第28話 猫脚 VS 喧嘩狼 ~決着編~

「――まったく。夏だからと言って、ハメを外し過ぎるなよ未成年ども?」

「「はい、申し訳ありませんでした……」」



 ハァ、とこれみよがしにため息をこぼすポリスメンが、俺たちを乗せてきたパトカーへと再び乗り込んだ。


 俺とオカマ姉さんは、去っていくパトカーを無言で見つめながら、大きく息を吐き捨てた。



「つ、疲れたぁ~……」

「同じく……」



 俺の言葉に同意したオカマ姉さんが空を仰ぐ。


 そこには、ピカピカ輝く金メダルのように、大きな満月が浮かんでいた。


 時刻は草木も眠る丑三つ時。


 俺とオカマ姉さんは、手押し車400メートル走をまったくの同着でゴールするな否や、大会運営テントで控えていた警察官に『公然わいせつ罪』の現行犯として、2人一緒に仲良く署へと連行させられていた。


 こういうとき頼りになる芽衣ちゃんは、何故か俺に向かって笑顔で中指を勃起させるだけだし、メバチ先輩はオロオロするばかりで役に立たない。


 古羊に至っては、地に伏したまま、自分のお股を押さえて、恨めしそうな、それでいて恥ずかしそうな表情で俺を見上げてきていて……ちょっと興奮した。


 ちなみにタケルくんは、そんな古羊の隣で仰向あおむけで倒れながら、死んだ魚のような目で、青空をずっと眺めていた。


 彼の目尻から流れた一筋の涙は、引き分けへの悔恨かいこんか、それとも凌辱された悲しみだったのかは……あのときの俺には分からなかった。


 そんな事があり、急遽、警察署でお世話になること約9時間。


 ようやく誤解が解け、釈放された俺たちは、夜とは言え天下の往来を水着1枚で踏破するのは風紀的によろしくない! ということで、宿泊予定の民宿の前までパトカーで送ってもらい、現在に至るのであった。



「結局、どっちが優勝したことになるのかしら?」

「引き分けだし、ノーカンじゃねぇの? あっ! もちろんノーカンだから、あの約束はナシな!?」

「まぁ、そうなるわよねぇ~」



 オカマ姉さんは「んん~っ!」と大きく1度背伸びをすると、どこか晴々はればれとした表情で浜辺の方を指さした。



「このまま帰るのは味気が無いし、ちょっとそこまで気晴らしに散歩でもしない、ダーリン?」

「身の危険を感じるから、嫌だ」

「大丈夫よ、何もしないからっ! ……たぶん」



 何とも不安の残る語尾を残しながら、先を歩いて行くオカマ姉さん。


 流石にこのまま姉さんを残して民宿へと戻るのは気が引けるワケで……ハァ。



「しょうがねぇなぁ」



 俺はポリポリと後頭部を指先でかきながら、大人しくオカマ姉さんの後ろを付いて行った。


 どうやらビーチへ向かっているらしく、潮騒の匂いが濃くなる。


 砂浜へと足を踏み入れると、淡い月の光が海面に反射して、なんとも言えない幻想的な光景が視界いっぱいに広がった。



「さて……っと。ここでいいかしらね」



 オカマ姉さんは歩みを止めると、俺の方へと振り返り。




「ねぇダーリン? あたしの目的、覚えてる?」

「古羊の捕縛と俺の討伐だろ?」


「そっ。あたしの目的は『古羊洋子の捕縛』と『喧嘩狼の討伐』。でも、ダーリンがあたしのダーリンになってくれるなら『古羊洋子の捕縛』の件は、あたしが何とかしてあげる。――と、あたしはそう言った」



 でも、とオカマ姉さんは続ける。



「ちょっと気が変わったわ」

「気が変わった?」



 オカマ姉さんは「えぇっ」と微笑を浮かべながら、



「ねぇダーリン、北斗連合に入らない?」



 と言った。




「総長には、あたしの方から言ってあげるわ。もちろん、連合に入ってくれるなら『古羊洋子の捕縛』も『喧嘩狼の討伐』も『ダーリンお婿さん計画』も、全部無かったことにしてあげる。どう?」


