第七章 暁天に吠える ~第二節~

ごく! せんごく! あの派手な鎧の連中は食っていーぜ!」

「…………」

 物騒な峰児の指示に、巨漢たちはおのおのの得物を振りかざし、珊釵たちに襲いかかった。

「図体のわりには……よく動く」

 武獄と呼ばれた巨漢の大刀は、刃の部分だけで小柄な珊釵の背丈と同じくらいの長さがある。いかに守りに強い珊釵といえど、まともに受けるのは危険だった。

「星秀!」

「判ってるよ!」

 すでに境内には信徒たちの姿はない。万寿宮にいる人間たちはあらかたすべて眠りに落ち、今は香炉の中で桃源郷の夢を見ていることだろう。ただ、人間ではなくなった黄珠は、星秀たちと同様、この煙を吸ってもおそらく眠りには落ちない。まだこの万寿宮のどこかに捕らわれているはずだった。

「! テメーはアレか、あの女を取り戻しに来やがったのか!?」

「小娘、貴様の相手は本官だぞ?」

「となると……おのずとあのデカいのの相手はわたくしたちということになるわね。よろしくて、蛟仁どの?」

「承知しました」

 役目を終えた香炉を、ひょっこりと姿を現した張三郎に渡して伍先生の屋敷へ向かわせた蛟仁は、やや緊張の面持ちで背負っていた長剣を引き抜いた。

 かたや珊釵、天香、蛟仁――それに対するは、峰児、武獄、戦獄。

 峰児はともかく、新顔の武獄と戦獄はどういう相手か判らない。もしかしたら、珊釵たちのほうが分が悪いということもありえる。

 が、星秀は迷うことなくその場を離れて半壊した本堂の中に向かった。

「小僧!?」

「悪いけど、性格の悪いおまえやそっちのむさくるしいふたりの相手なんかしてられないね! 僕は天下の三宝浪子、南斗大理星君なんだ、もっと花のある見せ場の多い任務が待ってるんだよ!」

 峰児たちの相手を仲間に任せ、星秀は黄珠を捜した。

 恃みとするのは時にしゅくほうりょくれいから変態っぽいといわれる星秀の特技――好みの美女の体臭を正確に嗅ぎ分ける、その嗅覚だった。


◆◇◆◇◆


 どこか遠くで何かが崩れる音がして、この広い空間全体がみしりときしんだような気がした。

「…………」

「ご案じめさるな」

 天井を振り仰いだ楽嬰に、きょふうがいった。

「天軍の奴ばらが乗り込んでまいったのでしょうが……峰児には武獄と戦獄をつけてございます。仮にあの者どもが敗れるようなことがあろうとも、ここへいたるまでにはまだ充分な時がございます。よしんば今すぐここに神将どもが現れようと、ひんどうが食い止めますゆえ、今は儀式のことだけをお考えくだされ」

「……そうだな」

 地上の万寿宮とは正反対に、この地下の大広間には飾り気というものがない。土中をくり抜き、床から壁、天井までを石を積んで組み上げただけの、殺風景な空間である。

 その中央に、八本の赤い布によって自由を奪われた文黄珠が天井から吊り下げられていた。

「その布は――」

 黄珠を見上げ、楽嬰は静かにいった。

「ゆっくりと、やんわりと貴様を締め上げるようになっておる。今の貴様の力は、そういったものに対してはほとんど効果を発揮せぬこと、すでに調べがついておる。いくらあがこうと、ただ疲れるだけよ」

「……!」

 青ざめた黄珠の顔にはじっとりと汗がにじんでいる。しかし、それは決して疲労から来たものではない。自分の足下で繰り広げられた惨劇に恐怖を感じ、我知らずあふれ出た脂汗であろう。

 珊瑚で作られた長い棒を右手に持ち、楽嬰は左手の羽扇の柄を軽くひと振りした。

「……いい表情じゃ」

 真っ赤に染まった八枚の羽根が、ぽたぽたと血のしずくを垂らしながら楽嬰の手もとに戻ってくる。吊られた黄珠を中心として、その周囲八方に、道袍姿の女たちが死相を見せて横たわっていた。どの女たちも、その首にぱっくりと大きな傷口が開いている。ついさっき、楽嬰の羽扇から離れた八枚の羽根が、八人の女たちを同時に絶命させたのである。

