第六回 人をやめるということ ~第二節~
「――テメー!?」
その瞬間、ぼふんと小さな煙を発して現れた黄色と黒の鎧姿の女が、雷閃蛇の一撃を細剣ではじこうとして吹っ飛ばされていた。確かあの日、
「意外に目ざといじゃねーのよ、このガキ……」
「小さな虫に化けて僕の不意をつこうだなんて甘い、甘すぎる、甘ったるすぎるね。殺気が強すぎてバレバレだっていったろ?」
「
穿山が女を睨みつけて吐き捨てるようにいった。
「貴様の取り柄は不意討ちくらいだろうが、それもしくじるとは……」
「あ!? ナメてんじゃねーよ。死なすぞ?」
「俺は一向に構わんぞ。ここには楼主や祖師の目もないからな。……だが、まずはこの小僧を始末してからだ」
「へへっ……なら、最後に生き残ったほうが楽嬰サマのお褒めの言葉をもらえるってわけか。それいーじゃねーの!」
「……僕を倒せること前提? 何をいってるんだ、おまえたちは?」
「そりゃそーだろ! テメーなんざ数のうちにも入らねー!」
下品に唾を吐き捨て、峰児は細剣で突きかかってきた。その突きは鋭く速い。咄嗟に身をかわした星秀のかたわらで、代わりに巨木がズタズタになっていた。
「姉弟子に押されてた程度の腕前でよくいうよ!」
穂先と石突をたくみに使い分けて峰児の突きをさばきながら、星秀は穿山の動きにも気を配っていた。
理由はよく判らないが、やはり穿山たちは黄珠を無傷で連れていきたいようで、廟の中から恐る恐る顔を覗かせている彼女に――今のところは――手を出す気配はない。ただ、彼らのその考えが永遠不変とはかぎらないし、もし黄珠がこの場から逃げ出そうとすれば、ふたりのうちどちらかはすぐに彼女を抑えにかかるだろう。いずれにしても気は抜けない。
「よそ見してんじゃねー!」
星秀の意識が穿山に向いた隙をつくように、峰児の突きが襲いかかってくる。さらにそれとほぼ同時に、穿山が狼牙棒を横殴りに繰り出してきた。
「と!」
狼牙棒を蛇矛で逸らした星秀は、流れるような動きで穿山のみぞおちに
「ぐぬ……っ!」
星秀よりわずかに小柄な穿山の身体が派手に吹っ飛ぶ。しかし穿山は、背後にあった木の幹を蹴って反転し、身体を丸めて逆襲に転じた。
「うわ!?」
穿山の長い髪が丸まった身体をおおい、さらにその一本一本が太い針に変じた。その危険さは、すでに星秀も承知している。
「おっ、おまえ、さては針鼠か!?」
妖魔妖仙の多くは、飛び抜けて長生きをした動物が神通力を得たものが多いが、おそらく峰児と穿山の正体は、それぞれ蜂と針鼠なのだろう。
「この……っ!」
星秀は雷閃蛇の持ち方をいつもと少し変え、唸りをあげて突っ込んできた穿山を打ち返した。
「ばっ……ってーじゃねーか、テメー!?」
飛んできた時に倍する速さで打ち返された穿山が杉の巨木にめり込む。あやうく仲間の直撃を食らうところだった峰児は、穿山の針がかすめたのか、脇腹に幾条もの血の線を引かれて激怒していた。
「――ウチの邪魔しかしねーならそこで見物してやがれ!」
少し相対しただけで、峰児と穿山が犬猿の仲だということはすぐに判った。ただ、それは星秀にとっては決して悪い話ではない。ふたりの間に悪い意味での競争心があるなら、連携して星秀を追い詰めてくることはないだろう。
「仲が悪いな、おまえら!」
峰児の突きを雷閃蛇ではじき、身体をひねって相手の脛のあたりを払うと、峰児が体勢を崩してつんのめった。
「わだっ!?」
「今の僕は相手が女だからって手加減はしないんだよ!」
「……俺を忘れるな、小僧」
「ふがっ!」
峰児の背中を踏み台にして、穿山が殴りかかってきた。
「く……っ!」
蛇矛をかざして狼牙棒を受け止めた星秀は、穿山の胸もとに右手を押し当てた。
