第11話 目を覚ませっ! 僕らの性癖が何者かに侵略されてるぞ!?

「――ま、まさかここまで酷いとは思わなかったわ」

「返す言葉もありません……」



 芽衣とのテスト勉強が始まって1時間後のリビングにある机にて。


 こめかみを押さえながら苦しげにつぶやく羊飼と、小動物よろしく膝を抱える俺の姿がそこにはあった。


 もちろん机の上に開きっぱなしになっている数学の教科書と、俺の努力の跡が散乱さんらんしている。



「ねぇ士狼、純粋な疑問なんだけどね? アンタどうやってこの学校に入学したわけ? 裏口入学?」

「あのときは共学の高校へ行きたいがために、人生で1番勉強を頑張ってたからなぁ……」



 ほんと中学までの俺は、その穢れを知らない純粋さゆえに『高校に上がれば彼女が出来る!』という迷信をマジで信じてたくらいだからなぁ。


 マジであの頃の自分に言ってやりたいと。


 高校で彼女が出来る訳がない――大学に上がれば彼女は出来るけどな!



「そもそもこの『点P』っていうヤツがダメなんだよ! なんでコイツは鈍感ラブコメ主人公のようにアッチへフラフラ、コッチへフラフラするんだよ? 意味わかんねぇよっ! しっかり大地を踏みしめて、その場に居ろよ! おまえには自分というものがないのか? 恥を知れ!」

「はいはい、文句を言ってないで1つでも多く問題を解きましょうねぇ」

「うぅ……」



 小さく唸り声をあげながら、再び数学の教科書をにらめっこする。


 チクショウ、微分積分二次関数ってなんだよ? なんの呪文だよ?


 生きていくうえで絶対に必要ないよね コレ?



「いい士狼? 数学は暗記よ。答えに至るまでの手順を何度も反復して覚えるの。疑問に思っちゃダメ、そういうものだと自分を納得させなさい」

「……あのさ芽衣ちゃん。さっきからちょ~~~~っっっと、思う所があるんだけどさ?」

「あによ?」

「その……距離、近くない?」



 そう、俺と芽衣は現在、お互いの腕がベッタリとくっつくほど引っ付いていて、その……なんだ?


 少し顔を動かしただけでキス出来そうな距離なわけで……うん。



 ――集中できない。



「そう? 別にこれくらい普通じゃない?」



 とあっけらかんと答える芽衣。


 おい、普通って答えるならなんで頬を染める貴様?


 コッチが恥ずかしくなるでしょうがっ!


 俺が少しだけ離れようと器用にお尻を動かして横にズレると、その分だけ芽衣もズズイッ!と距離を詰めてくる。



「コラッ、なに勝手に離れようとしてんのよ?」

「いやだって、俺、今汗くせぇし……」

「別にアタシは気にしないわよ」



 いや、俺が気にするんですよお嬢さん? 


 と反論しようとした俺の言葉は、スンスンと鼻を鳴らす芽衣によって止められた。



「あぁ~、なるほど。確かにちょっと汗クサイかもねぇ」

「ちょっと芽衣ちゃん? そんなことを言いながら、なんで身体をこっちに寄せてくるの? 言動が一致してなくない?」



 コテンッ、と俺の体に自分の体重を預けてくる芽衣。


 剥き出しになった腕から、芽衣の体温がじんわりと伝わってくる。


 そのまま俺の体温と混ざり合い、全身の感覚が鋭敏になっていくのが自分でも分かった。


 芽衣はとろんっ、とした声音でイタズラでもする子どものように耳元でクスクスと笑いながら、



「ねぇ知ってる?」

「なに豆●バ?」

「この前テレビでやってたんだけどね? 相手の匂いで自分との相性がわかるんだってさ」

「なにソレ? 匂いフェチの番組?」



 ちがうわよ、笑う芽衣。


 どういうわけか、今の芽衣からは妖艶ようえんにも似た危ない色気が漂っていて、なんとなく部屋の雰囲気がピンク色になったような気がした。



「なんかねぇ、人間も所詮しょせんは動物だから、本能的に相性のいい相手の匂いはよく感じるらしいんだってさ。なんでも、優れた子孫を残すとか色々理由があるんですって。ほんと不思議よねぇ~」

