第27話 密談

 シュ————ッ!


 八百三十五射目———。

 学校裏の小さな森。元々公園だった場所だ。人がいなくなって木々が伸び放題になり、森を形成している。子供たちが遊ぶ遊具にもツタが蔓延り、トイレ前のコンクリートの足場もひび割れ雑草が頭を出している。

 そこで———ラビットはトレーニングをしていた。


 シュッ!


 八百三十六射目。

 一日千本の射的。

 ラビットが毎日、弓の腕をなまらせないように行っている鍛錬だ。

 これだけは欠かさない。欠かすなと師匠から言われている。


「—————」


 八百三十七射目を弓につがえた時、ラビットは手を止めた。


「そこで止まれ———そこで話せ」


 言った。

 暗闇に向けて、ラビットが話しかけた。


「———足音は当然として、気配も消していたんだけど……」


 声の後、足音が続く。

 木々の暗闇からミノタウロスが姿を現す。


「どうして気が付いたの?」

「———聞こえたんだよ。私は人よりも耳が抜群に良いんだ。それに」


 ちらりと、ラビットがミノタウロスへ視線を向ける。


「あなたの音は———独特だ」

「————でしょうね」


 ミノタウロスは眼鏡をクイっと上げる。

 癖だった。

 感情をリセットするときの癖。不安も悲しみも、動揺も、そのしぐさをやることでミノタウロスは感情を打ち消し、全く表に出すことなく心の内へと留める。

 当然———怒りも同様だ。


「弓。置いてよ。そんなもの構えられたままだとおちおち話もできやしない」


 ラビットの矢は———まだ弓につがえたままだ。


「このままだ」

「でもさ———」

「このままだ———ユルギをどうするつもりだ?」

「…………どうするつもりって、一晩泊めるつもりだけど」

「そうじゃない。聞こえていた。私が耳がいいのを忘れていたのか? 


 ————上の階の会話が聞こえていないとでも思っていたのか?」


「……………そう」


 忘れていた。

 この女の能力を————響間掌握ノイズ・ドミネーター……超聴力を持っていることを———。


「わかっていながら、こんな場所で練習なんて余裕があるね。ボクたちがすぐにでも獅童ユルギに手を出すとは考えなかったの?」

「私は全てを聞いている。ヘルガさんは自分たち自身で動く気はない。『モンキー』を使う気だ。ラットを通して彼女たちに連絡をしている———彼女たちが襲ってくるとしたら拠点の位置からしてこの北側の森からが一番状況を把握できる。

 それに———」


 ラビットの視線が校舎に向けられる。

 校舎の窓から光が漏れている。


「万が一———何かあれば私は即座に射ることができる。例えここがどんな場所だろうが、相手がどこにいようが……ね」

「…………そう、まぁ話が分かっているのなら、わざわざボクが来る必要はなかったみたいだね」

「それだけを伝えに? 〝ファミリー〟は獅童ユルギを狙っていると報告をしにだけ? どうして?」

「手土産の猪を貰ったからね。その借りだけは返したい。ウチのリーダーはそういうところは律儀なんだ」

「そうか……ヘルガさんらしい」


 裏切られた。

 結果としてラビットはヘルガに裏切られたのだ。だが、こういうところがあるから憎みきれないし、話せばわかってくれるかもと思ってしまう。


「それよりも———ボクは別の話がしたいんだけど」

「別の話?」

「ラビットは獅童ユルギのことをどう思っているの?」

「……………」


 ミノタウロスは腕を組み、近くにあった木にもたれかかる。


「全部———聞いていたんでしょ?」


 飛行機事故がユルギのついていた嘘である可能性があることも———。


「ラビット。あんたあの子が本当に善良で、平凡で、一般的な高校生だと思っているの?」

「確かにユルギには異常性がある」


 ラビットが気にかけているのは、フェニックスとの一件。


「ここに来るまでの話だ。フェニックスにユルギは殺されかけている。その場に私はいなかった。目を離した隙にだった」

「あなたにしては油断したわね」

「対抗策の爆弾のスイッチを渡していた。だけど———ユルギは使おうとしなかった。それどころか、首元に手刀を突きつけられておきながら、フェニックスがユルギを殺すなど微塵も考えていないかのように笑っていた。自分が死ぬと言うことが想像できていないのか———それとも昨日今日会ったばかりのフェニックスをそこまで信用したのか。私にはわからない———結果としてユルギは生きている。

