第8話

 ダンス部? 副部長? レオタード? 一体、何の話だ?


 オレの疑問にもかかわらず、山西はそう言うとさっさと部室を出て行ってしまった。


 オレはあっけにとられた。何が何だかさっぱりわからない。仕方がない。オレは夏美に耳栓をしていたことを打ち明けた。夏美は仰天した。


 「え~。小紫君。あなた、山西先生とのお話の間、ずっと耳栓をしていたの。じゃあ、あなたは最初から山西先生のお話をまったく聞いていなかったの?」


 「実はそうなんだ」


 「まあ、あきれた人ね」


 夏美が大げさに肩をすくめた。オレは気になることを夏美に聞いた。


 「で、倉持。さっきは、どんな話だった?」


 「最初、山西先生は、いまのダンス部は女子ばかりなのでダンスの動きの統制はとれるんだけど、ダンスにパンチがない、アクセントが出ないと言って難しい顔をして嘆いていたの。


 しかし、それから、山西先生が『だけどこの前、小紫君の入部の話があった。それを聞いて、これで男子が入ってくれるって安心した』と言って笑ったのよ。そこで、私が小紫君に『小紫君、本当にダンス部に入ってくれるの?』と言って聞いたのよ。すると、小紫君が微笑みながらうなずいて、ダンス部の入部を了解したのよ。私は山西先生に『先生。よかったですね』と言って一緒に笑ったの。


 そうしたら、先生が『私はダンスで男女の服装を区別するのはよくないと思う。女子だけがレオタードで踊るのはおかしいんじゃないか?』と言い出したのよ。それで、先生が小紫君に『ダンス部では男女が同じ服装になるように、小紫君も女子のレオタードを着て踊ってくれる?』と頼んだのよ。すると、小紫君が笑って、OKだと言ってうなずいたわけ。


 私も小紫君が女子のレオタードを着て踊ると言ったんでびっくりしたわ。それで、私が小紫君の肩に手を置いて『女子のレオタードを着るのは恥ずかしくないの? 本当に女子のレオタードを着て踊ることはOKなの?』と確認したら、小紫君は『全然、問題ないよ。OKだ』と大きくうなずいたのよ。


 そうしたら、山西先生も小紫君の肩に手を置いて笑いながら『どうせダンス部に入るんだったら、部長の倉持さんの下の副部長をやってくれない?』とさらに無理を言ったのよ。すると、小紫君はまたもOKだとうなずいたのよ。


 それで、ダンス部に入ることも、女子のレオタードを着て踊ることも、副部長になることも、先生の希望はみんな小紫君がOKしてくれたので、先生はご機嫌になっちゃったのよ。先生は微笑みながら何度も『良かった、良かった』とうなずいていたの。小紫君も先生に合わせて一緒に微笑みながら『先生、任せてください』と何度もうなずいていたのよ。


 それで、先生がダンス部の予備のレオタードをあなたにプレゼントしてくれたのよ。しかし、小紫君が何でもOKするから、私も本当に驚いたわ」


 「ええっ。そ、そんなバカな・・・オ、オレは何もOKなんてしてないよ・・・」


 オレがそう言って首を振ると、夏美が厳しい顔でオレをにらんだ。そして、裁判官が判決を下すように、おごかにオレに言った。


 「小紫君。あなた、何を言ってるのよ。もう、おそいわよ。もう、あなたはダンス部に正式に入部して、今は副部長なのよ。それに、山西先生の『男女の服装を同じにすべきだ』という考えに賛成して、山西先生に女子のレオタードを着て踊りますって約束したのよ。もう、あとには引けないでしょ・・・さあ、これから今日の練習よ。もうすぐみんな、この部室にやってくるから、小紫君、あなたはどこかで、そのレオタードに着替えてきてちょうだい。着替えたら真っ直ぐに体育館に来るのよ」


 30分後、オレはダンス部の真っ赤な半袖のレオタードを着て体育館のダンスフロアに立っていた。オレのレオタードの胸には『AGADAN』の白文字がある。オレはレオタードの下には何も付けていなかった。オレの裸の身体全体をレオタードが覆っているだけだ。レオタードの生地が薄いので、まるで全裸で外に立っているようだ。レオタードを通して空気が直接肌に感じられた。なんだか肌がスース―する。


