第四回 繰り返す女 ~第四節~
「やはりおふたりともご存じないようですわね」
「初耳だ。先生は?」
「私もです。……おい、
先生がそう呼ばわって手を三回叩くと、四阿の前に地面から浮かび上がるようにして痩せぎすの老人が姿を現した。
「お呼びでしょうか、伍先生?」
その場に平服した老人がこの地の
「ちょっとおまえに聞きたいことがあってな。……こちらは鎮嶽星君どののご同輩、南斗保命星君どのだ」
「ははあ、ってぇことは、大理星君さまの……」
「うむ。確かおまえは、たびたび大理星君どのに呼び出されて、そのお供をしていたはずだな?」
「そりゃあ……はい。ここ二日ばかりは呼び出されておりやせんが、確かに少し前までは、日に何度も舟を出せとのおいいつけで」
「なら、文黄珠という女に心当たりはないか?」
「文黄珠? ……ああ、あの未亡人」
「知っているのか?」
「へえ、
「舟遊び? 舟遊びと申したか、今?」
張三郎の言葉に、珊釵が鋭い反応を見せる。張三郎は慌てて首を振り、
「い、いえ! 大理星君さまが舟遊びをしてたわけじゃござんせん! 舟遊びをしてたってェのはお相手の未亡人のほうでして……たまたまガラの悪い連中に絡まれてたのを、大理星君さまがさっと助けてさっと立ち去り――」
「あの星秀が女を助けて何もせずに立ち去ったと申すか?」
「え、ええ、その時はまあ……」
「その時とは?」
「そこがあっしにも判らねぇんですがね――」
張三郎はそこできょろきょろとあたりを見回した。
「……大理星君さまはいらっしゃらねぇので?」
「うむ、おらぬ。だから遠慮なく申すがよい」
「でしたら……」
と、張三郎は少しずつ語り始めた。
「その女が、星秀の素性に気づいておる……だと?」
「あの未亡人がふつうの人間なのは間違いねぇはずなんですが、大理星君さまはそうなんじゃねえかと……ただ、千里眼でも持ってるんじゃねえかというくらいに勘がいいってのは、あっしもちょいと感じておりやして」
「わたくしにもそのようなことをいっておりましたわ。どうもふつうの人間とは思えない、と」
「ふむ」
珊釵が腕組みして天香を見やる。
「星秀がわざわざ天界まで行った理由はそれで判った。――それで、肝心のその女の素性はつまびらかになったのか?」
「ええ。結論からいえば、文黄珠は人間です」
「間違いないのだな?」
「南斗と北斗、両星君府の帳簿に間違いはありませんわ」
「そうか」
「ただ、気になることがあるといえばあります」
天香は懐からまたあらたな紙を取り出して卓の上に置いた。
「これは、文黄珠のひとつ前の人生――つまりその女の前世とその生没年です。そしてこれがさらにその前世」
「……私はこういうことには詳しくないのですが」
紙に記された文字列を凝視し、伍先生が疑問の声をあげた。
「これを見るかぎり、この女性は、いつも女性に生まれ変わっていますね。偶然でしょうか?」
「偶然かどうかはまだ何ともいえませんけど、とりあえず前世を一〇代までさかのぼって調べたかぎりでは、この女はつねに女として生まれ、しかも、かならず黄珠と名づけられているのですわ」
「ふむ……偶然だとすればすごい確率だな」
「それだけではありませんよ、珊釵どの。細かい数字をよくご覧ください」
歴代の黄珠の生没年と死因を指ししめし、伍先生はいった。
「――この女性、一〇回のうち八回まで三〇歳で病を得て鬼籍に入り、時を置かず生まれ変わっております。残りの二回は幼子のうちに不慮の事故で命を落としておりますが、それでも一年と待たずに生まれ変わっております」
「確かに……それは妙だな」
「ええ、わたくしがもっとも気になったのもそこですわ」
一〇回続けて女に生まれ変わることも、そのたびに親が黄珠と名づけるのも、奇跡に近い偶然がかさなった結果と考えられなくもない。しかし、伍先生が指摘したように、死んだばかりの人間が、同じ年のうちに生まれ変わるというのは不自然だった。
