第四回 繰り返す女 ~第三節~

「俺相手に取りつくろっている暇があるなら、すぐにでも捜しにいったらどうだ?」

「いえ、それは……」

「まさか金槌か、おまえ?」

 そこに嘲笑の色はない。ただ、やや意外に思っているような様子はあった。

「そうおっしゃる穿山どのは、水の中はいかがです?」

「……得意ではないな」

「では、私は穿山どのの一〇〇倍は水が苦手なのだとお考えください。たとえ避水呪を使ったとしても、水の中になど入る気にもなりません」

「そうか……しかしどうする?」

「ここまで秘密裏に動いていたにもかかわらず、こうもあっさりと天軍の神将に嗅ぎつけられるとは解せません。以前から我々の動きに天界が目をつけていたということも考えられるのでは?」

「それは……俺には判らん。祖師そしか楼主にでも聞くほかあるまい」

「どのみち、湖底に逃げ込んだ相手を捜すのであれば、人手が必要になります」

「いったん戻るしかない、か……」

「――――」

 文静と穿山は同時に空を見上げた。

「……面倒なのが来たぞ」

「ええ。私とは別にまん寿じゅきゅうに戻っていったはずなのですが、あちらでも何かあったようですね」

 低い空を、黒雲に乗った峰児ほうじが飛んでくるのが見える。文静と別れた時とは違って鎧に身を包んでおり、しかも一戦終えたあとのようにぼろぼろだった。

「――はぁ!?」

 ぶすくれた表情で雲の上に座り込んでいた峰児は、文静といっしょに穿山がいることに気づいたのか、目を見開いて立ち上がった。

「テメー、どうしてここにいやがんだよ!? ウチの手柄を横取りするつもりか!?」

「……横取りする手柄があればいいがな」

「あ!? 何だテメー!? ……ってか、おい文静、例の女はどーしたんだよ? もう楽嬰がくえいサマのところにお届けしてきたのか?」

「いえ、それは……」

 苦笑しそうになるのをどうにか耐えて神妙な顔を作り、文静はことの経緯を説明した。

「は!? そんじゃオメー、またしくじったってことじゃねーか!? どーしてくれんだよ文静、オメー!」

「まずはお怒りをお鎮めください、峰児どの」

 激昂する女戦士をなだめ、文静はいった。

「……見たところ、峰児どのも何者かと派手におやりになったご様子ですが?」

「あ!? そ、そりゃー……まー、あー、そーだな……」

 性格に難ありとはいえ――いや、あの性格だからこそ、峰児の強さに疑いはない。そんな峰児がここまで手傷を負っているということは、相手はそれなりの強敵――おそらく神将だろう。詳しく話を聞いてみると、やはりそれらしい少女が現れ、一戦交えたのだという。

「こちらに現れた少年と峰児どのが戦った相手……おそらくどちらも南斗星君でしょうが、少なくとも手練れの神将が二名、このあたりに下りてきているということです」

「北斗と南斗は玉帝の戦車、天軍の先鋒ともいわれるとか……気は進まんが、楼主にお伝えしてご裁可を仰ぐべきだろう」

「は!? カンタンにゆーんじゃねーよ! こっちはもうしくじれねーんだよ!」

「俺の知ったことか」

「テメー!」

「ご両所、どうか仲間割れはおやめください」

 穿山と峰児の間に割って入り、文静はいった。

「……楼主のご機嫌をそこねることにはなるでしょうが、さすがにこれは不可抗力というもの、楼主もお許しくださるでしょう」

「そ、そーか?」

「はい。何より、天軍が嗅ぎつけてきたとなれば、それこそ峰児どのの武が必要になってくるというもの。楼主もかならずやお許しくださいます」

「あー……ま、そーだな!」

 不安と怒りが入り混じった不機嫌そうな顔をしていた峰児は、文静の言葉にぱっと顔を輝かせた。頭に血が昇りやすい反面、気持ちの切り替えも早いのが、この女の長所といえば長所かもしれない。

