第七章 暁天に吠える ~第四節~


◆◇◆◇◆


 群れをなして襲いくる蜂たちをすべて霜で凍りつかせ、珊釵は丸盾を激しく回転させた。

「格上ならともかく、格下の敵を二度も取り逃がすわけにはいかぬからな」

「格下っつったか、このガキが!?」

「ガキは貴様のほうだ」

「ぐっ!」

 珊釵の手を離れた霜華月輪を細剣で受け止めた瞬間、峰児の身体が大きく吹き飛び、石畳に叩きつけられた。

「ぶっ、武獄! あのガキを握り潰せ!」

 峰児に追いすがろうとする珊釵の前に、黒い鎧の巨漢が割り込んでくる。その巨大な大刀の下を高速で駆け抜け、珊釵は舌打ちした。

 三対三の激闘によって、広い境内の石畳は無残に掘り返され、拝殿も本堂もほとんど破壊されている。とにかく武獄、戦獄と呼ばれる大男たちが、周りのことなど何も考えずに得物を振り回して珊釵たちを追い回すせいで、あれほどの威容を見せていた万寿游仙宮ももはや見る影はない。

「埒が明かないわね……珊釵どの!」

 傍若無人な戦獄の方天戟をかわしながら、天香が叫んだ。

「本官も同じことを考えておった。……蛟仁どの、しばし時間を稼いでもらえぬか?」

「わ、私ひとりで――いえ、やりましょう!」

 ぶるっと小さく武者震いをして、蛟仁が手にしていた剣を地面に突き刺す。

「――若輩の身ではとても雨雲など呼べませぬが、悪漢相手ならむしろこちらのほうがふさわしいでしょう!」

 蛟仁が両手で複雑な印を結ぶと、その頭上に青白い小さな雲が渦を巻き始めた。と同時に、高度を取った珊釵と天香も、口を揃えて祭文を唱え始める。

ちんこくちんがくせいめいれんこんだい――」

「!?」

 上と下、珊釵たちと蛟仁とを見くらべ、峰児はわめいた。

「――上だ! あいつら何かヤベーことやる気でいやがる! あっちを先に潰せ!」

「そうはいきません!」

 蛟仁が高くかかげた両手を振り下ろすと、小さな雲から細かいきらきらと輝くものが峰児たちに降りそそいだ。

「うぁち!? ――こ、なっ? う、鱗!?」

 蛟仁が作り出した雲が雨のように降らせたのは、一枚一枚が刃のように鋭い縁を持つ小さな鱗だった。それをまともに浴びるはめになった峰児は頭をかかえて逃げ惑っていたが、武獄と戦獄は怯むことなく珊釵たちに突っ込んでいく。

「珊釵どの、天香どの!?」

 蛟仁の叫びにも珊釵たちは動かなかった。祭文を唱えるのを中断して回避するより、このまま最後まで唱えきるほうがいいと判断したのである。

「――くっ!」

 蛟仁は剣を引き抜き、戦獄に追いすがった。しかし、峰児に指示された敵を攻撃することしか考えられないのか、背後から接近してくる蛟仁のことは一顧だにしない。戦獄の背中にしがみついた蛟仁は、長剣を逆手に持ち替え、鎧の隙間から相手の首のつけ根に切っ先をねじ込んだ。

「!」

 その瞬間、それまで一瞬も休むことなく暴虐の刃を振るっていた戦極の動きが、目に見えてがくんと鈍った。

 だが、武獄のほうはそのまま珊釵に肉薄し、大刀を振り上げた。

「珊釵どの!? 逃げてください!」

「……!」

 ふたたび蛟仁が叫んだが、それでも珊釵は動かない。

 代わりに、珊釵と武獄の間に唐突に伍先生が現れ、腰に佩いていた剣を抜き放った。

「夫差より下賜された名剣、属鏤しょくる――私の細首を落としただけではあまりにもったいない。呉のためにもうひとはたらきしていただきましょう」

 あざやかな光とともに鞘から走り出た剣が、大刀を握り締める武獄の右手の指をばららっと斬り飛ばした直後、伍先生もまた武獄の大刀をその身に受けた。

「――みょうしんれいろくとくせい!」

 すぐかたわらを唸りをあげて大刀が駆け抜けていくのに目を細めもせず、珊釵は祭文を唱え終えた。

南斗降なんとこう雷撃らいげき!」

 珊釵がかざした霜華月輪から赤い雷がほとばしり、目の前の武獄を撃ち据えた。さらに、それからほんのわずかに遅れて天香の持つ砕星鉄騎からものたうつ蛇のような赤い雷が地上に向かって走る。複数の南斗星君が少しずつずらして降雷撃を放つことで、その威力を飛躍的に上昇させる聯撃れんげきが、ささくれだった境内に叩きつけられた武獄と、首から鮮血を噴き上げる戦極を直撃した。

