第三回 魔蟲 ~第二節~

「やたらと勘がいい。名乗りもしないうちから僕の名前を知っていて、これはまだ確証はないんだけど、こっちの正体まで見抜かれてるんじゃないかって気がする」

「あなたが神将じんしょうだということを見抜いたというの? その人間が?」

「うん……どうもそれっぽいんだよね」

「腕のいい占い師か、さもなければ……たとえば市井にまぎれて暮らしている仙人という可能性は?」

城隍じょうこうしんがそうじゃないっていうなら違うんじゃない? もちろん妖怪のたぐいでもなかったよ。彼女は間違いなく人間なんだ。……でもちょっとふつうの人間じゃないという気がするし、たぶんそうなんだと思う」

「もしあなたのいう通りだとして」

 名前が書かれた紙を見つめ、天香はどこか気乗りがしない様子で続けた。

「――この女が、あなたの任務とどうかかわってくるのかしら? わたくしとっても気になるわ」

「そ、それは……いや、それはちょっとまだいえないかな」

「いえないの? ……ふぅん?」

「いや、だってほら! に、任務にかかわることなんだよ!? いくら同じ六星君の仲間とはいえ、守秘義務があるというか――」

「屁理屈にしては真っ当ね。……まあいいわ。今はそういうことにしておきましょう」

 ふいと星秀から目を逸らした天香は、紙を持って立ち上がった。

「何か判ったらすぐに知らせてあげる」

「ありがと、天香ちゃん♪ きみってやっぱり、実はぼくのこと――」

「――珊釵どの経由で」

「嫌いだったんだね、ちっくしょう!」

 喜びにほころばせかけた顔をしかめ、星秀は星君府を飛び出した。

「――まあでも、だからといってすぐに戻って姉弟子にお尻を蹴飛ばされるのもイヤだしなあ」

 南斗星君府の長い石段をのんびり下りながら、星秀は腕組みをして空を見上げた。

 多くの神仙たちが住まうこの天界は、しばしば天空に浮かぶ浮遊大陸といわれることがある。もっとも、実際には大陸というほど大きくはなく、それよりは浮島と呼ぶのがふさわしいだろう。

 厳密にいえば、天界とは神仙たちの住まいではなく、たとえていうなら王宮のようなものだった。神々の頂点に立つぎょくこうじょうていをはじめとした、さまざまな役割を持つ神々が、ここで世界をつつがなく回していくための“政務”にはげんでいる。天界に常住しているのはそうした役割を持つ神仙だけであり、世の大多数の神仙たちは、下界の各地にそれぞれの住まいを構えているのがふつうだった。

 雲よりも高い空に浮かぶこの天界から望めるのは美しい星空だけである。無数の綺羅星の下を思案顔で歩いていた星秀は、瑠璃の林の向こうに垣間見えたそつきゅうの楼閣に気づき、

「……そうだな、せっかく天界に戻ったんだから、しゅくほうちゃんのとこにでも顔を出していくか。ついでにおいしいごはんにもありつけるだろうし、うん、それがいい、そうしよう」

 兜率宮の家事のすべてを取り仕切る李淑芳は、この天界でも五指に入る料理上手である。先生のところで出される料理もおいしいにはおいしいが、厳しい目で審査するならやはり淑芳が作る手料理のほうが一、二枚は上手だった。

「――そこを行くのは星秀か?」

 小躍りまがいの浮かれた足取りで兜率宮に向かっていた星秀の背に、聞き覚えのある声が飛んできた。

「あ」

 振り返ると太白たいはくがいた。

「やはり星秀だったか」

「こ、これは……お久しぶりです、太白さま」

 天軍随一の美少年と自称する星秀にとって、天界随一の色男と自他ともに認める太白は、いってみれば自分の完全上位互換的な存在であって、目の上のたんこぶというのもおこがましい相手である。美女や美少女が相手ならいくらでもよく回る口が、太白の前ではとたんに重くなるのも仕方のないことだった。

 仮にも天界の重鎮、九曜星のひとりである太白が、供も連れずにひとりでふらふら出歩いているのは、堅苦しいことを嫌うこの美男子の放浪癖がそうさせるのだろう。品行方正と見せかけて、実は飄々とした食わせ者――それが星秀のよく知る太白金星という男だった。

「――こんなところで出会ったということは、さてはおまえも兜率宮へ向かうところだったか?」

「ええ、まあ。……太白さまもですか?」

「実はこのところ、老君が蔵書の虫干しをしておられてな。書物のあつかいに慣れていて、なおかつ暇そうなやつということで、私も手伝わされている。おまえもお役目がなければおそらく呼び出されていただろうが――」

 と、そこまでいってから、太白は眉をひそめた。

「……そういえばおまえは下界に行っていたのではないか? まさかもう任務が終わったというわけでもないだろうに」

「あ、いや、それは――」

 太白は星秀の上役であるけいわくの双子の弟である。迂闊なことを口走って、それが熒惑の耳にでも入ったりしたら、いろいろと面倒なことになるだろう。が、だからといって、下界で出会ったいわくありげな美女の話を打ち明けるのも気が進まない。

「実はちょっと、今回のお役目のことで老君のお知恵を拝借しようかとも思っていたんですが……そういうことなら今は行かないほうがいいですね、うん、任務第一だし」

「まあ、確かに老君は、おまえのお役目のことなどどうでもいいとおっしゃりかねないおかただからな。やってきたおまえを引き留めて、そのまま虫干しの手伝いをさせたとしても不思議ではないが」

 星秀の言葉に同調しつつも、太白はまだどこかいぶかしげな顔をしている。その視線がどうにも居心地が悪い。

「なあ星秀」

「な、何です? 僕はこれからまた下界に戻って――」

「立ち入ったことを聞くようだが、おまえ、大丈夫か?」

「大丈夫って……え? 何の話です?」

「いや……おまえは大理星君を拝命してからずっとほうげつと組んできただろう? その鳳月がいなくなってまだ日が浅いからな」

「ああ、そんなことですか」

 いったい何をいわれるのかと身構えていた星秀は、太白の言葉にほっと胸を撫で下ろした。

「――その件については僕は別にどうとも思ってないですよ。ええ、何の問題もありません、ありませんとも。そもそも鳳月は僕が面倒を見てやっていたんですよ? その鳳月がいなくなったのなら、むしろ僕の負担が減っていいことずくめじゃないですか。ご心配にはおよびません」

「そうか。まあ、おまえがそういうなら、私からはもう何もいわないが……しかし、何だかんだでおまえと鳳月はうまくやれていただろう?」

「ええ、この僕の献身性があってこそですがね。はっはっは」

「正直なところ、今の珊釵とくらべてどうだ?」

「はっはっはー……あー、はいはい……」

 姉弟子の名を出されると、星秀の笑い声も急にかすれてしまう。

 年下の幼馴染みであり、弟分でもあった鳳月とのコンビは、確かにいろいろともめたりすることも多かったが、たがいへの理解があったおかげで呼吸は合っていた。気恥ずかしくて言葉に出すことはできないが、安心して背中を任せられる相棒だと信頼もしていた。

 その鳳月が天軍からいなくなり、星秀は姉弟子に当たる珊釵と組むことになった。やりやすいかどうかでいうならやりにくい。というか、それはそもそも鳳月よりやりやすい相棒がいないという話であって、珊釵が駄目という話ではない。鳳月でないのなら、珊釵だろうが天香だろうがりょくれいだろうが、誰であっても駄目なのだと思う。

 ただ、それもまた太白に打ち明けるのは気恥ずかしさが先に立つ。

「実年齢はともかく、精神的には僕はこうより大人ですからね、ええ。それなりにうまくやっています、やっていますとも」

「ならいいんだが……」

「それじゃ太白さま、僕は任務に戻りますので」

 これ以上話が広がって、うっかり熒惑のところにいっしょに顔を出すような事態だけは避けたい。そうなる前に退散しようと、星秀は太白に一礼して小走りに立ち去った。

 天界内を光の雲で移動することは禁じられている。下界に下りるには、天界の四方にある大門を出てから雲を起こして空を飛んでいかなければならない。ここへ来た時とは逆に、星秀は徒歩で南大門に向かった。

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