第四回 繰り返す女 ~第二節~
「きゃっ!?」
「無粋なヤツだな、まったく!」
悲鳴をあげる黄珠を背後にかばい、星秀は男を迎え撃った。雷閃蛇の穂先が男の鉞の刃を打ち返すたびに、竹林の静けさを押しのけて赤い火花が飛び散る。
「!? 何だ?」
一〇合、二〇合と打ち合いを続ける間に、星秀はひりひりとする肌の痛みを感じ始めていた。気のせいか、刃と刃がかさなるたびに飛び散る火花が激しく大きく、熱を帯びてきている。
いや――それは得物同士がかち合うことで生じる火花ではなかった。男が振るう鉞そのものが炎を発しているのである。
「――うわ!?」
あやういところで星秀がかわした鉞が、すぐそばに生えていた太い竹をあっさりと輪切りにする。と同時に、鉞の刃にともった炎によって瞬間的に熱せられ、節の内部の空気が膨張して切断された竹がはじけ飛んだ。
いつしか男の鉞は、刃から炎を噴き上げているのではなく、炎そのものが刃と化していた。あたりの気温が上昇し、星秀の額にも汗がにじみ始める。
「ジョーダンだろ……!」
「何がだ!? 冗談だと思いてえのはこっちなんだよ、ガキが!」
こうなると、間近で打ち合うことすらあやうい。星秀はまだしも、人の身の黄珠ではかすめるだけでも大火傷を負いかねなかった。
「く――」
星秀は蛇矛を右の小脇にかかえるようにして短く構え、空いた左手で黄珠をかばうように立ち回らざるをえなかった。周りのことを気にせずにすむ大空での戦いなら、素性も判らないような三流妖怪ごときに後れを取るつもりはないが、脆弱な人間を守りながらとなると、さすがに勝手が違いすぎる。
「お、おまえ――そもそも何なんだよ!?」
この男がわざわざ怪鳥に変化していたということは、黄珠を生かしたままどこかに連れ去るのが目的だったのだろう。そうでないのなら、黄珠を殺して――ただの骸として――雲で運び去るのが一番面倒がない。
だが、怒りに任せて鉞を振り回す今のこの男からは、黄珠を生け捕りにしなければならないという配慮は微塵も感じられなかった。星秀が守っていなければ、黄珠はとっくにふたりの戦いに巻き込まれて命を落としていただろう。
「……それとも、僕が彼女をかばうのを前提で戦いを有利に進めようって腹か? そうか、そうなんだな!? そういう卑怯なヤツなんだな!?」
「何をごちゃごちゃ……やかましいんだよ! だったら女を盾にでもしてみるか!? それで俺が遠慮しなけりゃ女は一瞬で死んじまうけどよ!」
「ぐっ……!」
男が頭上で鉞を回転させ、大袈裟な一撃を繰り出してくる。間合い的に刃は届かなくても、そこから生み出される炎の渦は――星秀はともかく――人間などたやすく消し炭に変えてしまうだろう。
その時、つねに黄珠を守りながら戦わなければならない星秀の、精神的な死角を突くように、唐突な凶刃が降ってきた。
「っ……!?」
激痛に視線を落とすと、星秀の右の太腿に、太い針のようなものが突き立っていた。
「……脳天に当ててやるつもりだったが、狙いが逸れたか……」
聞き取りづらい男の声に頭上を振り仰いだ星秀は、自分たちの真上に黒雲に乗った猫背の男がいるのに気づいた。
「今度は……はずさん」
男がぶるんと頭を振ると、星秀の太腿に刺さったのと同じ針が数本、すさまじいいきおいで飛んできた。
「なっ……ずるいぞ、仲間かよ!?」
黄珠を抱きかかえて左足一本で後方へと逃れようとした星秀へ、すかさず鉞の男が肉薄してきた。
「
笑み交じりにそういいながら、男が鉞を横一文字に振るう。
「星秀さま!?」
異様な音とともに紅玉の薄片が飛び散った。重い衝撃に続いて、激しい痛みと熱が立て続けに星秀を襲う。胸当のどこかに亀裂が走り、そこから灼熱の炎が入り込んできたのだと察した時には、星秀は素早く雷閃蛇を小さく縮めながら、その切っ先で胸当を固定していた飾り紐を断ち切った。
「づっ……!」
一瞬で熱せられた鉄鍋のようになっていた胸当を引き剥がし、星秀はそのまま悲鳴をあげる黄珠をかかえて逃げ出した。左足だけで不格好に地を蹴り、一気に竹林を飛び出す。
