第2話 「カモがネギを背負って生きていく」

「へえー、じゃあアルは今騎士団にいるんだ」

 チルと呼ばれた少年は今、カウンターに座り足をぷらぷらさせながら、アルの話を聞いている。


 アルは棚に寄りかかった状態だが、背後の棚から何か落ちてこないか心配だ。アルの様子から察するに、この店に慣れているのだろう。


 イーアは大人しく、アルの隣に立って話を聞いていた。

 長身のアルの隣は、やはり安心する。一緒に行動するようになって半年、いつのまにかイーアにとってアルは信頼できる相手になっていたらしい。


「で、イーアは俺の皇都でのともだち。探してるものがあるっていうから、ここを紹介したんだ」

 アルが隣に立つイーアの肩に手を回す。

 ……信頼できるけど、子供扱いされるのは少し癪だ。


「ふうん、まぁアルの頼みなら仕方ないけど」

 一応歩み寄るふうに話しているチルだが、顔には嫌だと書いている。大変わかりやすい。


(貴族ってそんなに嫌われるのかぁ)

 そんな発見すら、イーアには初めてのものだったけど。


「家族の宝物を探している。この雑貨屋ならきっと手がかりがあるのではないかと聞いた。どうか協力してほしい」

 イーアがありったけの気持ちを込めていうと、チルは更に嫌そうな顔をする。口が猫の鍵しっぽのようになった。


「イーア、もう少し口調は緩めた方がいい」

 隣から、笑いを含んだアルの声がする。


 確かに今のアルの口調はいつもと違うが、イーアはそれほど器用ではない。そう簡単にできるわけもなく、恨めしげにアルを見上げた。


 彼は緑がかった黒髪で褐色の肌を持つ、スーデン人の血を引いている。見上げるほど上背があるのに、威圧感がない。そのくせにしっかり鍛えているので、イーアは今まで一度も剣術の模擬戦で勝ったことがなかった。

 いつもは制服をかっちりと着込み、いかにも騎士という雰囲気なのに、今日はいつもよりだいぶ砕けたふうだ。

 麻でできたシャツをゆるっと着て、労働者っぽい。


 一方、イーアは絹織物のシャツ一枚だが、ぱっと見でわかるほどの高級品なのかもしれない。一番地味な無地のものを選んだが、きっとチルにぼんぼんと吐き捨てられるほどの物なのだろう。