「死者はかならず冥府に送られ、十王たちの前で生前のおこないを明らかにされるもの……そして、その功罪に応じて生まれ変わる先が決められると決まっております」
「うむ。その審判にはそれなりに時間がかかると聞いておる。何しろ、毎日この世界では膨大な数の人間が死んでおるからな。審判を待つ死者の列は気が遠くなるほど長いらしい」
「では、一年も待たずに生まれ変わる先が決まるというのは……?」
「ありえないことではないが、異例中の異例であろうな」
死後、めぐまれた環境への生まれ変わりが約束されているような、歴史に名を遺す徳の高い僧侶や名君であれば、そうした特例もあるかもしれない。しかし、平凡な人間の生まれ変わりでそれが一〇回も続くようなことはありえなかった。
「今、わたくしの部下たちにもっとさかのぼって調べさせておりますけど……おそらく結果は同じでしょう」
「つまりこの女性は、三〇年ごとに生まれ変わって黄珠という女の人生を繰り返す……ただの人間、ということですか?」
「そうとしかいえませんわね」
「そ、そんな人間がいるんですかい?」
神仙たちのやり取りに、思わずといった様子で張三郎が口をはさむ。だが、天香もその無礼をとがめる気にはなれなかった。
珊釵は冷めかけてしまった茶をすすり、天香にいった。
「てっきり星秀が助平心を出してこの女の素性に興味を持っただけかとも思ったが……これは何か裏がありそうだな」
「ええ。ですからわたくしがここまで来たのです。――ところで、肝心の星秀くんはどこにいるのです?」
「本官が最後に見たのは天界に向かう時だが……先生も見ておらぬのだろう?」
「はい。張三郎も見ていないということは、まだ下界に戻っていないのでは?」
「そんなはずはございません。星君府に顔を出したあと、ほどなくして南大門を出ていったことははっきりしておりますから」
「では星秀はどこにおるのだ?」
「張三郎」
「へ、へい! ちょっくら例の未亡人の屋敷の様子を見てまいりやす!」
先生のひと言でその意図を察した張三郎が、すーっとその場から姿を消す。
「……ただ、ここで星秀を締め上げたところで、あらたに判ることは何もないだろうな。天香、何かいい知恵はないか?」
「星君府は、いわば数字を記録して保管しておくだけの場です。つまり、どうしてその数字になったのかという事情については知りようがございません。この文黄珠の、偶然で片づけるには不自然すぎるここまでの生まれ変わりに、何かしらの裏事情が存在するのであれば……そうですわね、冥府にでも行って、その審判を下した十王たちにじかに聞くのが一番かと」
「そのようなつてがあるのか、貴様?」
「残念ながら」
これが本当に任務に深くかかわることであるなら、天香や珊釵の上役に当たる
小間使いから熱い茶のおかわりを受け取ると、珊釵はそれを一気に飲み干して大きな溜息をついた。
「……いっそその女を引っ立ててきて、じかに話を聞いてみるか?」
「珊釵どの、それはさすがに乱暴すぎますわ」
「星秀はその女にかまけて任務をおろそかにしておる。少なくとも、本官の立場ではそう評価せざるをえぬ。……天香、貴様なら判るであろう? このままではあやつが熒惑さまからお叱りを受けるのは目に見えておるではないか」
「確かに……あの一件以来、星秀はまるで任務に身が入っておりません。その上この体たらくでは、何かしらの処分が下されてもおかしくはございませんわね」
「不躾ですが、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
額を突き合わせて低く唸っている女たちの間に、伍先生がそろりと割って入ってきた。
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