第5話 パンツだから恥ずかしくないもんっ!

 体育倉庫を整理し終え30分。


 時刻はもうすぐ7時を回ろうかとする時間。


 青と赤の境界線上と化した商店街へと続く坂道を、無言の男女がトボトボと歩いて行く。


 もちろんわたくし大神士狼と、なんちゃってギャルこと古羊洋子である。


 古羊は俺と目を合わせようともせず、俯いて、耳朶じだまでほんわかと桃色に染めあげたまま、トコトコと俺の横を歩いて行く。


 途端に、肌を撫でるような優しげな風が吹き抜けていった。


 ほんのり湿った風が、古羊の柔らかな髪をふわふわとさらう。


 それはまるで、今の古羊の心と立場を表しているような、そんな気がした。



「あら? 2人とも今帰り?」

「……なんだ芽衣か」

「……メイちゃん、今日は遅くなるんじゃないの?」

「そのハズだったんだけどね、偶然はやく終わっちゃってね――って、どうしたのよ洋子? そんなリトルマーメイドみたいな目をして? らしくないわよ?」



 死んだ魚のような目って言いたいのかな?


 周りに俺たちしか居ないため、女神の仮面を脱ぎ去って喋っていた芽衣の顔が、驚きの表情へと変わる。


 そんな親友の顔をこの世の終わりみたいな顔で眺めながら、古羊は「ハハッ……」乾いた笑い声をポロリと溢す。


 その声は、そのままコロコロと坂道を転がって行き、どこかへ消えていった。



「何でもないよメイちゃん……」

「いや、その顔で『何でもない』は無理があるでしょ?」

「ほんと何でもないの……。ただ今日、ボクが女の子を辞めただけだから……」

「この数時間で一体何があったのよ……?」



 聞いてやるな、と芽衣を優しく諭していると、ふいにポケットに入れていたスマホが激しく震えだした。



『ヘイ、ラッシャーイ! ラッシャーイ! 柔らかいヨ~ッ! とても柔らかいヨ~っ!』

「おっ、電話だ。誰だ、こんな時間に?」

「ちょっと待って? なによ、そのイカれた着信音は?」

「肉屋のダニエルだよね?」

「あぁ、肉屋のダニエルだ」

「誰っ!? 肉屋のダニエル誰っ!?」



 数十分前の古羊とまったく同じリアクションをする女神さまを尻目に、ポケットからスマホを取り出す。


 着信者は……なんか知らない番号だなコレ?


 俺は小首を傾げながらも、通話ボタンをタップして。




「はい、もしもし。こちらハードボイルド大神のスマホです。どちら様ですか?」

『んほぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ❤❤❤』

「さようなら」




 ピッ、と通話を切り、天を仰ぐ。


 あぁ……出来ることなら、今すぐこの両耳を取り外して、聖水でジャバジャバ洗濯したい。


 むしろ安易に電話に出てしまった数秒前の自分をぶん殴りたい。


 耳にこびりついた男のアヘ声に俺が苦しんでいると、芽衣が酷く驚いた声でスマホを凝視していた。



「な、なに? 今の猿の鳴き声みたいな男の声は? 士狼の知り合い?」

「断じて違う」

「で、でもししょー? さっきからダニエルさんの声が止まらないよ?」



 俺の手の中でダニエルが『柔らかいヨ~ッ!』と狂ったように叫び続ける。


 もうこの時点で嫌な予感しかしない。


「はやく出てあげなさいよ?」と芽衣がせっつくので、俺は仕方なく再び通話ボタンをタップ。


 すると今度は荒い呼吸を繰り返す、くぐもった不快な男の声が鼓膜を揺さぶった。



『はぁはぁ……❤ ひ、酷いやないか喧嘩狼? なんですぐに切るぜよ?』

「酷いのテメェの嬌声きょうせいだ、テントマン。テメェのアヘ声が鼓膜にこびりついて離れねぇじゃねぇか、どうしてくれんだ?」

『はぁぁぁぁんっ❤❤❤ わ、ワシの声が喧嘩狼の鼓膜を蹂躙してっ!? あっ、ヤバい……想像しただけで――イクッ!?』

『もういいですかタカさん? そろそろ本題へ突入するので、スマホを返してください』



 興奮した声音をあげるテントマンこと九頭竜高校の頭である鷹野たかのつばさと入れ替わるように、芽衣と古羊、ついでに我が親友を拉致したあのクソ野郎、大和田おおわだ信愛のぶちかの声音がスピーカから垂れ流される。



『お久しぶりですね、大神様』

「……なんで俺の番号知ってんだよ、おまえ?」

『はて、何ででしょうね?』



 クスクスと、相変わらず人を小バカにしたようなしゃくに障る笑い方をする男だ。


 俺は再び問答無用でスマホの通話を切ろうかとしたが、なにやら大和田が意味深なコトを口にし始めたので、黙って耳を傾けてみることにした。



『先日は鷹野共々、大変お世話になってしまって……。このお礼は近いうちに必ずさせてもらいますので、楽しみにしていてくださいね?』

「……また何か仕掛けてくる気かよ。しつこい男は嫌われるぞ?」



 電話の向こう側で『シャーッ!』と口角を引き上げ、蛇のように笑う大和田の姿が簡単に想像出来て、思わず辟易へきえきしてしまう。


 どうやら、どうあがいても俺たちは敵対する運命にあるらしい。


 なんで俺は男といい女といい、ロクでもないヤツに好かれてしまうのだろうか?