「ほほぅ? それはなかなかに興味深いトレビアですなぁ」

「でしょ?」



 にっ、と無邪気に笑う芽衣。


 確かに面白いトレビアだ。


 面白いトレビアなんだけど……さ?


 なんで今このタイミングで言うわけ?


 ちょっとやめろよ!? 変に意識しちゃうだろうが!


 気がつくと心臓が搾乳機さくにゅうきにかけられたかように、ドクドクと暴れ狂っていた。


 お、落ち着け俺のマイハートッ! 素数を、素数を数えるんだ!


 自分の心臓の音が芽衣に聞かれないかドキドキしていると、芽衣の鼻先が俺の胸元あたりでまたヒクヒクしだした。



「お、おいっ!?」

「士狼の汗……イイ匂いがするわね、チクショウ」

「いやなんでちょっと悔しそうなんだよ? というかさっきは汗臭いって言ったばかりですよねチミ……?」

「だから、それも含めてイイ匂いがするのよ」



 ゆっくりと芽衣の指先が大蛇のように俺の指へと絡まっていく。


 だ、ダメだ!? この雰囲気はマズい!


 1つ屋根の下、密室で男女が2人肩を寄せ合い、甘い雰囲気をかもし出す。


 ……うん、これがエロいビデオだったら合体まで秒読みだ。


 な、なんとかしなければ! とは思うのだが、隣に座る芽衣が、「しろぅ……」なんて甘い声をだして、顔を近づけてくる始末でアバッ、アババババババババッ!?



「しろぅ……」

「め、芽衣……」



 あ、アカンっ!?


 これはアカンぞぉっ!?


 まるで万有引力が如く俺の顔が自然と芽衣の方へと引っ張られてしまう。


 ……やっぱコイツ、イイ匂いしかしねぇや。


 髪の匂いも、汗の匂いも、吐息の匂いまでも。


 お互いの理性がギチギチと音を立てて千切れていくのが分かる。


 だんだんと2人の思考が動物へと逆戻りしかけていた、そんなとき。




 ――ガチャッ と何か重い扉のようなモノが開く音がした。




「ただいまぁ~。ごめんねメイちゃん? 買い出しリストが多くて、スーパーを梯子はしごしてたら時間がかかっちゃった。でもメイちゃん、1番最後のリストにあるこの『オリハルコン』ってなに? 店員さんに聞いても分からなかったから、買って帰らな……かっ、た? ……ほへっ?」

「「あっ」」



 俺と芽衣の声が自然とハモった。


 そこには無事、芽衣からの『おつかい』を終え、何も知らずに帰ってきた古羊の姿があった。


 ドサッ、と手に持っていた食材を床に落とし、大きく目を見開いてその場に固まる古羊。


 ヤッベ!? 古羊の存在を完全に忘れてたわっ!?



「よ、洋子? だ、大丈夫?」

「こ、古羊? おーい?」

「……2人して腕なんか組んで、ナニしてるのかなぁ?」

「「ひぃっ!?」」



 ブゥンッ! と背景の景色が歪んでしまうほど全身から怒気を放つ古羊。


 だというのに、瞳以外は満面の笑みを浮かべている始末だ。


 あ、アレ!? コイツこんなに怖かったっけ!?


