第23話

 そのときだ。化学実験室の入り口で声が聞こえた。誰かが変な歌を歌っている。


 「♪ スッ、スッ、スッ、スッ、スキャンティー。 みんなで履こうよ、スッキャンティー♪」


 オレたちが振り向くと・・・化学の教師の牧田が歌いながら化学実験室の中に入ってきた。いつものように汚れた白衣を着込んでいる。牧田は生徒からは最近『スキャンティーの牧田』と呼ばれている。牧田がオレたちに気づいた。おかしな歌をやめてオレたちに言った。


 「おっ、そこにいるのは2年1組の倉持と小紫だな。お前たち、デートだったら、よそでやってくれよ。ここは俺の仕事場だからな」


 夏美が答えた。


 「先生。私たちデートじゃありません。ダンス部のことで悩んでいて、二人で相談していたんです」


 「悩みだって? 俺で良かったら相談にのるよ」


 牧田がイスを持ってきて、オレたちの前に座った。


 すると、夏美が・・よせばいいのに・・牧田にオレたちの悩みを話したのだ。夏美の話を聞くと、牧田は何でもないといった顔をして口を開いた。


 「それは目標喪失症だな」


 目標喪失症? なんだ、それは? 夏美もオレと同じ疑問を持ったのだろう。夏美がすかさず質問した。


 「目標喪失症? 先生、何ですか、それは?」


 「目標喪失症というのはだな・・・そうだな・・・よくある『五月病』のようなものだよ。大学の入学試験や企業の入社試験に頑張って合格した後で、目標がなくなってしまって・・・なんだか気が抜けたようになってボンヤリするコトがあるだろう。あれと同じだよ」


 牧田が意外にも、ものすごく真面目な答えを返したのでオレは驚いた。今度はオレが聞いた。


 「先生。それは具体的に言うと・・どういうことなんですか?」


 「つまり、安賀多ダンス選手権をトーナメントで行うかリーグ戦で行うかは、君たちダンス部の部員には最大の関心事だったわけだ。なにしろ、ダンス部員にとっては、ダンスに関することは一番気になる最重要事項だからね。でも、それがリーグ戦で決着してしまうと・・・眼の前の最大の関心事がなくなってしまって、気が抜けたようになってしまったんだよ。それで、今までは気付かなかったいろいろな不満が、一気に意識の上に出てきたんだ」


 夏美は牧田の説明に大いに納得できるらしい。大きくうなずきながら聞いた。


 「なるほど、よく分かります。本当にその通りですね。では、先生、その状態から抜け出すには一体どうしたらいいんですか?」


 牧田が胸を張った。俺に任せろという顔だ。


 「それなんだが・・大きく二つの方法がある。一つ目はダンス部の中に何でもいいから新たな目標を創り出して、今度はそれに一生懸命に取り組むことだ。二つ目は、ダンス以外に何か興味を持つことを見つけて、それをしながら、別の視点でダンスを見直してみることだ」


 夏美が首をかしげる。


 「一つ目は分かるんですが・・二つ目の『ダンス以外に何か興味を持つ』というのは?」


 「たとえば、ダンス部を続けながら・・ダンス部以外の別のクラブにも所属してみるといったことだ。そうすると、ダンス部の活動をまた新たな視点で見ることができるんだよ」


 オレは牧田を見直した。普段は「スキャンティー」だなんて言って、おちゃらけているが・・・牧田はさすがに教師だ。言うことが的確で的を得ている。


 すると、牧田が右手でポンとひざを打った。


 「そうだ! いいことがある。別のクラブというとだね。今度、学校に新しいクラブができることになったんだ。それで、俺がその新しいクラブの顧問になったんだよ。さっき、校長からその顧問の許可をもらったところなんだ。出来たばかりのクラブだから、まだ部員は一人もいない。そこで、お前たち、そのクラブに入らないか?」


 新しいクラブが出来たんだって? 初耳だった。夏美も初めて聞いたのだろう。不思議そうな顔で牧田にたずねた。


 「へえ~、新しいクラブですか? 先生、それはいったい何というクラブですか?」


 牧田は化学の教師だ。オレはてっきり新しいクラブというのは『化学部』だろうと思った。安賀多高校には『化学部』がなかったのだ。しかし、オレは牧田の次の答えに度肝を抜かれた。牧田は大真面目にこう答えたのだ。


 「スキャンティ―部だ」


 オレと夏美は飛び上がった。


 「ス、スキャンティー部?」


 スキャンティ―部だって? なんだそれは?


 「スキャンティー部の活動というのはだな・・いろんなスキャンティーを顧問と部員で履きまわししてね。週に一回集まって、どのスキャンティーが良かったか、みんなで感想を述べあうんだよ」


 「・・・」


 オレは絶句した。言葉が出てこない。そんなふざけたクラブを高校の中に創っていいのだろうか? 


