第六回 人をやめるということ ~第三節~
「ムリしてんじゃねーよ! けっこう深手だろ、テメーよ!」
「むっ……」
峰児が一気に踏み込んでくる。それを迎え撃とうとしたとたん、星秀ののどに熱い血の塊が込み上げてきた。峰児のひと刺しによって、すでに星秀の肺には小さな傷がついていたのである。
気道をふさぐ血を吐き捨て、星秀は峰児に斬りかかったが、その動きは精彩を欠いていた。
「顔色ワリーな! そろそろ死ねよ!」
力のこもっていない雷閃蛇の一撃を細剣で払い落とし、峰児は星秀のみぞおちを蹴りつけた。ふだんならこの程度でよろめきはしないし、もっといえばみすみす食らうこともないのに、今の星秀にはそれをかわすことも踏みとどまることも難しかった。
「ぐ――」
大きくよろめいた星秀は、雷閃蛇を地面に突き刺してどうにか身体をささえた。
「――死ねっつってんだろーが!」
「ぶむ!」
峰児は星秀の顔面に左手を押し当てて背後の木の幹に叩きつけると、細剣を逆手に持ち替え、星秀の首すじに突き立てようとした。
「――駄目っ!」
横合いから飛び出してきた黄珠が、峰児の腰にしがみついた。
「邪魔してんじゃねーよ! さっきの聞いてなかったのかテメーは!? 最悪死ななきゃ半殺しにしたっていーんだぞ!? 痛い目見たくなきゃおとなしくしてろ!」
「きゃっ!?」
邪魔に入った黄珠を振り払い、峰児は細剣を振りかぶった。
「だっ、駄目――」
よたよたと這うようにして、黄珠は星秀と峰児の間に割り込んだ。
「は!? バカか、テメー!?」
「奥さん!?」
黄珠の脳天を割ってしまう前に、峰児は反射的に剣を引こうとしたのかもしれない。ただ、それはまったく意味のない行動だった。
「――――」
黄珠に触れる前に、峰児の剣がこなごなに砕け散った。途中で折れたのではなく、その刀身が細かな金属のかけらとなって飛び散ったのである。
「……へ?」
小さなかけらが頬をかすめ、浅く裂けた肌に血がにじんでいるというのに、それにも気づいていないのか、峰児は手もとに残った細剣の柄を見つめてぽかんとしている。
「な、何だこれ……? マジ、何が……」
「悪いね」
「いぎっ!?」
呆然としている峰児の一瞬の隙をついて、星秀は峰児の脇腹に雷閃蛇を打ち込んだ。ほとんど振りかぶることなく、小さく素早く振り抜いた一撃には、妖女を輪切りにするほどの力はなかったが、代わりにその刃には赤い雷光がともっている。
「うぎぎぎぎ――い、いてえ、て、てっ、テメー……!」
派手に吹っ飛ばされた峰児は、脇腹の傷を抑えてのたうち回っている。
「そんなさあ……へそ周りが剥き出しになってるような、見た目優先の鎧着てるほうが悪いんじゃない?」
「星秀さま、大丈夫ですか!?」
黄珠に身体をささえられ、星秀はその場にへたり込んだ。
「ぼ、僕は何とか……それよりも奥さん、さっきのは――」
峰児の細剣を粉砕したのは星秀ではない。あれは明らかに黄珠を守る目に見えない力がやったことだった。だが、永遠に転生を繰り返す以外に何の力も持たないはずの黄珠に、そんな芸当ができるはずはない。
「わ、わたしは――」
星秀のその疑問に対し、黄珠はじっと自分の手を見つめていた。
「重畳である!」
「! 誰だ!?」
突如降ってきた声に星秀が視線を上げると、いつの間にそこへやってきていたのか、緋色の道袍の美女が黒雲を踏んでふたりを見下ろしていた。
「何があったかは判らぬが……ようやった、峰児」
「が、楽嬰サマ……?」
苦痛に呻いていた峰児が、忽然と現れた美女を見上げてまたもやぽかんとしている。星秀も黄珠も、彼女を見上げて目を丸くしていた。ただひとり楽嬰と呼ばれた美女だけが、羽扇で口もとを隠して楽しげに笑っている。