「うぐぐぐぐ……!」
星秀は唇を噛み締め、苦痛の呻きがもれるのを懸命にこらえていた。
じわじわと肌をただれさせる熱い痛みは、星秀が初めて経験するものだった。胸にわだかまる熱が少しずつ奥深くに染み込んでくるような気がする。火傷らしい火傷を負ったことのない星秀には、自分の胸の火傷がどれほどひどいものなのかは判らない。ただ、決して軽いものでないことだけは見当がついた。
「……逃がすな、
猫背の男がわめくのが聞こえた。
「帰りが遅いおまえたちの様子を見にきただけの俺が、取り逃がした落ち度を
「判っておりますよ――」
振り返らなくても、男たちが追いすがってくるのは判っている。文静と穿山――たがいにそう呼び合っていた男たちは、星秀と違って光遁の雲を使って空を飛ぶことができる。右足を負傷した状態で走って逃げる星秀では、どう逆立ちしても逃げ切ることはできない。走りながら小刻みに進路を変え、男たちに捕らえられるのを先延ばしにするだけで精一杯だった。
「も、もうすぐ――」
地面がぬかるみ、視界の大半を生い茂る葦が埋め尽くすところまで逃れてきた星秀は、口の中で短く呪文を唱え、黄珠もろとも川の中へ飛び込んだ。
「くっ……往生際の悪い真似を!」
文静が振るった鉞が小さな炎の嵐を生み出し、あたりの葦を薙ぎ払った。ちょっとした燎原の炎といった感があるが、完全に水中に没している星秀には関係ない。
「へ、へへ……」
「これは……星秀さま、どうして、水の中で――」
星秀にかかえられた黄珠が不思議そうにあたりを見回している。
今の星秀たちは、避水呪が作り出した泡に包まれている。避水呪は自分自身の周囲に空気を取り込んだ力場を作り出し、濡れることなく快適に水中を移動できるようにするための術だった。水中限定とはいえ、今の星秀にとっては走るよりもよほど速く逃げられるし、同時に文静の炎の鉞も無効化できる。
紡錘状に変形した泡の中に横たわるような恰好で川面を見上げた星秀は、水面より上の世界で派手な炎が何度となく舞っているのを見て、ようやく笑みをこぼした。
「あいつ、ひょっとして泳げないのか……? はは、まあ、いいや……このまま、湖まで逃げ込めれば――」
水深の浅い川ではどこまで行っても逃げ切れないが、それなりに深さのある湖なら、文静たちの追撃を振り切れるかもしれない。今はとにかく黄珠を連れてこの窮地を脱し、どうにか珊釵か
「星秀さま、あなたはやはり――」
途中で消え入った黄珠の呟きに、星秀が左腕に力を込めようとした刹那、泡を貫通して降ってきた穿山の針が数本、星秀の肩や背中に突き刺さった。
「がっ……」
「星秀さま!」
耳もとで響いた黄珠の悲鳴が、一度は遠くなりかけた星秀の意識をかろうじてつなぎ止めてくれた。
「あ、あの、野郎――」
襟から引き抜いた雷閃蛇を、縫い針のような小ささのままで頭上に差し向ける。高速で後方へ流れていく川面の向こう側にかすかに黒く見えるのが、おそらく穿山が乗る光遁の雲だろう。
血の味のする咳をこらえながら、星秀は次の針が飛んでくる前に、黒雲を狙って赤い稲妻を放った。
◆◇◆◇◆
文静は湖上から一丈ほどの高さに雲を浮かべ、黄珠の姿を捜した。
「クソが……何なんだ、あのガキは!? どこへ隠れやがった!?」
文静と穿山からそれぞれに痛いのをもらって、かなりの深手を負っているのは間違いない。いかに南斗星君といえど、あのままではそう長くはないだろう。そう思って湖の上を雲で流しているが、いっこうにあの神将が浮上してくる気配はない。
「……それがおまえの本性か」
伸び放題の粗野な黒髪をちりちりに縮れさせた穿山が、笑っているような憮然としているような、どうにも掴みづらい顔をしてやってきた。
「まあ、もともと慇懃無礼な男だ、さして驚きもない」
「…………」
訥々とした穿山の言葉に、文静は大きく嘆息し、額にかかった前髪の乱れを整えた。
「……お見苦しいところをお見せしました」
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