「はっ!」
星秀がその気になれば、この山を丸ごと全部焼き尽くすくらいの雷撃を放つことができる。この至近距離で直撃させれば穿山を一撃で倒すことも可能だろう。しかし、そんなことをすれば麓に住む人々を巻き込みかねないし、何より黄珠も無事ではすまない。だから星秀は、威力を抑えた雷撃をてのひらに集中させ、掌底とともに打ち込んだ。
「ぐぉ――」
穿山の身体が先ほどよりもさらに派手に吹っ飛んでいく。それに追いすがり、星秀がとどめを刺そうとした時、黄珠の悲鳴が聞こえてきた。
「!?」
振り返ると、黄珠が蜂の群れに囲まれていた。
「ほ、峰児……楼主のおいいつけを、忘れたか――」
「うるせー!」
穿山が苦しげにいうのを見て、峰児が憎々しげにわめいた。
「――殺さなきゃちょっとくらい痛めつけてもかまわねーって、楽嬰サマはそうおっしゃっただろーが! ――おら、ガキ! どーするよ、なあ!?」
「どうするって、決まってるだろ!」
星秀はすぐさま黄珠のそばに取って返すと、小さな雷を宿した蛇矛を振り回して蜂を追い払おうとした。だが、一〇匹や二〇匹の蜂を落としたところで焼け石に水、襲いかかってくる蜂の数はむしろどんどん増えていく。
「奥さん、ちょっとしゃがんで!」
「は、はいっ!」
黄珠を自分の足元にしゃがみ込ませると、ふたりの周囲を囲い込むように赤い稲妻を走らせた。鳥籠のように展開した雷光が、殺到してくる膨大な数の蜂をことごとく焼き尽くしていく。
その間に、峰児はへたり込んでいた穿山の足首を掴み、片腕でかるがると振り回した。
「お次はテメーだ! 行ってこい!」
「貴様――」
「ちょ……っ!?」
無造作に投げ飛ばされた穿山が、星秀の雷光の籠に触れて激しい火花を散らす。仲が悪いとはいえ、まさか峰児がここまでするとは思っていなかった星秀が、驚きに目を見開いたその時だった。
「ぐ……!?」
焼け焦げて異臭を放ち始めた穿山の身体をつらぬいて伸びてきた鋭利な切っ先が、さらに紅玉の鎧すら貫通して星秀の胸に突き刺さっていた。
「星秀さま!?」
黄珠がそれに気づいて悲鳴をあげる。
「……ガキがよー、あんまウチをナメんなよ……」
そう吐き捨てた峰児は、雷光の火花さえ届かない位置から一歩も動いていない。ただ彼女が持つ細剣の刀身だけが一丈以上も伸びて穿山の身体を貫通し、星秀を刺しているのだった。
「お、おまえ……こいつ、仲間じゃ、ないのかよ――?」
雷閃蛇でどうにか細い刀身をへし折ったところで、星秀はその場にがっくりと膝をついた。
「は? そのまま突っついたらウチまでしびれるじゃねーか」
峰児が細剣をひと振りすると、途中で折れた刀身がすぐに再生した。
「――だから死にかけのそいつに緩衝材になってもらっただけだろーが。死にぞこないが最後に役に立ったんだ、本望じゃねーの?」
峰児にそう嘲笑われた穿山は、星秀の目の前で、焼け焦げた蜂たちの死骸にまみれて倒れている。おびただしい鮮血を流し、おまけに全身焼けただれていて、明らかにもう息がなかった。
星秀は両足に力を込めて立ち上がり黄珠を背後にかばってふたたび身構えた。
「……は? あきらめがワリーな、テメーも」
口もとに張りついていた残忍な笑みを消し去り、峰児が不機嫌そうに顔をしかめる。
「…………」
星秀は別段、穿山を憐れんだわけではなかった。黄珠をさらおうとした時点で同情の余地はいっさいないし、仲間割れによって命を落としたとしても、自業自得としか思わない。ただ、こうして平然と仲間を踏み台にするような女に黄珠を渡すわけにはいかないと、あらためてそう強く思っただけだった。
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