「これはまた……どういう風の吹き回しで?」


「純粋にダーリンの事が気に入っちゃったのよ。恋人にするよりも、ソッチの方が楽しそうだしね♪」




 そう言ってオカマ姉さんはコロコロと笑った。


 一体何がオカマさんの琴線きんせんに触れたのかは分からないが、俺の言うべき言葉は決まっている。



「ワリィな姉さん。俺は北斗連合には入らねぇし、姉さんの恋人にもならねぇ」

「……そっか。それが答えで、いいのね?」



 あぁ、と俺が頷くなり、オカマ姉さんは「しょうがない」と言わんばかりに、苦笑を顔に張り付けた。




「じゃあ悪いけどダーリン――ううん、喧嘩狼。アナタを倒して、古羊洋子を連れて帰ることにするわ」


「させねぇよ。たとえ神様仏様が相手だろうと、アイツは誰にも渡さねぇ」


「あぁ~、いいわねぇソレ。女なら1度は言われてみたいセリフだわ♪」




 もうっ、妬けちゃうわねぇ~っ! と、ワザとらしく『きゃっぴるんるん☆』し始めるオカマ姉さん(♂)。


 でもその瞳は闇夜でもハッキリと分かるほど、闘争心に満ち溢れていた。


 まるで獲物を狙うネコ科の動物を彷彿とさせる瞳。捕食者の目だ。


 ……どうやら、覚悟はとうの昔に出来ていたらしい。



「一応言っておくぜ、姉さん。――勝っても負けても、恨みっこナシな?」

「もちろん」



 笑顔で頷くオカマ姉さんを視界に収めながら、俺は己の行動を定めた。


 心のスイッチを無理やり切り替え、『眠たい……』と軟弱な言葉を吐く己の細胞にかつを入れる。


 途端に身体の最奥から熱いエネルギーが迸り、細胞がソレを貪り喰らい活性化。


 あふれ出る力に後押しされて、自然と口元に笑みが宿る。


 分かる、今、俺はバカみたいに元気だ。


 頭も、身体も、心も軽い。


 絶好調!



「――ッ!」



 先に動いたのはオカマ姉さんだった。


 静寂しじまを破るように、真っ直ぐコチラに向かって突進してくる。


 俺の間合いの半歩外側から、オカマ姉さんの右足が緩やかに可動し、加速する。


 俺の顎を蹴りぬくつもりの、右の上段回し蹴りだ。


 俺は左腕を軽く上げ、ソレを受け止め――



「しなれ、猫脚っ!」



 空気を切り裂く右の上段回し蹴り。


 ソレがまるで大蛇ように、ぬるりと方向を変えると、勢いそのままに、俺の左足をパァンッ! と激しく打ち抜いた。


 毛穴に針を詰められたかのような、鋭い痛みが左足を襲う。


 傾く俺の巨体。


 そこへ追撃の足刀が目の前へと迫る。


 狙いは顔。



「にゃろうっ!?」

「あらっ?」



 間一髪、両手でオカマ姉さんの足刀を受け止める。


 途端に両腕を起点に、甘い痺れが全身を駆け抜けた。



「今のは入ったと思ったのに。アレに反応するなんて、流石は喧嘩狼ね♪」



 後ろに跳躍しながら、俺の間合いから逃げるオカマ姉さん。



「おいおい、姉さん? もしかして、ご先祖様にタコでも居た? ちゃんと足に骨、入ってる?」

「失礼ねっ! 骨密度には自信があるわよ」



 ぷんぷんっ! と頬を膨らませていきどおるオカマ姉さん。可愛くない……。


 俺がちょっとゲンナリしていると、姉さんは、今度はどこか自慢気に「ふふんっ!」と鼻を鳴らした。




「あたしはね、トップスピードに乗ったまま、蹴り筋を自由に変えることが出来るの。それが、あたしが【猫脚】って呼ばれている理由」


「蹴り筋を変える?」


「そっ。アナタの『消える右足』とは逆。見えているからこそ、反応できない。反応しても、後から手を変えられる。後出しジャンケンのようなモノね」


「な~る」




 子どものように無邪気に笑うオカマ姉さんを尻目に、俺は1人納得した。


 なるほどなぁ、そりゃ鷹野も手こずるワケだわ。


 コッチの手を見てから行動を変えることが出来るとか、なんですか?


 親戚に無冠の五将でも居るんですか?



「この【猫脚】のおかげで、あたしは北斗連合の大幹部【七星セブン・スター】まで上りつめたワケ。――っと、お喋りはここまでにしておきましょうか?」



 オカマ姉さんの瞳はネコ科の動物のように鋭くなる。


 あとは拳で語り合いましょうってか?


 まったく、母ちゃんといい、女神さまといい、どうして俺の周りの人間たちは、みんな肉体言語で会話したがるのだろうか?


 アマゾネスさんなのだろうか?



