第一回 蘇州の春 ~第二節~

「いずれは星秀も、南斗六星君筆頭として、ほかの五星を束ねなければならないわけだが……現状、星秀は六星君の中では一番の青二才だ」

「おまけに、ほかの五人はすべて先代大理星君の弟子だの弟弟子だったはずじゃな」

 ふがふがと団子を頬張っていた老君が、思い出したように割り込んできた。

「星秀が鳳月相手に兄貴風を吹かせておったのは、要するに、南斗六星の中では自分が一番の下っ端で肩身がせまかったからじゃろ。兄貴ぶれる相手が鳳月しかおらんかっただけじゃ」

「じゃあ、その姉弟子というかたも――?」

「先代大理星君の弟子だよ。それに、弟子入りしたのは星秀よりずっと早い」

 同じ師匠の下で学んだ兄弟弟子たちの序列は、実力や年齢、出身などとは無関係に、入門した順に決められる。先代の最後の弟子だった星秀は、上にいるすべての兄弟子や姉弟子たちを、実の兄や姉同然にうやまい、接しなければならない。

「……それが星秀には苦痛なのだろう。くだんの姉弟子はなかなか強烈な娘らしいという話だし」

「確か……鎮嶽星君のこう珊釵さんさとかいったな、あの変わり者の小娘は」

 結局、三人分の胡麻団子をひとりで食べてしまった老君は、熱い茶をまるで水のように飲み干すと、小さくおくびをもらして眉根を寄せた。

「老君が珊釵をご存じだったとは意外です。……ひょっとして、彼女の得物は老君がお作りになったのですか?」

「違う違う」

 老君は渋い表情で手を振り、立ち上がった。

「――鎮嶽星君就任の折に、玉帝が下賜するほうをあらたに打つことになったんじゃが、あの小娘、わしではなくのじいさんに頼みたいと注文をつけたんじゃぞ? よりによってあのじじいに頼みたいとはどうかしとる!」

 老君のいう魯のじいさんとは、すべての匠の神といわれるはん先生のことである。偉大な発明家、建築家で、天界の神将が使う武宝具のほとんどは、老君作でなければこの魯班先生の手によるものだった。要するに、武宝具作りにおいては両者は公私ともに認める好敵手なのである。

「――武具の好みはともかくとして、なかなか気骨のある神将だと聞いています。そういう先輩について任務をこなしていれば、星秀の性根も少しは叩き直してもらえるのではありませんか?」