「…………」

 ふたりまとめて雷に撃たれた武獄と戦獄は、それでもまだ立ち上がろうとしている。南斗星君の必殺技をまともに食らって立てるというのは、すさまじいほどの耐久力といわざるをえない。

 しかし、珊釵は目の前の敵を放置し、倒れ伏した伍先生のもとへ駆けつけた。

「先生! 大丈夫か!?」

「はは……珊釵どのこそ、ご無事ですか……?」

 肩口から脇腹にかけてばっさりと斬られた伍先生は、口もとを真っ赤に染めて弱々しく笑った。ふつうの人間なら即死間違いないほどの深手だが、人ならぬ身の伍先生にとっても、これはかなりの傷に違いない。

「しょせん私は亡者、尋常の得物など通じぬと思って無茶をしましたが……邪仙の使う武器が亡者にも通用するのを忘れておりました――」

「何を馬鹿な……そのようなこと、判っておったはずであろう!? 向こうは土地神を瞬殺する相手なのだぞ!? 先生とて今は土地神と大差ない存在だというのに……」

「それもそうですな、はは……ぐふっ」

「先生!? 今すぐ戻って――」

 またあらたに血を吐いた伍先生は、自分を背負おうとする珊釵を押しとどめた。

「我ながら差し出がましい真似をいたしましたが……珊釵どのは大事なお役目の最中、私のことはお構いなさるな。それよりも、あの者どもを先に――」

「…………」

「呉の――蘇州の民をお救いください。お願いいたします……」

「判った。……張三郎!」

「へい! ここに!」

 珊釵の呼び出しに、張三郎と界隈の土地神たちがすぐさま姿を現した。

「先生がいささかはっちゃけてお怪我をなさった。急ぎ屋敷にお連れして手当をしておけ。絶対に外に出すなよ?」

「へいっ!」

 瀕死の伍先生を張三郎たちに託し、珊釵は丸盾を持って走り出した。

「――さっさととどめを刺して星秀と合流するぞ!」

「ナメてんじゃねー! オメーらもいつまでも寝てんじゃねーぞ!」

「…………」

 峰児の叱咤を受けて、武獄たちはぎしぎしと音がするようなぎこちない動きで立ち上がった。

「図体のでかいお仲間の陰に隠れて頭をかかえていたくせに、偉そうなことをいうじゃない、あなた?」

「うるせー!」

 蛟仁の鱗の豪雨を浴びた峰児は、あちこちから血を流しながら、挑発するようなことをいう天香へ突っ込んでいった。


◆◇◆◇◆


 曲がりくねった階段を雲に乗って駆け抜け、地下の大広間に突入した星秀は、黄珠の姿を捜して周囲に視線を走らせた。

「奥さん!?」

 がらんとした巨大な空間に人の気配はほとんどない。点々とともされた篝火がかろうじて押しのけている闇には、間違いようのない血の臭いが強くこびりついており、その中央には、天井から赤い布で吊り下げられた美女と、それを見上げる長身痩躯の男の姿があった。

「!」

 天井から吊られている美女はまぎれもなく黄珠だった。すでに意識がないのか、苦しげにかぼそい呻きをあげるばかりで、やってきた星秀にも気づいていない。そしてそれを見上げる男の手には、冷たい輝きを放つ赤い棒が握られていた。

「お、おまえ……奥さんに何をした!?」

「…………」

 星秀の声に、男は肩越しに振り返った。境内にいた武獄たちと同じような、古めかしい意匠の黒い鎧に身を包んだ男は、手にしていた棒をかかげ、

「何をしたというより、今まさに何かをやっている最中なのだ。……じきにそれも終わるが」

 よくよく見ると、男の持つ棒と吊られた黄珠とが、おびただしい数の白い糸でつながれていた。その糸はうっすらと発光しており、まるで規則正しく血液を運ぶ血管のように脈動を繰り返している。そしてその脈動は、黄珠から紅色の棒のほうへと何かが流れ込んでいることをしめしていた。

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