 神様はそんなに俺のコトが嫌いなの?



『それでは大神様、近々また会いましょう。では』

『待てノブッ! 最後にワシにも喋らせて――んほぉぉぉぉぉぉぉぉぉ❤❤❤』



 ブツン、と一方的に通話が切れる。


 ……なんかまた、メンドクセェ事になってきたなぁ。


 小さくため息を溢していると、俺たちの会話が聞こえていたのだろう、芽衣が「また厄介事を持ちこんできて……」と同じくため息をこぼしていた。



「失礼な、別に俺だって好き好んでトラブルに巻き込まれているワケじゃないやい! ダークネスなんか起こしてないやい!」

「はいはい。……それにしても、九頭竜高校の鷹野くんに大和田くんね。士狼も面倒な相手に狙われたわねぇ~」

「ほんとな。みんな俺のこと好きすぎだろう? モテ期到来か?」

「まぁ全員、男なんだけどね」



 ほんとソレな! と芽衣に向かってため息をこぼす。


 いやさ? なんで俺という男はさ、いかつい男にしかモテないんだろうね? 


 そんなに前世で悪いコトした俺?



「まぁ先のことを今考えたってしょうがないし、さっさと帰りましょ。あっ、そうだ! 実はさっき、狛井先輩に美味しいラーメン屋が駅前に出来たって教えて貰ったんだけどね? 今からみんなで――」



 行かない? と続くハズだった芽衣の言葉は、突如吹き荒れた一陣の風によって遮られた。


 途端に、重く、垂れ下がったカーテンを取り払うような、ねっとりとした神風が吹く。


 そして物語の幕が開くかのように、運命が産声をあげた。


 うん、頑張って詩的に表現してみたけどアレだねっ! 詰まる所、古羊のスカートが強風によってめくれ上がったよね!


 おい、ナイス風! マジでよくやった!


 ただ残念なことに、俺の位置取りポジショニングからでは、ギリギリ中身が見えない。


 おい、何やってんだ俺!? はっ倒すぞ!?


 代わりに芽衣の位置からはバッチリ、くっきりと古羊の古羊が見えたらしく、その紫水晶のような瞳を大きく見開いて、口をパクパクさせていた。



「よ、洋子!? あ、アンタっ!? パ、パパッ、パン、パンツ、パンツがッ!?」

「メイちゃん……。ボク、汚れちゃった……」



 ツツー、と夕日に照らされながら無表情で涙を流す古羊。


 まるでどこかの映画のワンシーンのようだ。


 そのそこはかとなくはかない神秘的な光景に目を奪われていると、急にグィッ! と何者かに襟首を締め上げられる。


 おやおやぁ~? なんで俺は今、襟首を握り締められているんだろう?


 皆目見当もつかないなぁ? 


 ……いや、もう自分を騙すのはよそう。


 現実と向き合う時間ときがやってきたんだ。



「おい犬? これはどういうことかしら?」



 はい『犬』いただきました。


 ちょっとした心臓の弱いおじいちゃん、おばあちゃんなら一発で昇天しそうな素敵な笑顔を浮かべる女神さま。


 ほんと素敵な笑顔だなぁ……目、以外は。



「もう1度聞くわよ? これは一体どういうことかしら? キチンと説明してくれるんでしょうね? えぇっ?」

「うげぇっ!? え、襟首握らないでっ! こ、これにはマリアナ海溝よりも深い事情があるんだよっ!」

「どういう事情があったら、洋子が男物のパンツなんか履くことになるのよ!」



 俺の首を前後にガクガク揺らしながら、説明しろ! と迫ってくる我らが生徒会長さま。


 そう、今の古羊は俺の使用済みボクサーパンツを着用している状態なのだ。


 必然的に今の俺はノットパンティで、なんともサービス精神溢れる素晴らしい状況なワケなのだが……まあこの話は横に置いておこう。


 事ここに至った経緯は、出来れば説明したくない。


 というか、古羊の名誉のためにも言うワケにはいかないので、俺は「へへへっ」と誤魔化すような笑みを浮かべて芽衣に言った。



「だ、大丈夫! エロいことは一切していないから! 心配するようなことは何もしてない! なんなら古羊の臀部でんぶに誓ってもいい!」

「どこに誓ってんのよ、このドスケベ! そんなの信じらるワケがないでしょうが!」

「ですよね?」



 うん、知ってた。


 絶対に信じてもらえないなって、シロウ、知ってた。


 だって俺が芽衣の立場でも、全力で俺を疑う自信があるもん。


 ほんと、どうしてこうなったんだろうね?


 芽衣のこめかみに青筋の稲妻が落ち、場の空気が一気に蒸発していく。


 ふぇぇ……もうお家に帰りたいよぉ。



「こうなったらラーメンは中止よ。士狼には事の詳細を洗いざらい吐いてもらうまで、絶対に逃がさないから。ほら、ウチに行くわよこの駄犬っ! キリキリ歩きなさいっ!」



 キャインッ!? と小さく吠えながら、大人しく古羊と一緒に芽衣の後をついて行く。


 どうやら今日は長い1日になりそうだ。


 そんなことを思いながら、俺たちは商店街へと続く坂道を下って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る