「だといいんですけど」

 肩をすくめ、淑芳は茶器を片づけ始めた。

「――ところで老君、虫干しするのはこの書庫だけですか?」

「そんなわけないじゃろう? 全部じゃ、全部」

「は!? ですが、確かここには同じような書庫がたくさんあったと思いますが――それを全部?」

「当然じゃ。こういうものは思い立った時にやらんと、何だかんだで後回しにしたままになってしまうからのう」

 怠惰を絵に描いたような老人は、ふだんの自分の棚に上げてぬけぬけといい放った。

「――そういうわけじゃから、おぬしも当分ウチへ毎日通え。もしどうしても仕事で都合がつかぬ時は、戦力になる代役を寄越すんじゃぞ?」

 にやりと笑う老人を見て、太白は額に手を当てて空を振り仰いだ。


◆◇◆◇◆


 天に天堂、地にこう――。

 蘇州そしゅう杭州こうしゅうの繁栄を天の楽園になぞらえた言葉である。

 確かに蘇州の春は素晴らしい。夏も秋も冬も、それぞれに素晴らしいのだろう。

 もっとも、それはあくまでのんびりとすごす場合の話である。

「まったく……」

 ひりつく脳天をさすり、星秀は欄干の向こうに広がる蘇州の街並みを眺めやった。

「つまらない任務なんだから、ちょっとぐらい羽根を伸ばしたって罰は当たらないだろうに――」

「見事に罰が当たりましたな」

 星秀のぼやきに苦笑で応じたのは、恰幅のいい初老の男だった。

「――私も鎮嶽星君どのとお会いするのは今回が初めてなのですが、どうやらあのかたはやたらと耳がおよろしいようで」

「……それ、先にいってくれてもよかったんじゃない、先生?」

「まさか大理星君どのがそれをご存じないとは思いもしませんでしたので」

 伍先生はそういいながら小さな器に茶をそそいだ。楼閣の最上階に吹き込んでくる風が、桃の香りのする熱い茶の湯気を星秀の鼻先へと運んでくる。

「確か大理星君どのと鎮嶽星君どのは、同門の兄弟弟子とお聞きしておりますが?」

「兄弟弟子といったって、と僕とはけっこう年が離れてるから、いっしょに修行したことはないんですよ。任務で組んだのも今回が初めてだし」

「初めての共同作業というわけですな」

「そもそもねえ、僕はずっと最前線で戦ってきた神将なんですよ? これまで数多くの妖怪邪仙を調伏してきたんです。こういっちゃ何だけど、ぼろっちい廟を荒らした妖怪の捜索だの叛乱軍残党の捜索だの、そんなちまちました任務に駆り出されるべき人材じゃないんですよ!」

「ですが、そもそも私が大理星君どのをここへ派遣してくださるようにお願いしたわけではございませんし……聞けば大理星君どのは、以前にも何かの任務でこの蘇州に滞在していたことがあったとか?」

「ああ……まあ、ほんの数日ね?」

 弟分や双子の美少女とすごした日々のことを思い出し、星秀は嘆息した。

「そういうことも加味してあなたがここへ派遣されたのでは? いずれにしても、そのようなことをおっしゃられたところで、私はあくまで蘇州界隈の城隍じょうこうしんしんたちの相談役ですので――」

「それ、そこですよ、そこなんですよ!」

 独特な色味を持つお茶をくいっとあおり、星秀は卓の上に身を乗り出した。

「……ちびっ子の鎮嶽星君どのはともかく、僕がこの任務に回されたのは明らかに熒惑けいわくさまの失策ですよ。人材の無駄遣いといわざるをえませんね! いわざるをえない、えないとも!」

「はあ」

「そこでひとつ相談なんですけど」

 星秀はいまさらのように声をひそめ、伍先生に切り出した。

「……どうでしょう? 先生のほうからこっそり上のほうに伝えてもらえません?」

「何をですかな?」

「それはあれですよ、あれ……遠回しに、僕の代わりに誰か別の人間を寄越すとか。僕はほら、いざという時のために天界で待機しているべきだと思うんですよねえ」

「要するに、今回の任務が面白くないので、誰か別の者に押しつけて天界に戻りたいと……そういうことで?」

「そういっちゃうと角が立つけど……まあ、方向性としてはおおむね合ってます。うん、その通り」

「はてさて――それは困りましたな」

 首のあたりを撫でながら、伍先生は溜息をついた。

「だってほら、先生だって、もっと熱意のある神将が来てくれたほうがいいですよね? 自慢じゃありませんけど、僕、まったく熱意ないですよ? ない、ないから、これっぽっちも!」

「そのように自慢げにおっしゃられても……」

 静かに茶をすすった伍先生は、片目だけを開けてちらりと星秀の背後を見やった。

「とりあえず――お声が大きかったようですな」

「――!?」

 そのひと言に、星秀は反射的に椅子から飛び上がった。

 その直後、精緻な彫刻のほどこされた椅子が木っ端微塵に砕け散り、幼い少女の陰気な舌打ちが聞こえた。

「……ちっ」

「あ、あぶっ……!」

 一瞬で天井に張りついた星秀は、上下さかさまのまま、椅子を破壊した金属製の凶器とそれを手にした少女を凝視した。

「い、いきなり何をする!? ……っじゃなくて、な、何をなさるんです、洪師姐!?」

「天軍の神将としてあるまじき不心得者の弟弟子に、本官みずから喝を入れてやろうと思ったまでのこと……それを避けるなど、いかなる了見か? さっさと下りてきてここに座るがよい。さあ、はようはよう」

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