第4話 喫茶店に出会いを求めるのは間違っているだろうか?

「――ありがとうございます、先輩。俺の参考書まで選んで貰っちゃって?」


「ううん。君には大きな借りがあるから……。こんなので良ければ、いつでも付き合うよ……?」


「マジすか? ありがとうございますっ!」




 メバチ先輩に選んで貰った『チンアナゴでも理解できる! 高校数学』を手に、俺は彼女と共に書店の出口に向かって歩き始める。


 冷房の効いた部屋は汗ばんだ肌には心地がよく、先輩の落ち着いた声音と合わさって、気を抜くとその場で眠ってしまいそうだった。



「それにしても、俺はなんて恐ろしいモノを買ってしまったんだ」



 俺は手に持っていた『チンアナゴでも理解できる! 高校数学』を見下ろしながら、1人静かに戦慄していた。


『チンアナゴでも理解できる! 高校数学』……か。


 ふむ、読めば読むほど、恐ろしいタイトルだ。




「先輩。コレを理解出来なかったら、俺は一体何者なんでしょうね?」

「不安……?」


「そりゃそうですよ。果たして自分はチンアナゴ以下なのか、それともかろうじて人間としての可能性を残すことが出来るのか? この参考書を開いたときに、ソレが分かっちゃうんですから」




 知ってしまえば、俺はこの先【絶望】を抱えて生きていくかもしれない。


 それなら、何も知らない方が【幸せ】というモノではなかろうか?


 なんてらしくもなく、小難しいことを考えていたせいで、眉間にシワが寄っていた。


 そんなイケてない俺の顔を見て、メバチ先輩は「う~ん……?」と少しだけ思案したような表情を浮かべると、ニコッと微笑みを浮かべ、こう言ってきた。



「それじゃ、今から一緒に勉強する……?」

「えっ? いいんですかっ!?」

「うん……。ワタシも誰かと一緒に勉強したいと思っていた所だったから……」

「それじゃ全力でお言葉に甘えさせてもらいますっ!」



 先輩の言葉に頷きながら、内心、全力でガッツポーズを決めていた。


 やったぜ、デート延長戦だっ!


 今度こそカッチョイイ所を先輩にお見せして、出来る後輩だってコトをアピールしてやんよっ!


 やる気バリバリ最強ナンバーワンッ! 状態で先輩の隣を歩きながら、さっそくデート内容を詰めにかかる出来る男、シロウ・オオカミを今後ともよろしく♪



「どこで勉強します? ファミレスはこの時間だと五月蠅いですよ?」

「そうだなぁ……。それじゃ、あそこでしようか……?」

「あそこ?」



 先輩と共に自動ドアを抜けると、生ぬるい風が肌を撫で、俺の不快指数を跳ね上げてくる。


 俺はメバチ先輩の視線を追うように、書店の脇へと意識を向けると、こぢんまりとしたレトロな雰囲気たっぷりのお店があった。


 店の入り口には、これまた味のある看板が立っており……なになに? 『喫茶 ふぉれすと』とな?




「ワタシの行きつけの喫茶店……人も少なくて静かだから、1人で読書や勉強するときには、うってつけ……」


「なるほど、先輩のお気に入りのお店ですか」




 うん……と、どこか自慢するような口調で小さく頷くメバチ先輩。


 その『どやぁっ!』感がちょっと可愛い。



「いいですね! お昼もねて、あの喫茶店で勉強しましょうか?」

「うん……。それじゃ着いて来て……?」



 はいっ! と体操選手のような声をあげながら、意気揚々とメバチ先輩の後に続いて『喫茶 ふぉれすと』へと足を踏み入れる。





 ……このあと始まる惨劇なんぞ、知るよしもなく。





「ほへぇ~っ! 外観の割には、キレイな内装してますね? なんというか、落ち着きます」

「でしょ……? 知る人ぞ知る、穴場スポットなんだ、ここ……」



 お気に入りのお店を褒められたのが嬉しいのか、メバチ先輩が嬉しそうにニコッと微笑む。


 あっぶねぇ~、危うく告白どころかプロポーズして、盛大にフラれる所だったぁ!


