第137話

「親父は仕事上、プロジェクトに協力してた。だから江本教授の意向に従って、美咲が丘中学がモデル校に選ばれた。でも親父は、新薬のことは知らなかった。もし知ってたなら、バス転落事故の後、速やかに真実を公表したはずだ」


「それは分かりません」


「分からないなんてことがあるか」


英理は声を荒げてなじった。


「親父に近づいて結婚までしたのは、実験データが残っていないか調べるためだろう。何もないと分かったら、後は用済みとばかりに消したんだ」


弥生は哀しみと憐れみの入り混じった、奇妙な目で英理を見た。


「向井君は何が聞きたいんですか」


英理は言葉に詰まった。


「自分の欲しい答えのために、私を使うんですか」


冷ややかに告げる弥生を見て、反射的に手が上がる。


英理は狼狽し、そんな自分を強く恥じた。


何もかもが未解決で分からないことだらけだ。冷静に考えても、矛盾点は幾つもある。


目的を果たしたのだから、弥生はすぐに立ち去ればいいのに、わざわざ音楽室に残っている。


そもそも英理を仲介役に選ばなければ、こうして顔を合わせることもなかったのだ。


恐らくこのゲームの幕引きのために、まだ何か揃っていない材料がある。


「自分の娘を実験台にするなんて、江本教授は何を考えていたんだ」


その言葉は効果をあらわしたらしく、初めて弥生の顔に表情と呼べるようなものの片鱗が兆した。


「被験者が中学生というのは納得できる。同じ年頃の男女のデータをある程度確保できるし、薬の効果は若いほうがあらわれやすい。身体検査も学校という場なら協力を得やすいし、手っ取り早くサンプルを採ることができる。脳科学研究推進プロジェクトは、新薬開発の実験の建前にはぴったりだったと思う。


でも新薬である以上、危険性は0じゃない。そんなリスクのある実験に、わざわざ娘の通っている学校を選ぶなんて正気の沙汰じゃない。

あんたは、そう思わないのか」


英理が噛んで含めるように説明すると、弥生はもとの無表情に戻って言った。


「私は父に失望されていたから」


どういう意味かと尋ねたが、弥生はそれ以上何も答えなかった。

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