 穿山は重い溜息をもらし、

「……早く戻って事情をご説明しなければならんな」

「はい」

「そーいやよ」

 さっきまでとは真逆のあっけらかんとした表情で、峰児は葦を焼き払った時の熱気がまだ残る湖の上をぐるりと見渡した。

「――その南斗星君のガキが水に潜って逃れたってんなら、どーしてオメーらも追いかけなかったんだよ?」

「…………」

 文静と穿山は無言で顔を見合わせた。

「……まさかオメーら、揃って泳げねーのか?」

「人には得手不得手というものがありますから。……それでは峰児どのが、今からでも南斗星君を追ってとどめを刺してきますか? 私と穿山どのにさんざん追い回され、今頃は死に体といったありさまでしょうが」

「いや、ウチはその――」

 にんまりと笑って男たちの顔を見くらべていた峰児は、自分に話を向けられると、とたんにそっぽを向いて言葉を濁した。

「……ひとりくらい水が得意な者を連れてくるべきでした」

 文静は肩をすくめ、仲間たちと連れ立って雲を踏んだ。


◆◇◆◇◆


 鄧天とうてんこうはほかの南斗六星たちよりも役所に詰めている時間が長い。そういう事務方の仕事を得意にしていることと、出不精ということもあって、同僚たちの月番を肩代わりすることが多いのである。

 その天香が、珍しく下界へやってきたのは、伍先生の屋敷に珊釵が戻ってきて数刻のち、もう日も暮れかけた頃のことだった。

 高い空からすさまじい速さで蓮池のある中庭へと落下してきた天香は、地面すれすれのところで光の雲を作って激突を回避し、くるりととんぼ返りして何ごともなかったように着地した。

「……雑な来着だな」

 池のほとりの四阿あずまやにいた珊釵が、空から落ちてきた天香を見て陰気に笑っている。

「この刻限にのんびり光の雲で飛んでいると、嫌でも目立ちますでしょう? できるかぎり人目につかないよう、最短距離を飛んでまいりました」

「貴様なりの気遣いというわけか?」

「そんなところですわ」

 額にかかる前髪をかき上げ、天香は珊釵に歩み寄った。

「……あら? 何があったのです、珊釵どの?」

 袖から覗く珊釵の手に包帯が巻かれていることに気づき、天香は首をかしげた。

「怪しげな賊とやり合ってな」

「お相手はラーフ軍の残党ですの?」

「詳しいことはまだ判らぬが……蜂を呼び寄せて手足のようにあやつる女で、いいところまで追い詰めたのだが、惜しいところで逃げられてしまってな」

 珊釵が包帯の巻かれた両手を袖の中に隠し、軽い嘆息交じりに答えると、屋敷の中から慌てた足取りでなかなか端整な顔立ちの中年男が出てきた。

「これはこれは……もしや珊釵どののご同輩でしょうか? おいでになられる予定があったのなら、前もってお教えくださればよろしいのに」

「すまぬな、伍先生。だが、別に本官が呼んだわけではないのだ。むしろ急にここに現れたので本官も驚いてるところでな」

「は?」

伍子胥ししょどのですわね? わたくしは南斗六星のひとり、めい星君の鄧天香と申します。突然お邪魔した無礼をお許しください」

 天香は慇懃に一礼し、自分がここへやってきた理由を説明した。

「――実は少し前、南斗星君府のほうに星秀くんが顔を出したのですわ」

「星秀が? ……そういえばふらっと出ていってそれきりであったな」

 珊釵が怪訝そうな顔をする。それを見て、天香はやや得心するところがあった。

「珊釵どののその反応から察するに、やはり星秀くんの用事というのは、お役目とはあまり関係がなかったのですわね」

「お役目……とおっしゃると、ラーフ軍の残党捜しのほうですかな? それとも下界の廟を荒らして回っている連中の捜索の件でしょうか?」

 屋敷の小間使いたちに急いで茶の用意をさせていた伍先生も、どこかいぶかしげな表情だった。

「――とにかく、まずはお座りください」

「ありがとうございます」

 天香は珊釵の隣に腰を下ろし、あらためて語り出した。

「それで、貴様はあの小僧から何を頼まれたのだ?」

「この女の素性について調べてほしいと」

 天香は懐から女の名前が書かれた紙片を取り出し、石造りの卓の上に広げた。

ぶん黄珠……? 何者だ?」

「それをわたくしに調べてほしいというのです。お役目にもかかわってくることだから、詳しい話はできない、とも」

「…………」

 珊釵は眉をひそめて先生の顔を一瞥した。が、先生のほうもわけが判らないといった様子だった。

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