 メバチ先輩に笑顔という名のハニーフラ●シュに、心を持って行かれそうになりながら、スタスタと店内の奥へと歩いて行く彼女の後を慌ててついて行く。


 先輩は何ら迷うことなく店の奥まった場所にあるボックス席へと移動すると、ごくごく自然にソファへーと腰を下ろした。




「ここがワタシのお気に入りの席……。隅っこの方にあるから、誰の視線も気にすることなく勉強できる……」


「おぉ~っ! なんだか秘密基地みたいな感じで、わくわくしますねっ!?」




 メバチ先輩の対面に座りながら、1人そわそわキョロキョロと店内を見渡すナイスガイ、俺。


 そんな俺の姿がツボにハマったのか、メバチ先輩はうっとりと目を細めながら「ふふっ……」と唇の端を引き上げた。



「それじゃ、勉強する前に、簡単な食事でもしよっか……?」

「了解でありますっ! ちなみに先輩オススメの料理とかってありますか?」

「ここのサンドウィッチは絶品……」

「なるほど。じゃあサンドウィッチで!」



 メバチ先輩はコクリと頷くと、机の上に置いてあった呼び鈴をポチリッ、と押す――よりも早く女のウェイトレスさんがやって来る。


 何か妙に速いな、このウェイトレスさん? 


 小首を傾げていると、ウェイトレスさんはメバチ先輩と俺の前にそれぞれ水の入ったコップを置いてくれた。


 あぁ、なるほど。お冷を持って来てくれたのね。



「いらっしゃいませ。コチラ、お冷と『おしぼり』になります」

「あの、注文いいですか……?」

「どうぞ?」



 妙に上機嫌なウェイトレスさんの声を聞きながら、俺はお冷で唇を潤した。



「『サンドウィッチ・セット』を2つで……」

「『サンドウィッチ・セット』が、お2つですね? セットのお飲物はいかがいたしましょうか?」

「紅茶と……君はどうする?」

「じゃあ俺はコーヒー、もちろんブラックで」



 キリッ! とした表情で先輩にそう告げる。


 正直、豆のき汁を吸うなんて、誇り高き哺乳類の頂点に君臨する人類がすることじゃないが、先輩に大人の男を思われるためには仕方がない。


 今日だけは全力で我慢して飲んでやるよっ!


 ありがたく思えよ、コーヒーっ!



「かしこまりました。それではご注文を繰り返します」



 ウェイトレスさんは実によどみない口調で、




「『サンドウィッチ・セット』がお2つ。お飲物は『紅茶』と、本当は1ミリも飲めないのにクセにイキがって注文しちゃった『ブラックコーヒー』で、よろしかったでしょうか?」


「よろしくありませんけど?」




 何故か俺のブラックコーヒーだけ、変な注釈がついていた。



「ちょっとお姉さん!? なんで俺が本当はブラックコーヒーが飲めないことを知っているんですか!? エスパーですかっ!? ……あっ」



 メバチ先輩の前で恥をかかせるんじゃないっ! と、ウェイトレスさんにやんわり文句を言おうと視線をよこして……俺は言葉を呑んだ。




 俺の視線の先、そこには、白と黒のシックな制服に身を包み営業スマイル全開の猫かぶりのお姫さまこと、我らが生徒会長――羊飼芽衣さまが立っていた。




 ……どうやら神様はとことん俺が嫌いらしい。




「エスパーではありませんが、士狼の好みくらい把握していますよ」

「め、芽衣……なんでここに?」

「『なんで』も何も、朝にお話したではありませんか。もう忘れたんですか士狼?」

「あっ……。バイト先、ここだったのね……?」

「はい、ここでした」



 ニッコリ♪ と満面の笑みを浮かべる我らが女神さま。


 その笑顔は真夏の太陽に負けないくらい輝いて見えるのだが……俺の気のせいかな? 芽衣ちゃんの背後に、金剛力士像が浮いて見えている気がしてならないのは?


 ナニアレ? スタ●ドかな?



