第7話 「そのまんまだよ!!」
「おい起きろ」
いつの間にか寝てしまったらしい。
肩を揺すられ、慌てて体を起こす。
いつの間にか、オイルランプも消えた真っ暗な室内で、木枠のベッドの上に置かれた鏡がぼうっと光っていた。
青白い光は思ったより強く、イーアの隣のチルの顔を照らしている。
「すごい……魔導具じゃないよね」
今さらながらそんなことを確認し、イーアはチルの顔を見る。チルが頷いた。
「近寄ってもいい?」
「ああ、さっき見たが、やっぱりこっちの存在に気がついていないようだぜ」
どうやらチルは一足先に確認したらしい。
イーアもおそるおそる身を乗り出して、鏡を見つめた。
確かに女がいる。
昼間見た時は不明瞭な輪郭しか映し出さなかった鏡が、今は見事に光りながら、泣き喚く女の姿を映している。
マーナの話していた通り、緑の髪に赤い目。胸元あたりまで見えるので、彼女がかなり古いデザインのドレスを着ていることがわかる。だが、他にアクセサリーの類は見当たらない。貴族の女性という感じはしなかった。
「この人……」
言いながら、イーアは彼女の目を見つめる。そこに憎しみの感情はない。ただただ、深い絶望と慟哭がある。
「多分幽霊じゃないと思う」
「は!? なんでお前そんなことわかんの!?」
チルが驚いた顔でこちらを見る。
「すまない、うまく説明はできないが……この気配はおそらく、精霊の類だと思う」
「精霊……」
呆気にとられたように、チルがつぶやいた。
頷きながら、イーアも驚いていた。
かつて人は、精霊と心を通わせながら、その力を借りて魔法を使っていた。
古代、失われた魔法文明の時代には、魔法と精霊魔法は区別されていたという。だが、その文明が崩壊して以来、人が人ならざる力を使うことを、総じて魔法と呼ぶ。
その魔法を、人が使えなくなってから長い年月が過ぎた。精霊はいまや、御伽噺の中にしかいない。
「お前、精霊が見えんの?」
チルの問いかけには、イーアは強く首を振った。
「見えない。けど、気配を感じることができる」
「け、気配……?」
精霊はどこにでもいるわけではない、とイーアは師匠から教わった。
今でもいるとしたら、強くこの地上の何かと結びついているもの。ただし、人とは関わろうとはしないだろう。そう師匠は言っていた。
「い、いちどお師匠に連れられて、精霊の世界を覗いたことがあって、それから、少しわかるようになったんだ」
「はぁ!?」
チルは目がこぼれるんじゃないかと思うほど見開いて、こちらを見ている。それも当然だろうと思いながら、イーアは苦笑いした。
「お師匠って、なにもん?」
「えっと……黒翼の魔女って、わかる?」
今度こそ、チルはあんぐりと口を開いて固まってしまった。
「本当は秘密なんだけど、話してしまったから、誰にも言わないでくれると嬉しい……」
「あーーー」
チルは意味のない言葉をしばらく吐いてから、自分の頭を掻きむしった。それからぐいと身を乗り出し、イーアの隣に来る。そして鏡を指差した。
「わかった。その詳しい話は後だ。じゃあこいつは精霊なんだな?」
イーアは強く頷いた。
「じゃあお嬢様の依頼達成一歩前進だ。さて、こいつはなんで泣いてる?」
チルの言葉に、イーアはもう一度鏡をよく見る。
鏡の女は変わらず、泣き叫んでいる。漏れ出る声はとても小さく聞き取りにくいが、鏡の中では唇を大きく震わせていた。
「わからないけど……なにを言っているかが分かれば」
そう言いながら、イーアは女の唇を目で追う。正確には、その動きを。
「読唇術までできんのかよ。おい」
呆れたようなチルの声を無視する形になるが、イーアは瞬きも忘れて女を見続ける。
「だいぶ古い言葉のようだ。……愛し子、痩せて、なぜ、きえて……」
「へえ」
「悲しい…、なぜ、いなくなってしまう」
「えっと、愛し子が痩せて消えそうってことか」
「そのままだね」
チルの雑な結論には、イーアは苦笑いするしかない。
「つまりはその愛し子を見つけて食わせればいいんだな!」
「そのまんまだよ!!」
「まぁ、一番の目的はその精霊を泣き止ませることだからな」
雑な結論の割に、自信たっぷりでチルは言い放った。
「あ、消える……」
先程まで強い光を放っていた鏡だが、やがてぼんやりとした光になり、そして消えた。後には曇った銅鏡だけが残る。
部屋は灯り一つない、真っ暗になった。
「まぁ、思ったより大きなヒントだったな」
扉を開けながらチルがつぶやいた。
どうやら鏡が光っている間、オイルランプは廊下に出していたらしい。再び黄色い灯りに部屋が照らされた。
イーアも大きく頷く。あとはこの精霊がどこにいるかだが。
「間違いなく、屋敷にあるって言うオークの木だろうな。この枠もその木の枝から作られたんだろう?」
「マーナはそう言っていたね」
「じゃあ明日、その木のところに行こう」
「直接見に行くのか?」
「ああ、愛し子とやらの居場所探しだが……、オークの木の精霊って移動できるのか?」
精霊については、師匠から聞いた程度の知識しかないイーアは首を傾げる。
「どうかな。でも精霊は宿っているもの、媒体が必要で、下位精霊だとそこから離れられない、だったはず」
「とりあえず木から離れられないと仮定しよう。そうしたら、愛し子とやらは木の近くにいる。少なくとも痩せていくのがわかるほど」
「そうだね」
まぁ筋は通っている。雑だが。
「んじゃ、明日行くぞ。午前中は……お嬢様は学校か?」
貴族庶民関わらず、子供は教育を受ける。貴族と庶民、農村と都市では少しずつ名称や学ぶ内容は違うが、帝国の支配下の国では必ずこの教育制度が存在する。
「いや、今は夏休み中だと思う」
「ちょうどいい。お嬢様のお友達ってことにしてお屋敷に行ってみようぜ」
チルがニヤリと笑う。
「お友達は無理だと思うけど」
イーアは苦笑いした。チルは眉根を寄せてこちらを見た。
「マーナは貴族のお嬢様だから、たぶん男の子とは友達にはならない。それを口実にお屋敷を訪ねたら、間違いなく不審者扱いされ」
「お前、ばっかだなー」
言葉と共に、再びデコピンされた。
イーアは眉間をおさえ涙目で、立ち上がるチルを見上げる。
「そんなの、あったりめーだろうが。とにかくつべこべ言ってないでお前は寝ろ! お子様が寝る時間は過ぎてんだよ!」
「お子様って……チルもそう変わらないじゃないか」
「おー言うようになったなー。文句言わずに! 寝ろ!」
そう言いながら、乱暴にイーアを布団が敷いてあるベッドに押し込む。
「ぼ、僕がここで寝たらチルは!」
「俺はいろいろ仕事があんの。じゃあな、おやすみ。イーア」
それだけ言い残して、チルはバタンと扉を閉じる。
それを呆然と見送った後、次第にイーアの口元が緩んでいく。
「名前、呼んでくれた……」
それだけなのに、無性に嬉しい。
にやにやしながら、布団に潜り込む。
先程と同じ、チルの匂いがふんわりと体を包んだ。
(友達になれたかもしれない)
すとんと落ちるように寝るまでのわずかな間、イーアはその喜びを噛み締めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます