第5話 「食べ盛りだなー」
「ご機嫌だな、イーア」
食堂の向かいの席に座るアルが楽しそうに言う。イーアはしっかり頷いた。
今日は色々なことがあり、とても楽しい。
初めて袖を通した麻素材の服も、ごわごわしていて、とても新鮮だ。
あれから散々交渉した結果、今晩はチルの家に泊まることになった。
家は店の奥にあり、チルと同居人の部屋と、ほとんど使われていないキッチンと浴室があるらしい。
チルは普段食事は店屋物ですませているそうなので、今日は三人で近所の食堂に来た。家を出る前に、大変不機嫌なチルが無言で差し出したのがこの服だ。
麻のシャツに綿素材のズボン。サスペンダー付きで、ちょっと楽しい。
「麻より綿の方が一般的?」
「どちらも庶民の服としては普通だな。東方諸国は麻の生産量が多いので、安価に出回っている」
「チルは家では風呂を使わないって言ってたけど、普通はそうなの?」
「湯を沸かす魔導具は高価だからな。普通はいまでもかまどを使う。かまどはたいたい台所にしかないから、湯を運ぶのが面倒なんだよな。
公共浴場を使うことの方が多いだろう」
アルの丁寧な説明に、イーアは目を丸くした。
「公共浴場?」
「先に言っとくけど、連れていかねーからな」
どん、とテーブルに料理の乗ったトレーを置いいて、チルが言い切る。先程まで店の従業員とカウンターで楽しそうに話をしていたのに、イーアの向かい側に座るとひどい不機嫌になった。
「行きたいとは言っていない」
「すぐ言い出すだろ。お坊ちゃんは好奇心いっぱいだな」
「お坊ちゃんいうな」
二人が言い合うと、アルは黙ってチルが持ってきた食事に手を伸ばす。鶏肉の煮込みに焼いたバケット、グラタンのようなものに、トマトのスープ。なかなか美味しそうだ。
イーアは思わず身を乗り出し、そしてふと固まる。
(どうやって食べればいいのだろう)
大皿にこんもりもられた肉は大きい。フォークはあるが、ナイフはどこにも見当たらなかった。
イーアの戸惑いに気がついたのか、チルが大皿から取り分けてイーアの前に置き、そして金属製のフォークを差し出した。
それを受け取り、それでも困惑していたイーアだが、となりのチルが器用に食事をはじめたのを見て、彼に倣いながら煮込みを口に運ぶ。
「美味しい!」
繊細な味、というよりがっつり香辛料を効かせて煮込まれた肉だが、いつもの食事と全く違うその味にイーアはすぐに夢中になった。
「だろ? ここの定番メニューのコイツが最高なんだよな」
チルもそう言いながらバケットをちぎって口に放り込むが、ほんの数切れ食べただけで手を止めた。
あまりにも美味しそうにイーアが食べるので、その様子を呆けたように見ている。
「食べ盛りだなー」
アルも行儀悪く片肘をついて、その様子を見ていた。
「と、悪い。ちょっと一杯だけもらってくる」
席を立ってカウンターに向かうアルの後ろ姿に、飲みすぎんなよーとチルが声をかける。
アルが移動すると、酒場中の視線がちらちらとそちらに向かう。あからさまにアルの方を見ながら、こそこそと話している人たちもいた。
「アル、目立っているね。スーデン人だから?」
「それもあるけど、帯刀してるからだろ」
ぱりっとバケットを齧りながら、チルが答える。
そういわれると確かに、この酒場の中で剣を持っているのはアルしかいない。
そもそも、都市の中で武器の所持は基本的には禁止だ。許されるのは職業軍人、騎士団、後は確か許可を得た冒険者。
職業軍人は私服での武器の所持は許されない。
なのでアルに興味のある人は、彼が騎士団か冒険者か見極めかねているのだろう。
「そういえば冒険者って見たことない」
ぼそっとイーアが呟くと、チルが頷いた。
「東にはあんまりいないんだよな。西の方とか、後は北の都市連合あたりにならいるけど。
だからここからもう少し北の都市……ラモンに行くと結構いるぜ。あそこは大陸道が通っているからな」
「へぇ」
チルはなんでも知っている。
それと同時に、自分の勉強不足を強く感じて、イーアは情けなかった。
「なんだか、へんな感じ」
ボソリとこぼした声が聞こえ、イーアはそちらを見る。拗ねたような顔でチルが頬杖をついて窓の外を眺めている。
またなにか、チルの不快なことをしてしまっただろうか。
そんな気遣わしげなイーアの視線に気がつき、チルは力無く。
「なんでもねぇよ」
投げ捨てるように言う。
イーアはただ首を傾げるだけだった。
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