第26話 ユルギの授業
ユルギたち三人が割り当てられた猪ノ叉の部屋は、とても私室として使っているとは思えない普通の教室だった。ベッドもタンスもない。ただ冷房が天井に設置されてある。最近の小学校ではよく見られる光景が、そのまま広がっていた。
「ここで寝ろって言われても……あの猪ノ叉さんはどこで寝ていたんでしょうか?」
「ここみたいだにゃ」
掃除用具入れをイオが空ける。中は改造されており、もこもこのクッション素材が敷き詰められていた、立ち寝用のベッドと化していた。
「忍者って……横になって寝ちゃダメなんでしたっけ?」
「日本人のお前が知らないなら私が知るわけにゃいだろう。それによく見たら服も」
教室後ろの鞄入れ。本来この学校を使うべき生徒たちそれぞれが自分の名前を割り振られ、各々の鞄を収納する場所が、黒一色に染まっていた。
ユルギは最初それは単純に、鞄入れには蓋が付いていないので、その代わりだろうと思っていた。だが違った。黒いものは鞄入れに詰められた衣服であり、手に取って広げてみたら猪ノ叉が先ほど身に着けていた忍び装束そのままだった。
「あの人ここしか使ってないんですね……」
教室の一番後ろの壁際のスペース。
広い、六畳以上はある東京の一人暮らしの学生よりあるスペースを与えられて、彼女はそんな狭い場所しか占有してなかった。
「ああ……まぁ、人それぞれでいいんじゃねぇの……なんて言えねぇよ‼」
ガァンッ!
イオが近くにある椅子を蹴っ飛ばし、少し宙を浮いた後床に転がる。
「うわっ! びっくりした……ヤンキーじゃないんだからいきなり机を蹴らないでよ!」
激しい音に対してのユルギの苦情。
「うるせ~~~~~! ヘルガのやつ! 何良い部屋用意しましたみたいな顔してんだよ! こんなベッドも何もない部屋で三人寝られるかってんだ! ちゃんとベッドがある部屋……上のヘルガの部屋よこせよ‼ なんで忍者の部屋なんだよ!」
「ベッドは一応あるけど」
「立って寝られるのは忍者だけにゃ!」
「鳥も寝られるけど~? フェニックスなんでしょ~?」
ニヤニヤしながらヘルガは言う。
イオをからかっている———つもりだった。
だが、イオは怪訝な表情をして、
「どういうことにゃ? 鳥もって?」
「え? 鳥って立ったまま寝るんだよ? 知らない?」
イオはきょとんとしていた。頭に明らかに「?」マークが浮かんでおり、首をかしげている。
「普通……横になって寝るだろ……」
「その間に敵が来たらどうするの? すぐに飛び立てなくて食べられちゃうじゃん。いつでも飛び立てるように鳥は立ったまま寝るんだよ」
「嘘にゃ~。立ったままバランスなんかとれるわけないじゃん~」
「足がそういう作りになってるの。力を抜いたらかぎ爪が枝をしっかりと掴んで、そして骨と骨がバランスが取れるように固定されるように組まれて……人間も正座で安定するでしょ?」
「正座って何にゃ……?」
「そもそもそこから……ラビットさんは知ってま」
イオに物を教えるには、イオの持っている知識が少なすぎて苦労していたところ、ラビットも茫然としてユルギを見ていた。
「ラビットさん?」
「ユルギ……君の言葉は狩人の知識だ」
「そうなんです?」
「どうしてそういうことを君が知っている?」
ラビットがどうしてそんなことを気にするのかがわからず、ユルギは首を傾げた。
「学校で習いました」
「そんなことまで学校では教えるのか? 日本の学生はみんなそういうことを知っているのか?」
「いえ……ユルギたちの小学校3年の先生のクラスの子じゃないと……その先生が鳥が大好きで野鳥の会っていうところに入ってるんですよ。それで授業と関係ないところでよく鳥の話をしてくれて」
「野鳥の会って何にゃ?」
「イオは黙ってて」
ラビットと話していて、イオの言葉にいちいち反応していると脱線したまま話が戻らないと思い、あえて厳しい言葉をかけてしまったが、イオは「は~い」と言って後ろ手を組んで特に気にしている様子はない。
「そうか……そうなのかぁ……」
ラビットは感慨深そうな声を出し、教室を一望した。
「いいもんだな。学校って」
「どうしてそう思うんです?」
「いろんな人と出会えて、いろんな知識を得られて……自分一人でいれば思いつかないような知恵も思いつく。いろんな人と繋がって自分を高めていける場だ」
「…………そうでもないですよ」
「そうでもあるさ」
ユルギの否定を、ラビットは即打ち消した。
「……………」
そして、沈黙が訪れた。
「…………ユルギ! もっといろいろ教えて欲しいにゃ!」
イオが沈黙に耐え切れないと言うように手を挙げ、教室の椅子に座る。
「私さぁ~、アニメ好きなんだけど、漢字読めないんだよにぇ~……ユルギ教えてくれる?」
「ああ、いいですよ。どういう漢字を読めるようになりたいんですか?」
「えっとにぇ~……」
「…………」
イオが恐らく意味も分からず覚えていた漢字を黒板に書き始める。漢字というよりミミズがのたうったような、文字とも呼べないようなもはやただの模様だが、ユルギは頭を捻り何とか解読しようとする。
その光景を見ながら———ラビットはスッと気配を消し、教室を後にした。
「ちみもうりょう……ですかね」
「そう! その〝もみもみ〟とかいうの! 確かそういう〝音〟を言っていた!」
廊下を歩きながら、耳に入るユルギとイオのやり取りを聞き———ラビットは暗い表情を作った。
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