「魚住先輩も、おはようございます♪」

「か、会長……? ここでバイトしてたの……?」

「そうなんですよ、夏休みの間だけココで働くことにしたんです」

「そっか、頑張ってね……?」

「はい、頑張ります」



 ほがらかに会話し続ける芽衣とメバチ先輩。


 2人ともニッコリ♪ と笑みを深めた瞬間。


 バチィっ!? と芽衣とメバチ先輩の間で、火花が飛び散ったように見えた。見えてしまった。


 ……疲れているのかな、俺?




「羊飼さーん? 6番テーブルの注文オーダー、取って来てぇ?」


「ほ、ほら芽衣っ! 呼んでるぞ? 店長らしき人が呼んでるぞ!? はやく行ってあげないとっ!」


「チッ……そうですね。では失礼します」




 俺にしか聞こえない程度の舌打ちをこぼしつつ、厨房の方へと戻って行く会長殿。


 もちろん猫かぶりの笑顔を顔に張り付けたまま、ね。




「まさか芽衣のバイト先がここだったとは……知ってました先輩? ……あれ、先輩? どうしたんですか先輩? メバチ先輩?」


「あっ、ごめん……。ちょっと考え事してた……」




 芽衣の後ろ姿を、ナニを考えているのか分からない瞳で見つめ続けていた先輩が、思い出したように俺に視線を戻してきた。


 その顔はちょっぴり焦っているようで……慌てていても可愛いな、この人?


 抱きしめてやろうかな?




「時間ももったいないし、ご飯が来るまで勉強でもしてようか……?」


「そうですね。それじゃさっそく、今日買ったこの恐ろしいタイトルの参考書を開いていきましょうかっ!」




 俺は『チンアナゴでも理解できる! 高校数学』を引っ張り出し、机の上に広げ――ようとするのだが、それよりも早くメバチ先輩が動いた。


 先輩は「よいしょ……」と腰をあげると、スタスタと対面に座る俺の横まで移動し、何ら躊躇ためらくことなく、俺の隣に座り直して、ふぇっ!?




「ちょっ、先輩っ!?」

「コッチの方が見やすいから……」

「そ、それにしては近すぎませんかっ!?」

「……コッチの方が見やすいから。……ダメ?」


「いや、その、ダメというワケではなくっ!? えっと、あばっ! あばばばばばばばばっ!?」




 メバチ先輩は俺に体重を預けるように身体をしなだれてきて、必然的に彼女の腕、というか横乳が俺の腕にダイレクトに伝わってきて、えっ?


 こ、この腕に伝わる柔らかい感触……もしかして先輩、ノーブラかっ! ノーブラなのかっ!?


 サマードレスの薄い生地越しに、普段ならあるであろうブラジャーの感触が一切なく、代わりに日に焼けて火照った彼女の体温と、ふにょん♪ と奇跡のような柔らかい感触が俺の腕を包み込んで、チクショウっ!?


 俺は一体どうすればいいんだっ!?


 普段の俺であれば、小粋なジョークを織り交ぜつつ『先輩ってノーブラ派なんですね? 最高にワンダフル☆グレイトですね♪』と、満面の笑顔と共に、その瑞々しい頬にフレンチなキスを1つお見舞いしてやる所なのだが、何故か今日の俺の唇からは「あばっ!?」というワケの分からない言葉しかまろび出ない。


 クソッたれめ! 何度も夢にまで見たシチュエーションのハズなのに、いざこうなった途端【あばばばば】状態になるだなんて、俺はどんだけヘタレなんだっ!?




「どうしたの……? はやく勉強、しよ……?」

「あ、あばばっ!?」




 スルリと先輩の甘い声が鼓膜を震わし、彼女の横乳の感触と共に俺の言語中枢を狂わせ、思考をショートさせる。


 せめて先輩のお乳さまに触れたのが足などであれば『えぇい、それがどうしたっ!? 俺は勉強がしたいんだっ!』と一蹴することも出来ただろうが、いかんせん……腕は下半身よりも脳に位置が近いのだ。




「どの単元から勉強しようか……? 君の希望とかある……?」

「あ、あばりんちょっ!?」




 メバチ先輩は顔にかかった髪を指先ですくいながら、耳にかけるような仕草をした。


 途端にふわっ、と男を狂わすような甘い匂いが鼻腔いっぱいに広がって……先輩、超イイ匂いがするんですけどっ!? 