 いつものほがらか雰囲気と違い、全身を刺すような空気が部屋中に充満していく。


 おそらくコイツのことだから、『なにボクの大切な親友にちょっかいかけてるんだ、あぁん?』とか考えているに違いない。



「ち、違うぞ古羊! これは違うんだ!」



 浮気現場を押さえられた間男のように狼狽うろたえる俺。


 気がつくと、リビングが異様な緊張感に満ちた天下一武道会の控室ひかえしつみたいになっていた。



「違うって、何が違うの?」

「し、士狼……」



 こんな古羊の姿を見るのは初めてだったのだろう。


 珍しく弱気な芽衣がギュッ、と俺に抱きついてきた。


 その普段と違うギャップに、つい頬を緩んでしまう。


 ほほぅ、いいじゃないか?


 芽衣が俺を頼りにしているのがヒシヒシと感じられて、少しいい気分だ。


 きっとこの窮地を脱した俺は芽衣に感謝され……いやこのことがきっかけで俺たち2人の関係は友情から真実の愛へと姿を変え、俺は結婚式に来場してきた奴らに面白おかしくこの事を語り、おおいにみなを笑わせるのではないか?


 いやそれどころか『だから俺達のキューピットはあのとき勘違いした、いや勘違いしてくれた古羊なんだ。本当に間違ってくれてありがとう!』と何気にユーモアに満ち溢れた、お涙ちょうだいの締めの言葉まで思い浮かんでくる始末だ。



「ししょー? 黙ってたら分からないよ?」



 俺が目蓋まぶたの裏側で芽衣の……いや未来の我が妻マイ・ワイフのウェディングドレス姿を思い描(えが)いていると、珍しくイライラした様子で古羊キューピットが口を挟んでくる。



「まぁまぁ、落ち着けよ古羊」



 コホンっ、とわざとらしく咳払いをした俺は、こちらには敵意はないとばかりに笑顔を浮かべてみせた。



「どうやら不幸な事故が重なってしまったがために、大いなる誤解が生まれてしまったようだな」

「誤解?」

「あぁ、聞いてくれ古羊」



 俺は密かに心の中で『ゼッタイ結婚式には呼んでやるからな!』とつぶやきつつ――




「――ゼッタイ結婚式には呼んでやるからな!」




 と、言った。


 まさに心と体は一心同体!


 ……なんなの俺? バカなの? 死ぬの?



「そっか、そっかぁ。うんうん、よくわかったよぉ」

「いや待ってくれ! さっきのは言い間違いで――」

「正座」

「「……えっ?」」

「あれ? 聞こえなかった? 正座してって言ったの。ここで。今すぐに」



 その有無を言わさぬ物言いに、芽衣と2人して生唾を飲み込んでしまう。


 あ、あの? 君は本当に俺の知っている『古羊洋子』ちゃんかい?


 途中チェンジとかしてないかい?


 実はドッペルゲンガーとかじゃないよね?



「よ、洋子! ち、違うのよ! これには深い事情が!」

「メイちゃん。もう1度、言わせる気?」

「……正座、します」

「め、芽衣っ!?」



 う、嘘だろ!?


 あの傍若無人を地でいく悪魔のような女が、古羊の言うことを素直に聞いただと!?


 よほど恐ろしかったのだろう、スマホのバイブモードのようにガクガクと小刻みに震えている我らが女神さま。


 あの変態仮面を前にしてもビビらなかった女が、今は借りてきた猫のようにビクビクしている。


 その姿が信じられず思わず2度見してしまう。


 い、いや……もう受け入れよう。


 これはそれほどまでの異常事態なんだ。



「ししょー……正座は?」



 逆らい難いプレッシャーを放つ古羊。


 だが俺はここでふとある事実に気がついた。


 別に俺はやましいことをしていたわけじゃないんだし、ここまで卑屈にならなくても良くないか?


 そうだ、そうだよっ!


 俺に非は無いんだから、ここは堂々としていればいいんだよっ!


 俺は古羊の放つプレッシャーに負けないように、背筋をシャンと伸ばし、キリッ! とした表情で言ってやった。



「――はい、大神士狼、正座します!」

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