「あたしの【猫脚】と、アナタの【悪魔の右足】……どっちの足技が上か、決着をつけましょうか?」



 そう言って、オカマ姉さんは再び突撃の体勢に入った。


 もう言葉は必要ないらしい。


 なら今、俺がやるべきことは単純明快だ。


 相手よりもはやく、己の渾身の1撃を叩きこむ。


 それだけだ。



うなれ、猫あ――ッ!?」



 オカマ姉さんが流れるように、俺の間合いに踏み込んできた。


 瞬間、俺の意識と無関係に、右足が跳ね上がった。


 すさまじい勢いで跳ね上がるソレは、空気を切り裂き、吸い込まれるように姉さんの顎へと伸びていく。


 自分でも見切れないほどの速さで繰り出された前蹴まえげり。


 いや、前蹴りに似たナニか。


 ソレを長年の経験によるモノか、それとも野生の直感によるモノなのかは分からないが、咄嗟とっさに腕で防御するオカマ姉さん。


 でも、そんな行為に意味はない。


 俺の右足は本人の意思を無視して、肉を潰し、骨を叩き、それでもまだ威力は衰えず、オカマ姉さんの2メートル近い身体を蹴り上げ、5メートルほど後方へ弾き飛ばした。


 ふわっ! と夜間飛行する姉さんの身体。


 闇夜のビーチを悠然と滑空しながら、ただ慣性によって進み、重力に引かれて落ちていく。


 ドサァ! と、受け身すら取ることなく、地面へと墜落するオカマ姉さんの口から「ゲハッ!?」と苦悶に満ちたあえぎ声が耳朶を叩いた。



「い、痛ぁ~……ちょっ!? ここまでだなんて、聞いてないんだけど?」

「喋り過ぎだぜ、姉さん?」



 オカマ姉さんは、鼻と唇の端から血を流しながら、立ち上がる。


 その瞳の中に宿る闘志は衰えるどころか、ますます燃え盛る。



「なるほど、これが【悪魔の右足】ね。上等じゃない、相手にとって不足なしっ!」



 面白くなってきたわね! と、前のめりで地獄に行く気満々の笑みで、再び俺に襲い掛かってくる。



「しなれ、猫脚っ!」



 俺の腹部を狙うように放たれた、オカマ姉さんの左中段の前蹴りが、またしても軌道を変え、俺の側頭部めがけて飛んでくる。


 ソレを紙一重で躱すなり、流れるようにオカマ姉さんの右上段うしろ回し蹴りが俺を襲う。


 鼻先を掠めながらも、ギリギリのところで回避するや否や、息をする暇すらなく、右の足刀が俺の腹部をえぐるように放たれる。


 まるで嵐の如き蹴り技のコンビネーション。


 右に左にと、軌道をかえる蹴り筋。


 これは確かに……厄介だな。



「オラオラッ!? もっとあたしを楽しませなさい!」



 オカマ姉さんの右の上段回し蹴りが、中段へと軌道を変える。


 そのまま、俺の腹部へ突き刺さる――




「ッ!?」

「行くぜ、三下。格の違いを見せてやる」





 ――ことなく、姉さんの放たれた中段の回し蹴りは、俺の繰り出した右の回し蹴りにより相殺……いや、吹き飛んでいった。





 大きく体勢を崩す、オカマ姉さん。


 俺はそんなオカマ姉さんの無防備な左側頭部めがけて、俺の持てる最大火力の一撃右の上段回し蹴りを叩きこんだ。


 瞬間、悲鳴すらあげることなく、明後日の方へ吹き飛んで行くオカマ姉さん。


 ゴロゴロと慣性の法則に引っ張られながら、砂浜を転げて行き……止まった。


 そして静寂と潮騒の匂いだけが、場を支配した。


 頭が揺れて起き上がれないのか、仰向けで倒れたまま、ピクリとも動こうとしないオカマ姉さん。


 俺はそんな姉さんに近づきながら、短く吐息を吐いた。



「どうする? まだやるかい?」

「……やりたくても、身体が動かないわよ。なによ、その右足? 規格外すぎない?」

「じゃあ、勝負アリだな」

「あぁ~、クソ。負けちゃったかぁ~……イケると思ったんだけどなぁ」



 苦笑を浮かべる姉さんの顔は、満点の星空へと向かう。


 自然と俺の意識も倒れている姉さんから、夜空を彩る天然のイルミネーションの方へと移った。


 そこには長かった1日を締めくくるように、お月さまが俺たちに向けて笑いかけていた。

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