 フェロモンかっ? これがフェロモンなのかっ!?



「大神くん……? ねぇ、聞いてる……?」



 そう言って、メバチ先輩は瞳を潤ませ、今にもキスせんばかりに俺に顔を近づけて、




 ――ガッシャン!




「「っ!?」」

「ハァ、ハァッ!? お、お待たせしましたっ! こちら紅茶とブラックコーヒーになりますっ!」



 先輩の湿った吐息が俺の頬に近づいた瞬間、俺たちが頼んだ紅茶とブラックコーヒーを乗せた【おぼん】が、半ば叩きつけられるように机に置かれた。


 先輩は慌てた様子で俺から距離をとると、頬を紅潮させたまま「あ、ありがとう……」と、ぎこちない笑みを浮かべて紅茶を受け取る。


 俺もドギマギしながらブラックコーヒーを受けと――ろうとして、肩で息をしていたウェイトレスさんの存在に気づいて、取りこぼしそうになった。


 芽衣と同じく、白と黒のシックな感じの服装に身を包んだウェイトレスさんが、どこか責めるような視線を俺にぶつけてきて、気がつくと俺の頬はピクピクと不器用な笑みを浮かべて痙攣けいれんしていた。



「あっ……古羊もココで働いてたんだ?」

「うん、働いてた」



 そう素っ気なく口にするのは、我が不肖の1番弟子にして、子犬系なんちゃってギャルこと古羊洋子ちゃん、その人であった。


 古羊はいつも無償で俺に向けてくれる笑顔を引っ込め、口をムッツリと閉じながら、俺とメバチ先輩をジロジロと交互に見返すと。



「ししょー、近い」



 と言った。



「他のお客様の迷惑になるから、離れて」



 彼女にしては珍しく有無を言わさぬ口調で、そう口にするなんちゃってギャル。


 ……主に俺を睨みながら。


 な、なんだなんだ?


 今日はすこぶる機嫌は悪いぞ、コイツ? 


 もしかして『あの日』か? 始まったのか?


 いやでも、朝、会ったときは機嫌がよかったし、う~ん?


 ほぅ~ら、古羊ちゃ~ん? 笑ってぇ~? 


 いつものあの優しい笑顔を、お師匠様に見せてごら~ん?


 古羊の変調に俺が混乱していると、俺の横に座っていたメバチ先輩が「ごめんなさい……」とギャル子に向かって頭を下げていた。



「次からは気をつける……」

「つ、次なんてありませんからっ! いいから離れてくださいっ!?」

「今から勉強を教えるから、ソレは出来ない……」

「べ、勉強ならボクが教えますっ!」

「アナタはバイト中でしょ……?」



 古羊さ~ん、遊んでないで厨房に戻ってきてぇ!? と店長の悲鳴らしき声が聞こえた瞬間、「ぅぐっ!?」となんちゃってギャルの顔が苦悶に歪んだ。


 メバチ先輩はそんな古羊の姿を見て、どことなく勝ち誇った笑みを顔に浮かべながら、優雅に紅茶を口に含み。



「ほら、店長さん、呼んでるよ……?」

「うぅうぅうぅ~……」



 古羊は未練がましそうに「うぅ~、うぅ~」唸りながら、後ろ髪を引かれるようにトロトロと厨房へ戻って行った。


 メバチ先輩は時折チラッ、チラッ、と子犬のようにコチラへ振り返る古羊の視線から、俺を守るように、再び身体を密着させると「ふふっ……」と、どこか小悪魔っぽく微笑んでみせた。



「それじゃ勉強、しよっか……?」



 まずは三角関数からね? と言って、横から『チンアナゴでも理解できる! 高校数学』の参考書を開き始める先輩。


 気のせいか、ウッキウキ♪ な先輩を横目に、俺は心の中で店長に声をかけていた。


 あの、店長? ちょっと冷房キツくない?


 すごく寒いんですけど?

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