ってやりたい気持ちが沸々と湧いてくる。


 ダメ、ダメですわよ、ルナリア・エスルガルテ。


 ルナリアは、深呼吸をして気持ちを静める。


 リーリエ・ソルアには、関わらない。

 あの女にまつわることには首を突っ込まずに、学園生活を送るのだ。


 負の感情を募らせてはいけない。

 怒りに身を任せてはいけない。


 ルナリアは、ゆっくりと深呼吸をする。

 そして、驚きに止まっていた足を再び動かした。


 先ほどは、見苦しくない程度に早めを意識して降りていた。

 けれども今度は、なるべくゆっくりを意識して歩く。


 お淑やかな階段の降り方はこういうものだと、世界に知らしめるように降りていく。


 私は、リーリエ・ソルアとは違いますもの。


 あんな野蛮な降り方などしない。

 丁寧に、綺麗に、優雅に。

 どんな行動だって、指の先まで意識して繊細に。


 そう、その調子ですわよルナリア・エスルガルテ。


 自分にそう言い聞かせて、階段を降りていく。

 そうでないと、階段を駆け下りてリーリエ・ソルアの首根っこを捕まえてしまいそうだった。


 明日から、作戦を変更いたしましょう。


 ルナリアは、先程の憎き桃色を思い返す。


 絶対に絶対に絶対に、人の波が落ち着いてから帰宅いたしますわ!


 こんな緊張感と怒り、何度も味わいたくはない。

 ルナリアは、どのように放課後を過ごすべきか、思い悩むのであった。


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