Ⅱ.【GhostlyHour】
第1話 「……なんで肝試し?」
「今夜は肝試しに行くぜ!」
突然、チルがそう宣言した。
ここはアロイス雑貨店の小さなキッチン。今イーアは蒸していたカボチャを鍋から取り出しているところだ。
「突然なに?」
手が離せないので、イーアは首だけ振り向いた。
彼は光を弾く金の髪に紫水晶の瞳の、青年と呼ぶにはまだ早い14歳の少年だ。最近ますます上背も伸び、さらに整った顔も相まって、少し年齢よりも大人びた雰囲気がある。
だが今は料理中なので、エプロンと片手にミトンを装着した、なかなか愉快な姿である。
二つある焜炉の一つには、昨日の夜から仕込んでいる豚の角煮が、もう一つでは玉ねぎを炒めている途中だ。突然キッチンに飛び込んできたチルには、すぐには反応してあげられない。
「だから今夜、肝試しに行くって言ってんだよ」
相手にしないイーアに憤慨した様子で、チルがずかずかと大股でこちらにきた。
いかにも男らしい乱暴な雰囲気だ。
乱雑にひとつに結えた蜂蜜色の金髪に、健康そうな日焼けした肌。得意げに大きく見開いた瞳は澄んだ水宝石を思わせる。一見するとやんちゃな、イーアより少し年下の少年に見えるが、チルはイーアの2つ上の16歳の少女だ。
イーアは目を細めてチルを見返す。
「チル、わかってると思うけど、僕は明日の朝には帰るんだよ」
「おう、知ってら」
「だから今夜はみんなでご飯を食べようって、話をしていたじゃないか」
みんなとは雑貨店の主人のアロイス、チルとイーア、そしてイーアの守護騎士のアルの四人だ。最近、店に住みついているルッソも加わるかもしれない。
「おう、だから肝試しに行くってんだよ」
話がループした。
イーアは首を傾げながら、玉ねぎを炒めた鍋に牛乳を加える。小麦粉で絡めた玉ねぎはしんなりとしていて、これだけでも十分美味しそうだ。そこに先程のかぼちゃを投入する。あとは蓋をして、しばらく放置だ。
そこでようやく、イーアはチルに向き合った。
「だからが分からないけど。チルが肝試しがしたいのかな?」
正面から向かい合うと、チルが少し悔しそうな顔をする。
去年、二人は初めてこの店で会った。
その時は同じ目線の高さだったが、今はイーアの方が少し高い。一年でこんなにデカくなったのかと怒られたが、この夏の間にも少し伸びた気がするには気のせい、と言うことにしておく。
「だって、お前が帰っちまうのに! 夏の思い出が全然ないじゃん!」
「思い出」
「お前、今年はずっとヴェル爺さんトコで働いてたじゃん! なんで!? 貴族なのにアルバイトする必要あんの?」
チルはびっくりするくらい必死に訴える。
ヴェル爺さんとは、港で倉庫業を営んでいる老人だ。夏の間のイーアのアルバイト先でもある。確かに今年は荷物が多く、ほぼ毎日仕事をしていた。おかげでイーアはすっかり日焼けしてしまったが。
「社会勉強だって言ったよね。それにお爺さんは今年で廃業するから、最後だし」
「それは、わかってるけど! ……っ」
チルが拗ねたような顔をする。
今年になってつくづく思うのだが、意外とチルは感情が豊かだ。こんな彼女が影の組織の人間としてやっていけるのか不安になるが、アル曰く優秀とのことなので、世の中はやっぱり分からないことだらけだ。
「確かに今年は、遊びには行けなかったけど」
イーアがフォローするように言うと、チルはぎょっとするほど大きく頷いた。
去年はだいぶ大人だと思ったチルが、今年は年下のようにも思える。
「……なんで肝試し?」
「だってお前、裏の墓場怖がってたじゃん。お前がひいひい言う顔見たいしな!」
にやにやと意地が悪い顔でチルが笑う。
「……なるほど」
そうなのだ。
このアロイス雑貨店は、実は墓場の隣にある。
今開いている裏口の向こう側、井戸の後ろの裏門から向こうは、墓場なのだ。
(確かに去年、怯えていたけど)
去年最初にこの店に寝泊まりした時、窓がないことを不思議に思った。店には明りとりの窓が天井近くにはあるが、普通の視線の高さに窓はない。台所には換気のため窓はあるが、寝室はニ部屋とも滅入るような壁だけの部屋だ。
チル曰く、店の明りとり窓は、深夜覗く人影があるらしい。
誰が。
数百年前の服や髪型なので、歴史の勉強になるぜ! などとチルは嘯くが。
そんな死装束に興味はない。
今年はこの店の屋根裏に寝泊まりしているイーアだが、屋根にある出窓には厚手のカーテンをつけた。イーアは幽霊を見ることはできないが、保険は大切である。
「じゃあ、チルは僕を怖がらせたいだけなんだね」
イーアがちょっとだけ青筋を立てながらいうと、チルは勝ち誇ったような顔で笑う。
「おう! ぜってー泣かせてやるからな!」
イーアは持参したマッシャーを握りしめて、チルの前に突き出した。
「いいよ。その勝負、受けてやる」
■■■■■■
裏の墓場が使われていたのは旧体制時代、つまり三百年以上前だと言う。
元々貴族の墓場だったので、無駄に建物が多い。遺体を安置する廟から、副葬品を保管する建物、個人をかたどった像や女神の像などがごたごた並び、さらに手入れ立てていないため草は伸び放題、木は育ち放題、蔦は絡まり放題である。
裏門から覗き見るだけで不気味だ。
その墓場の一番奥には、旧体制時代の名門貴族の墓だという大きな廟がある。扉は壊れ、中に入ることは可能だ。
そこには祭壇と石棺が2つある。その祭壇に、アルが目印を置いてきたという。
「それを持ってきた方が勝者ってわけだ」
イーアに言われるまま、マッシャーで鍋の中のかぼちゃを潰しながら楽しそうにチルが言う。
いつの間にそんな準備をしていたのやら。椅子に座るアルを睨め付けるが、涼しい顔で芋の皮を剥いている。
ちょうど帰ってきたルッソが、手際良くテーブルの上に若鶏の串焼きを並べていた。イーアはその横に大皿に盛った豚肉の煮込みを置き、さらに炙ったベーコンやらチーズが並べる。これはアルとアロイスの好物だ。
ルッソが自慢げに紙包を掲げる。
「珍しいものがあったよー」
ルッソは20代後半の痩身で、びっくりするくらいの細目が特徴の青年だ。ちゃんとこちらが見えているのだろうか。
そしてこうして向き合って話しても、別れてしばらくすると顔を思い出すことができない。そんな不思議な男だった。
「砂魚の燻製か? 高かったろう」
そう言いながらテーブルに酒瓶を置くのはこの店の主人、アロイスだ。アルと同じスーデン人で年齢は40代だと言う。大抵寝起きのような爆発しそうな頭で、無精髭もそのまま。なので、未だにイーアは彼の素顔を知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます