第三回 魔蟲 ~第六節~
「――――」
昨夜の雨の湿り気がかすかに残る見晴らしのいい道の上で、峰児は少女と無言で睨み合っていた。
山門のところまで下りてきた時には少女はいなかった。男たちがいたあたりを調べていたものの一分ほどの間に、どこからか唐突に現れたとしか思えない。というより、峰児にはこの少女がただの人間ではないことが一瞥しただけで判っていた。
「そこの貴様」
帯飾りをいじりながら、少女は低い声で峰児に呼びかけた。幼さを残したその見た目に反し、理知的だが尊大な、陰気な声色だった。
「――貴様、人ではないな?」
「だから何だよ? そりゃあテメーもだろ?」
こうして対峙していれば嫌でも判る。目の前にいる少女は神か仙人のたぐい――峰児が人間ではないことをひと目で見抜いた上、ああして平然としていられるということは、おそらく荒っぽい展開にも慣れているのだろう。
しかし、それはそれで峰児も望むところだった。
文静の指示にしたがって文黄珠はすでに拉致した。策は九割九分までなったといっていいだろう。ならば今、あちらから仕掛けてきたものを返り討ちにするのに何のためらいもなかった。
峰児は肩口に流れてきた髪をいじりながら、少女を挑発するかのように笑った。
「――そもそもそんなこと聞いてどーすんだ? まさかよ、人以外にゃ生きる権利ねーとでもいーてーのか?」
「そうはいわぬが……貴様から血の臭いがするぞ? 人の血の臭いがな」
「はあ? だから?」
「人を殺したのか?」
「おいおい、決めつけはよくねーな! きょうはまだ殺してねーっての!」
「きょうは……か。いかにも人殺しが好きそうな目をしていると思っておったが、血の臭いが身体に染み込むほどの殺人狂とはな。貴様を見逃さなかった本官の眼力に間違いはなかったか。さすがは本官」
「ホンカンホンカンて、だいたい何なんだよ、テメーは? あんまイラつかせると、きょうウチに最初に殺されるのはテメーってことになんぞ?」
峰児は目を細め、戻したばかりの簪をふたたび引き抜いた。だが、峰児の恫喝にも少女は態度を変えない。
「殺人狂をこのままにもしておけぬが、貴様には、同じように殺人を意に介さぬ物騒な仲間がいるのではないか?」
ぼそぼそと呟いた少女が、ふと視線をめぐらせて遠くを見やる。そのまなざしが万寿宮がある方角に向いていると気づいた瞬間、峰児は目を見開いて地面を蹴った。
「テメー……楽嬰サマに何かする気か!? だったらブチ殺す!」
峰児の手の中で簪が剣に変わり、その切っ先が風を切って少女の首へと走った。
「……貴様、口が軽いな。というか、アタマがよくないな」
帯飾りの璧をかざして峰児の不意討ちをはじき返し、少女は陰鬱で皮肉っぽく笑った。
「こういう時は口をつぐんでおくべきだと思うが」
「うるせー!」
峰児はいったん剣を引き戻し、すぐさま鋭い突きを放った。
「ふん」
衣の裾をひるがえして大きく後ろに飛びのき、少女は峰児の神速の刺突をかわした。
「知り合いに頼まれて、このあたりを少し散歩してたところだったが……先生も本官に負けずおとらずいい眼力をしておるようだ」
ぼそりと笑った少女が軽く投げ上げた璧が、落ちてきた時には青白い輝きを放つ丸盾に変わっていた。
「さて……貴様にはいろいろとしゃべってもらうか」
「うるせーってつってんだよ!」
峰児が繰り出す剣の切っ先を、少女はすべて盾で受け流した。
「こちらからも行くぞ」
少女は盾の縁の八方に生えていた突起を引き抜き、峰児目がけて投じた。
「飛刀――!?」
矢よりも速く飛んでくる鋭利な刃をはじき、峰児は眉をひそめた。峰児も身のこなしや素早さに自信はあるが、守りの堅い相手に距離を取って戦われるのは分が悪い。というより、それ以前に苛々してくる。
「……しょせんは飛刀だろ!」
峰児が小さく口笛を吹くと、彼女がまとっていた衣が一瞬で吹き飛び、代わりに彼女の全身を艶光る鎧がおおっていた。漆のような黒と琥珀を思わせる黄色――その二色であざやかに塗り分けられた鎧をまとい、そのくせ細い腰回りは剥き出しのまま、細身の剣を振るう峰児の姿は、さながら巨大な雀蜂のようだった。
「さては貴様、蜂のバケモノか? ……だとすれば、本官に出くわしたのは運がなかったな」
さほど驚いた様子もなく、少女は次の飛刀を引き抜いた。
「いってろっつーの! 残りはこれで六本だろーが!」
飛んできた飛刀を、鎧に守られた左手で無造作にはじいた峰児は、しかしその直後、左手を襲った違和感に息を呑んだ。
「!?」
峰児の左の籠手が薄い氷の膜に包まれている。理屈は判らないが、今はじき飛ばした飛刀が原因だということは何となく察した。
「テメ……っ!?」
左腕に力を込め、強引に氷を割り砕いた峰児は、あらたな飛刀を投じてきた少女を見て、また大きな驚きに襲われた。少女が構える丸盾の周囲に、細かな氷の粒をともなう冷気が渦巻いている。そしてそれがまたたく間に形を変え、少女の指先で飛刀になっているのだった。
「数も数えられぬか? 残りは八本。――永遠にな」
「クソが!」
口汚い罵倒の声とともに、峰児は次々に投げつけられる飛刀をかわして空に飛んだ。足元に黒い雲を起こしてそれを踏み締め、同時に剣を鳴らしていったんは追い散らした蜂たちをもう一度呼び寄せる。
「ほう?」
光の雲を踏んで追いかけてきた少女が、雲霞のごとき蜂の群れを見て飛刀を打つ手を止めた。
「このガキが……全身穴だらけにしてやんよ!」
峰児の殺意に呼応し、おびただしい数の蜂たちが少女へと殺到する。その群れは、少女を完全に包み込んでなおあまりあるほどだった。
が――。
三度目の驚愕は、耳障りな鎖の音といっしょに飛んできた。あの丸盾が、縁に並ぶ飛刀の刃をきらめかせ、激しく回転しながら蜂の群れを突っ切ってきたのである。
「――おいい!?」
咄嗟に剣をかざした峰児の身体が、丸盾の重さ、衝撃を受け止めきれずに吹き飛ばされる。もしこれが鎧に守られていない腹にでも直撃していたら、間違いなく命はなかっただろう。
「こ、てっ、テメー、このガキが……」
「本官をガキ呼ばわりとは、つくづく目がくもっておるようだな」
鎖によって引き戻された丸盾が蜂の群れを引き裂き、その中から無傷の少女が平然と姿を現した。ただし、さっきまでとはまるで違う、紅玉の薄片を綴り合わせて作ったかのような、見事な赤い鎧に身を包んでいる。
「――玉帝の御前に控える天の戦車、南斗六星君のひとり南斗鎮嶽、
「な、南斗鎮嶽……? ってことは、テメー、南斗星君か!?」
「だからそう名乗ったであろうが、たった今」
「だとしてもガキはガキじゃねーの!」
峰児も脛に傷のある身、これまでにも天軍の神将とは何度か戦ったことがある。とはいえ、ここまでの大物と対峙したのはさすがに初めてだった。南斗星君といえば北斗星君と並び称される天軍の精兵中の精兵、ひと山いくらの下っ端神将とはわけが違う。それはここまでのわずかな攻防ですでに判っていたが、だからといって踏みとどまれるほど、峰児の殺傷衝動は軽いものではない。むしろ、相手が天軍の最前線で戦い続けている南斗星君のひとりと聞いたとたんに、峰児の敵意と殺意はさらに大きくふくれ上がっていた。
「威勢だけはいいな、小娘」
少女――珊釵はあざけるように笑うと、雲を駆って峰児に迫った。
「ちっ」
舌打ちする峰児の目の前へと、冷気をまとった円盤が飛んでくる。細い剣で受けるには危険な一撃だった。
それをかわした峰児は、本能にしたがって逃げようとする蜂たちに、珊釵への攻撃を命じた。天軍の神将に蜂の毒が致命傷になるとは思わないが、目潰しくらいの役には立つだろう。
「……本官に会ったのは運がないといったであろうが?」
珊釵が飛刀を投げると、触れてすらいないというのに、その射線近くにいた蜂たちの羽根が瞬時に霜でおおわれ、飛べなくなって次々に落ちていった。
「テメっ……!」
「虫ケラの手助けを受けねば満足に戦えぬというのであれば、やはりおとなしく縛につくのが利口なやり方だと思うが……まだやるか、小娘?」
「――キシャッ」
峰児の口から、我知らずのうちに、怒りのおめき声とも気合の声ともつかない奇妙な音がほとばしった。
「テメー、絶対にブチ殺す! 肉団子にしてやる!」
美しい顔にどぎつい黄色と黒の隈取を浮かび上がらせ、峰児は珊釵に襲いかかった。
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