 オレの疑問にもかかわらず牧田は続ける。


 「つまりだな、部で新しいスキャンティーを買ったら、まず顧問の俺が一日履いて、次に倉持が俺の履いたのを次の日に一日履くわけだ。そして、その次の日には小紫が倉持が履いたスキャンティーをもう一日履いて・・そうして何種類ものスキャンティーを履きあいするんだよ。そして、週に一回みんなで集まって、どのスキャンティーが良かったかといった感想を述べあうんだ」


 そんな・・・他人ひとが一度履いたスキャンティーをまた履くなんて・・・みんなで一つのスキャンティーを履きまわしするなんて・・・そんなお下品なクラブが世の中にあるのだろうか? それにしても、牧田の履いたスキャンティーを履こうという人間がいるのだろうか?


 「お前たち、ぜひ部に入ってくれ。部員の第一号と第二号だよ。そうだ、噂では小紫はどじょうすくいが得意だそうだな。小紫が入部しやすいように、小紫用にスキャンティー部の川柳を作ってやろう。そうだな・・・うん、できたぞ。


 スキャンティー 履いて踊ろう 安来節(やぶし)

 

 どうだ? いい川柳だろう?」


 あっと思ったときは遅かった。オレの身体が勝手に動いた。オレはイスから立ち上がった。ガタンとイスが後ろに倒れた。

 

 オレは化学実験室の中で、右足、左足と交互に二度踏みケンケンをする。夏美が教えてくれたポップコーンステップだ。しかし、ケンケンしながら、オレの口から意図しない意外な掛け声が飛び出した。


 「スッ、スッ、スッ、スッ、スキャンティー」


 こ、これは・・さっきの牧田の歌だ。「すき」という言葉で踊り出したら、オレの口からはオレの意志とは別に、オレの印象に残った言葉が勝手に出てくるのだ。


 くっそぉー。牧田め。変な歌を聴かせやがって・・・


 オレは二番目と四番目の「スッ」で宙にある方の足を前に蹴る。牧田が急に始まったオレのダンスをポカンと口を開けて見つめている。


 「スッ、スッ、スッ、スッ、スキャンティー」


 今度は二番目と四番目の「スッ」で宙にある方の足を横に蹴る。


 「スッ、スッ、スッ、スッ、スキャンティー」


 最後に二番目と四番目の「スッ」で宙にある方の足を後ろに蹴る。


 「スッ、スッ、スッ、スッ、スキャンティー」

 

 右足を大きく上げて、左足を軸にその場でくるっとまわって・・・色っぽく尻を突き出す。両手で尻にスキャンティーを履く真似をする。それに合わせて声が出た。


 「みんなで履こうよ、スッキャンティー」


 くっそぉー。このフレーズもさっきの牧田の歌だ。牧田め・・・


 牧田がイスから立ち上がって拍手をした。


 「素晴らしい。実に素晴らしい。まさにスキャンティー部のダンスと歌だよ。これでお前たち二人の入部は決定だ。そうだ、小紫、君が部長をしてくれ。倉持は副部長だ」


 そのとき、廊下から声が聞こえた。


 「あなたたち、何をしているの?」


 オレたちが振り向くと、ダンス部顧問の山西が化学実験室の入り口に立っていた。怪訝そうな顔をしてこちらをのぞいている。廊下を通りかかったときに、オレのダンスの掛け声を耳にしたようだ。


 牧田が山西に声を掛けた。


 「やあ、これは山西先生じゃないですか。ちょうど良かった。ダンス部の倉持君と小紫君がダンス部を続けながら、新しい部にも入ってくれることになりましたよ」


 「新しい部ですって?」


 山西が眼を丸くしてオレたちを見つめた。


 「あなたたち、何を言ってるの! 安賀多ダンスリーグが終わったら、ダンス全国大会の県予選の練習が始まるのよ。それに夏のダンス合宿の準備も進めないといけないのよ。新しい部なんかに入ってる時間はないでしょ・・・それで、いったい、あなたたち、何部に入ったって言うの?」


 夏美が真剣な顔で答える。


 「先生。スキャンティー部です」


 山西が眼を向いた。


 「ス、スキャンティー部ぅぅぅ?」


 山西は白眼をあけたまま後ろにひっくり返ってしまった。


 牧田が肩をすくめて、またおかしな言葉を口にした。


 「オー、スッキャンだあ!」


 おそらく「オー、すっころんだあ」とでも言いたいのだろう。オレと夏美は顔を見合わた。それにしても、スキャンティー部ねえ・・・こんな部を創っていいのかなあ?



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