第9話

 安賀多高校ダンス部の練習は、主にバーレッスン、フロアレッスン、それに創作ダンスに分かれる。創作ダンスはさらにパートとダンス大会のための『大会用の創作ダンス』に分かれていた。パートというのは、ヒップホップ、ジャズ、ロックといったパートに分かれての作品創作だ。


 練習は平日の毎日放課後だ。大会前は土日も休みなしになる。しかし、平日、休日ともに、用事があれば休むことができる自由さがあった。


 体育館の一角に大きな鏡とバレエ用のバーが設置された専用のダンスフロアがある。そこが練習場所だ。ダンスフロアは5年前に体育館が改装されたときに、新しく造られたものだった。ダンス部がメインに使用しているが、体操部や新体操部など他の部もときどき使用している。


 その日、オレは、はじめてのダンス部の練習を終えた。さすがにくたびれた。身体のあちこちが痛い。オレは赤いレオタードの上からバスタオルで汗をふいた。バスタオルは夏美が貸してくれたものだ。


 タップリ練習すると、オレはなんだかレオタードに慣れてきた。何と言っても軽くて、身体にフィットしているので動きやすい。それに入部の挨拶のときは、全部員がオレのレオタード姿を注視していたが・・一緒に練習をしたことで部員たちも慣れてしまったようで、今日の練習の最後には、オレのレオタード姿に興味を持つものは部員の中には誰もいなくなってしまった。


 みんなと一緒に練習用の用具を片付けると、オレは体育館の中を見まわして、レオタードを着替えるところを探した。部室は女子部員たちが着替えるから、オレは彼女たちが着替え終わるまで入ることができない。


 夏美がやってきて、明るい顔でオレをのぞきこんだ。


 「小紫君。今日はよくがんばったわね。練習ははじめてだから疲れたでしょ」


 「ああ、疲れたよ。もうヘトヘト・・・」


 「後で部室に来て。私と一緒に帰りましょ」


 そう言うと、夏美は走って行ってしまった。


 そのとき、後ろから声がかかった。


 「副部長」


 オレは最初、オレが呼ばれているとは気がつかなかった。もう一度、声がした。


 「小紫副部長」


 オレはあわてて振り返った。


 一人のダンス部の部員が立っていた。オレと同じように『AGADAN』の赤いレオタードの上からバスタオルをかけていた。名前は知らない。背はオレより少し低い感じだ。セミロングの黒髪をピンクのシュシュで無造作に後ろに束ねていた。まだ、あどけない顔立ちだったが、整った目鼻立ちが意思の強さを連想させた。頬が少し赤くなっている。額には汗が光っていた。前髪が汗で額にくっついている。


 部員がオレに一歩近づく。オレはあわてて一歩後ずさりした。女子にこんな風に迫ってこられた経験は・・・残念ながら、オレには一度も無かったのだ。女子部員のかわいらしい声が聞こえた。


 「あの、私、1年5組の瀬本茜です」


 オレはドキマギしながら答える。恥ずかしながら、声が上ずってしまった。


 「あ、はい・・・・・」


 茜がさらに一歩オレに近づきながら言った。それに合わせて、オレは一歩後ろに下がった。


 「あの、私、聞いたんですけど・・・副部長は、この前、部室の横の女子トイレでとっても不思議な体験をされたんですってね? 女子トイレの個室の中で倒れている警備員の男の人を見つけたって・・・」


 「ああ、あれ・・・その通りだよ。確かにあれは不思議な体験だったよ」


 「それって、やっぱり、『おくねさん』のしわざなんでしょうか?」


 「おくねさん?」


 そのとき、声が聞こえた。


 「茜・・・置いていくよ」


 三人のダンス部員が体育館の出口で茜を見て、笑いながら手を振っている。


 「友達が待ってるので・・・では、また・・・」


 茜はそう言って体育館の出口に走っていってしまった。オレは呆然と茜の赤いレオタード姿を見送った。


 オレは体育館の隅でレオタードを着替えると、さっそくダンス部の部室に向かった。夏美が待っていてくれた。他の部員が帰って夏美と二人きりになると、オレは茜が言ったことを聞いてみた。


 「1年5組の瀬本茜さんが、『おくねさん』と言ったのね」


 めずらしく夏美が考え込んだ。


 「うん、そうだよ。『おくねさん』というのは何だろう? 人の名前なのかなあ?」


 「小紫君。あなた、安賀多高校の『おくねさん』の話は聞いたことはないの?」


 「『おくねさん』の話? いや、聞いたことがないよ。倉持、『おくねさん』の話というのは何?」


 「安賀多高校の女子生徒は『おくねさん』の話をみんな知ってるわ。女子トイレに関係することですからね。だけど、男子生徒は誰も知らないのかもしれないわね」


 「・・・」


 「ほら、どこの学校でも『トイレの花子さん』といった幽霊話があるでしょう。安賀多高校の『おくねさん』は、ああいう幽霊話なのよ」


 「ゆ、幽霊話だって?」


 「そうなのよ。幽霊話なの・・・実はね、部室の隣の女子トイレは5年前に改装されたんだけど、それ以来、トイレの奥からときどき変な音や声が聞こえてくるという噂があるのよ。それで『奥』から『音』がするので『奥音(おくね)さん』がいるって話になっているのよ。それから、『おくねさん』は白い服を着た女だとか、女子トイレが改装されるときにトイレで自殺した女子生徒の霊だとかいろいろ言われているのよ」


 オレは飛び上がった。


 「ト、トイレで自殺した女子生徒の霊だって?」

 

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