「よもや一番の難題が勝手に解決されようとは思ってもみなかった……これで我が悲願は成就したも同然! さあ、来るがよい、文黄珠!」
「あ、あなたは――」
「すでに儀式の準備もすんでおる」
楽嬰が羽扇をひと振りすると、その背後から八本の赤い帯のようなものがしゅるしゅると伸びてきて、またたく間に黄珠の手足に絡みついた。
「え!? きゃ――」
「お、奥さん!?」
赤い帯は決して黄珠を傷つけることなく、しかし幾重にも絡みついて徐々にその自由を奪っていく。両手と両足を縛られた黄珠がその場に倒れるのを見た星秀は、肺の中に熱い血があふれるのを感じながらも、どうにか立ち上がって帯を切断しようとした。
「無礼者が!」
ふたたび楽嬰が羽扇を振るうと、八枚の羽根が柄からはずれて高速で空を飛び、それぞれが別の方向から星秀に襲いかかった。
「うっ!? わわっ……あだっ!」
星秀の周囲を縦横に舞い飛ぶ羽根が、星秀の鎧に細かな傷をつけていく。あたりに霧のように血が舞い、星秀の視界を赤く閉ざした。
「おっ、奥さん……!」
戦袍を血で染めて、星秀はその場にぐったりと倒れ伏した。
「星秀さま!?」
涙交じりに叫ぶ黄珠は、気づけば完全に楽嬰に絡め取られていた。
「うぐぐぐ……はっ、放せ、放せよ、奥さんを――」
「死にぞこないが何をほざくか」
どうにか立ち上がろうとする星秀を傲然と見下ろし、楽嬰は羽扇の柄を振り上げた。
「――お待ちなさい!」
楽嬰の殺意に反応した羽根が無防備な星秀に殺到する寸前、夜空から降ってきた赤い流星があたりに強い風を巻き起こした。
「…………」
「て、天香ちゃん……?」
星秀の前に立ち、刃の羽根をすべて叩き落としていたのは、赤い鎧に身を包んだ鄧天香だった。すでにその手には彼女の身分をしめす槍――
「またひとりで勝手に出歩くなんて……わたくしたちや伍先生の苦労も少し考えたらどうなの?」
星秀を振り返ることなく、じっと楽嬰を見据えたまま天香が呟く。
「まあ、説教はまたあとですることとして――どういう状況なのかしら、これ?」
「ぼ、僕に聞かれてもねえ……とりあえず、美女をかどわかすやつは悪役って決まってるだろ……?」
「ふん。今は貴様らの相手をしている時ではないわ」
天香というあらたな敵を迎えても、楽嬰の余裕は崩れない。左腕に黄珠を捕らえたまま、楽嬰は背後の峰児にいい放った。
「――ついてこられぬようなら見捨てるぞ、峰児?」
「は、はい!」
「お、おいっ!? 奥さんは置いてけ! っていうか、そもそも――」
胸を押さえて身を起こそうとしていた星秀は、楽嬰が黒雲を起こしてひょいと飛び乗るのを見て瞠目した。
「えっ!?」
「天軍の神将がいかほどのことがあろうか? いずれこの世界の秩序のあり方も変わるのだ、貴様らも今のうちから身の振り方でも考えておくがよい」
そういい残し、楽嬰は黄珠を小脇にかかえて飛び去った。
「お待ちなさい!」
「待てといわれて誰が待つかよ、バーカバーカ!」
楽嬰のあとを追って舞い上がった峰児が柄だけになってしまった細剣を振るうと、またもやどこからか雲霞のごとき蜂の群れがやってきて、追撃に入ろうとした天香に襲いかかった。
「……虫は嫌いなのよ、わたくし!」
彼女らしくもなく舌打ちし、天香は星秀の後ろ襟を引っ掴んで大きく飛びのいた。
「……力の加減が意外に面倒ね」
飾り気のない質実剛健な作りの槍を片手で振り回し、天香はささやかな赤い稲妻を起こしてつきまとってくる蜂の群れを焼き払った。星秀や天香がうっかり力を出しすぎると、蜂の群れを焼き尽くすだけでなく、周囲の木々まで燃やしてしまうかもしれないからである。
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