 女子の真っ赤なレオタード姿なんて! はずかしい。顔から火が出るようだ。オレは下を向いて立っていた。はずかしくて、とても顔を上げられない。


 眼の前には、ダンス部の全メンバーが真っ赤なレオタードを着て立っている。みんなの胸にも『AGADAN』の白文字が光っていた。言うまでもなく全員が女子だ。赤色の軍団がオレの眼にまぶしかった。安賀多高校のダンス部員は1年生28名、2年生23名の51名だ。数字にはオレは含まれていない。ダンス部では、3年生の部員は受験勉強を優先させることが可能で、部活は自由参加で良かった。このため、今年の3年生の部員は全員がもう練習には参加していなかった。


 1年生と2年生の部員を前にして、スタンドマイクを使った夏美の声が体育館にひびいた。


 「では、今日からダンス部に入部した2年1組の小紫君をみなさんに紹介します。実は、山西先生が『ダンスで女子だけがレオタードを着るのはおかしい』とおっしゃって、小紫君も先生に賛同してくれたんです。それで、小紫君はこれから、私たちと同じ『AGADAN』の女子のレオタードを着て練習に参加してくれることになりました。ダンスの大会でも女子と同じ衣装で踊ってくれることになっています。また、小紫君にはダンス部の副部長も務めてもらいます。では、小紫君、ここに来て挨拶をお願いします」


 オレは真っ赤になってスタンドマイクの前に立った。眼の前の51人のダンス部員たちが着ている、51枚のレオタードが赤く光って、オレの顔をさらに赤く照らした。


 ダンス部の全員の眼がオレにそそがれている。女子の赤いレオタードを着た姿を上から下までじっくりと女子部員に観察されている。オレはレオタードに絡みついてくる多くの視線を感じた・・・オレの顔から再び火が出た。はずかしい。再び真っ赤になりながら・・・オレはやっと言った。


 「あ、あの、小紫です。2年1組です。き、今日からよろしく、お、お願いします」


 そう言うのが精いっぱいだ。我ながら消え入りそうな声だった。


 眼の前の部員全体から「大丈夫かな?」、「ダンス、踊れるの?」、「2年になってから入部するなんて・・・」という不安げな空気がひりひりと伝わってくる。全部員の視線が針のようにオレに突き刺さった。


 オレの身体が震え出した。オレの頭から血の気がスーと引いていくのがわかった。気が遠くなりそうだ。逃げ出したい。何とかこの場から消え去りたい。オレは背中を向けて、この場から走って逃げだそうとした。


 そのときだ。夏美がオレに続いて言った。


 「みなさん、小紫君に何か質問はありますか?」

 

 後ろの方で誰かの声が飛んだ。


 「誰かな人はいますか?」


 ドッと笑い声が起こる。


 オレの身体が勝手に動いた。


 オレは身体の前に左手でスタンドマイクをつかんだ。タッ、タッ、タッ、タッとリズムをきざむ。右足でスタンドマイクの先端を軽く蹴るふりをする。左手を起点にしてスタンドマイクを270度回転させて頭上に持ってきた。マイクスタンドを頭上で水平にして構える。両手を使ってスタンドマイクをくるくると三回転させた。いったんスタンドマイクを頭上で水平に静止させると、左足を大きく上げて、右足を軸にして身体を一回転させた。


 レオタードなので実に動きやすい。オレの身体がスムーズに動いた。


 オレは前を向くと、身体の前に今度は右手でスタンドマイクを立てる。マイクスタンドが体育館の床をトンとたたいた。マイクに向けてオレの口から言葉が出た。


 「はい、ポーズ」


 一瞬の静寂があった。すると、体育館の入り口からパチパチパチパチと拍手が起きた。入り口を見ると、拍手をしているのは・・またあの掃除のおばちゃんだ。


 次の瞬間、ダンス部の部員全体から「オー!」という歓声が湧き上がった。次いで、大きな拍手が湧きおこった。大歓声の中に「さすが、副部長」、「かっこいい」、「やるー」、「すごい」といった声が混じっている。


 なんとか、ダンス部への入部挨拶は無事に済んだようだ。


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