 ミノタウロス、私は戦いしか知らない人間だ。戦場か犯罪現場しかいたことがない。あんな平和ボケした人間に会ったことがない。私からも聞きたい。ああいうやつは普通なのか? 日本の女子高生というのは皆ああいう奴ばかりなのか?」

「いいえ、あの子は異常よ。普通の女の子だったら、泣き叫んでパニックになる。現に———」


 ミノタウロスが教室を見上げる。

 猪ノ叉に与えられた部屋———今はユルギとフェニックスがいる部屋だ。明かりがつけっぱなしで、壁が薄いせいで時折二人の笑い声まで聞こえる。


「〝殺し屋〟と二人っきりでいるなんて、耐えられるわけがない。そんな女子高生はこの世にいない」

「現に———あそこにいるけれども……」

「ラビット、あんたは疑わないの? あの獅童ユルギの存在こそが、このキラーバケーションの真の目的である可能性を———。ボクがここにいる意味である可能性を———」


 ミノタウロスの眼が、光った。

 比喩的な意味ではない。一瞬だけだが、本当に発光した。

 コンピューターの電源が入った時のように、自動でソフトウェアをアップデートしたときのように———確かにボウッと光った。


「———ヘルガさんが偶に言う、キラーバケーションの裏の意味———そのままか?」


 ラビットは全く動じていない。

 ミノタウロスの発光現象を目撃しても、


 シュッ———!


 八百三十七射目。

 トスッと音がして、的に命中する。


「そう———キラーバケーションを企画した人間はボクたちを殺し合わせるためにこの島に集めた」


 ミノタウロスは更に付け加える。


「ヘルガが言っている通りの意味だよ。ボクのメモリーは常にどこかのサーバーとリンク状態にある。それをボクからは打ち消すことができない。ボクという存在の宿命かもしれないけれど、ボクはこんな躰はもう嫌なんだ。破壊できるのなら、とっとと破壊してもらいたい」

「同情はする。だけど、私にはどうすることもできない」

「正義の〝殺し屋〟だから?」

「そう———私は師匠の〝呪い〟でそう生きることしかできない。私は正義のためにしか人を殺せない。自分が正義だと信じることは絶対に曲げることはできないし、目の前で善人が死ぬのを絶対に見捨てることができない。私はそういう人間だ。

 そして———ミノタウロスさんは悪人じゃない」

「まだ、でしょう?」


 ミノタウロスが指で天を指さす。


「この島を〝観測〟している人間は———全部計算ずくだよ。獅童ユルギの行動も、ラビットの特性も、全て計算してこの島に送り込んでいる。私たちを殺し合わせるために」

「その先がない」

「先?」

「私たちを殺し合わせて何になる? 〝殺し屋〟たちを一つに集めて、殺し合わせて、数を減らして何になる? 確かに私たちは職業がら恨みを買う人間だ。だから、排除するためにこの企画を立てて〝殺し屋〟を集めたのか? だとしたら回りくどすぎるし、もっと手はあったはずだ。絶対に企画に乗ってくる確証もない。

 ミノタウロスさん。私にはまだわからない。この島の意味が、キラーバケーションの意味が。そして、獅童ユルギがここに居る意味が……」


「ハハッ! こんな回りくどいことをする意味……ラビットちゃんは本当にわからないのかなぁ⁉」


 第三者の声。

 続く、がさがさと乱暴な足音。


「ヘルガさん……」

「やっほ」


 暗闇からヘルガが姿を現す。

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