 彼女たちの骸から流れ出た鮮血が、床に掘られた溝にみちびかれ、真紅の太極図を描き出していく。なすすべなくそれを見下ろしていた黄珠は、唇を震わせてようやく口を開いた。

「な、なぜあなたはこんな真似を――」

「この世界が間違っておるからだ」

 血の太極図が描かれていくのをじっと見つめ、楽嬰は淡々と答えた。

「この世界は間違っておる。どこかで間違ったのだ。……おそらく、女神がお隠れになったその時から」

「……え?」

「この世界を救い、人間たちを生み出したのは誰か? ――それは我らが女神である。しかるになぜ、今この世界は、天界に住む者どもによって支配されている? 君臨すべきは我らが女神ただおひとりであるべきだ」

「それは……そ、そんなこと、おかあさまは望んではおられない!」

「黙れ!」

 珊瑚の棒で床をがつんと叩き、楽嬰は黄珠の震え声をさえぎった。

「得意げにおかあさまなどと呼ぶな! 百歩ゆずって、この世界に生きる人間どもであるなら、我らが女神を母と呼ぶのも許そう。女神が泥より生み出した人間であればな。しかし貴様はそうではない! 人間でないばかりか、生き物ですらなかった! ただの石ころのくせに!」

 早口で一気にまくし立てた楽嬰は、左手の羽扇そのものを黄珠に向かって投げつけた。その羽根は軽くやわらかそうに見えて、その実、人肌をたやすく斬り裂く凶器である。それは黄珠もすでに目にしたはずだった。

「!」

 思わずといった様子でぎゅっと目をつぶった黄珠の眼前で、楽嬰の羽扇が消滅した。

「……貴様は石だ。石でなければただの力だ」

 深く静かな呼吸で昂った心を鎮めながら、楽嬰は続けた。

「人ですらない貴様が女神を母と呼ぶなどおこがましい……そんな貴様がなぜ女神に愛されている? なぜそのような姿をあたえられ、わがままを許された? 今の世に女神の教えをこれだけ広めたこのわたしではなく、なぜ貴様が――どうして貴様がそこまで女神の愛を独占しているのだ!? その愛は、このわたしこそが享受すべきものではないのか!?」

「あ、あなたは……自分が何者なのか、覚えていないのですか……?」

「……何?」

 珊瑚の棒をへし折らんばかりに強く握り締めた楽嬰は、頭に乗せていた冠を投げ捨て、上目遣いに黄珠を見上げた。

「……どういう意味だ?」

「あなたは……昔のあなたは、もっと純粋で――」

「楼主」

 足音もなくすぐそばまで歩み寄っていた虚風祖師が、孫娘の耳もとでささやいた。

「……太極図が仕上がりましてございます」

「判った」

 額に垂れかかる黒髪をかき上げ、楽嬰は血臭を胸いっぱいに吸い込んだ。

「……どのみち貴様はここで消え去り、我が力の一部となる。そしてその力をもって、私はこの古い世界をすべて破壊し、女神にご再臨いただくのだ。今度こそ、間違いのない、正しく美しい世界をお作りいただくために――」

「違う! おかあさまは今はただ、人の住むこの世界を――」

「もう黙れ。……石ころ風情が」

 楽嬰は右手で印を組み、左手に珊瑚の棒を持って高くかかげた。

「!」

 楽嬰の袖の中からまたあらたに無数の赤い帯が飛び出し、珊瑚の棒と黄珠に絡みついた。

「ああっ!?」

 珊瑚と黄珠をつなぐ帯が異様な輝きを放ち始める。その輝きが徐々に強くなるにつれて、黄珠の表情も苦悶にいろどられていった。

「ふふ……もはや人でなくなった貴様に、女神があたえたその人の姿ももはや必要あるまい? さっさと本性を現すがいい!」

 苦しむ黄珠を見上げ、楽嬰は楽しげに笑った。

「貴様がどこにいるのか、何百年も捜し続けたが……今にして思えば、そのようなことはさしたる労苦ではなかった。むしろ、どうやって貴様に人でいることをやめさせるか、その手立てを考えるほうがよほどの難事であった」

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