「わかった。頑張ってみる」

 ふんっと気合を入れるイーアに、アルは嬉しそうに頷く。

 その二人を見て、ますますチルは面白くなさそうな顔をした。

「で、何探してんの?」


「鏡なんだが、多分これくらいの、手鏡」

 話しながらイーアは両手の指で小さな円を作る。

「母様が昔この町で手放した、と言っていた。ただ少し特殊なものなので、個人が持ち続けるとは考えにくい。古物屋に売られている可能性の方が高いのではないかと」


「母様ねぇ」

 両手を組んで話を聞くチルが、鼻で笑う。


 どうやら言い方が気に入らなかったらしい。

 イーアは必死になって、脳内の庶民っぽい言葉辞典をめくる。

「か、かあちゃん」

 慌てて言い直すイーアを見下ろして、アルが噴き出した。

 チルがさらにふんと鼻を鳴らすものだから、イーアはますますいたたまれない気持ちになった。


「いいよ、話しやすいように話して。その鏡、何が特殊だったんだ?」

「母親の話では、ひとりで寂しい時、鏡に語りかけると亡くなった両親の姿を映し出したそうだ」

 チルが首を傾げた。

「両親の姿? そいつはすごいな」

「想いの強さに反応するとか、そう教えられたらしい。」


 んー、とチルは首を傾げる。


「それって、魔導具なんじゃねぇの?」


 魔導具とは、文字通り魔力で動く道具だ。

 かつて、人は魔法を使っていたという。だが、その力はすでに数百年前には絶えている。

 代わりに使われるようになったのが、魔導具だ。この魔導具には魔石という高価な石がついているので、一目でそうとわかる。


「いや、たぶん普通の鏡なんだ」

 イーアはゆるゆると首を振った。

「でも幻? 現実にはいない人を映してるんだろ? 普通の鏡じゃないじゃん」


「うん、たぶん普通ではないと思うけど……。でも違う。母様がずっと手放さず、持っていたから」

 言いにくそうに視線を落とすイーアを、不思議そうにチルは見ている。アルは先程からほとんど発言していない。イーアが自分で説明するべき場面だからだろう。


「母様は子供の頃、とても大変な状況で生きていた。だから、もし高価なものだったら、持ち続けられなかったと思う」


 彼の母は、子供時代の事を話さない。

 父ですらぽろりと昔の話をこぼすのに、母は全くそんな話をしなかった。

 ただそれだけ、己の過去を自分の子供に話す必要のないことと切り捨てているのが、イーアには少し悲しい。

 それほど辛い境遇だったという事だ。


「へぇ。『大変な状況』ねぇ」

 チルはまだ首を傾げている。

「それはどこで無くしたんだ?」


「この国の広場で、盗まれたそうだ。ルイス湖の前に市場があったとか」

「ああ、今はねーな。ということは盗品かー。いつごろ?」

「12、3年前だ」


 チルは大きくため息をつきながら天井を仰ぐ。

「だいぶ昔じゃねーの。特徴とか何か知らないの?」

「すまない。母からは何も聞いていない。ただ金属製の枠にはまった、小さな鏡だと」

「何の手がかりにもなりはしねぇ。まぁ、そんな鏡なら曰く付きモノで探してみるか……」

 相変わらずとても面倒そうだが、チルがそう言ってくれたのでイーアはぱっと顔を上げる。

「ありがとう! 捜索にかかった費用は必ず払う! 報酬もちゃんと支払うから」


 イーアのたまらなく嬉しそうな声に、今度はチルの方が驚いた顔をしていた。ぱちぱちと瞬きしている。


「おまえ……そんなんで貴族の世界でやってけんのかよ」

 かなり呆れている。

 喜び一転、イーアはしゅんと項垂れた。

「嫌な思いさせてごめん」


「そういうとこだよ!」

 言いながらチルはすとんとカウンターから飛び降りた。

「アルも黙ってないでなんか言いなよ。こいつ、このままじゃカモがネギを背負って生きていく感じだぞ?」


 たまらずアルが声を上げて笑う。

「チルは奇怪なたとえを使うなぁ。まぁイーアはこんなんだからなぁ。仕方ない」


 何がこんな感じなのか、そもそもカモって何だよ。

 イーアはちょっと傷つきながら、それでも涙目になるのを堪えてアルを睨む。それを片目で受け流すこの男は、イーアがいくら凄んでも痛くも痒くもないのだろう。


「そういうわけだから、チルにはイーアと仲良くしてほしいんだ」

 アルが軽い調子でそう言った途端、チルの目つきが少し険しくなった。先程の懐っこさが消え、強くアルを睨む。


 一方のアルは何も変わっていないのに、その場の雰囲気が変わったような気がして、イーアは二人を交互に見た。

 アルはイーアの肩に肘を置いたまま、真っ直ぐにチルを見ている。


「……あー、わかったよ」

 沈黙を破ったのはチルだったが、その態度は投げやりだ。

 乱暴に頭を掻いている。


「じゃあちょっくら出かけるけど、お前はどこにいんの? アルの家?」

「えっと、この近くにアパートを。この夏いっぱいは滞在するつもり」

 突然話を振られて慌てたイーアに、チルは乱暴にノートを投げる。

「じゃあこれに住所書いて。何かわかったら」


 と、言いかけたところでチルが顔を上げる。

 突然の沈黙にイーアが首を傾げた時、控えめなノック音が響いた。どうやら客人らしい。


「どうぞー」

 チルの乱暴な声の後、恐る恐ると言うふうに扉が少し開いた。

 差し込んできた明るい外の光を背負って、一人の少女が覗いている。


 ひと目見ただけでそうとわかる、貴族の少女だった。レースがいっぱいのピンクのドレスに、お揃いのヘッドドレス。

 淡い蜜柑色の髪がふわふわ揺れている。榛色の瞳の下には、可愛いらしい鼻とそばかす。ぷっくらしたピンク色の唇が、緊張のせいかきゅっと引き締まっていた。

 年齢はイーアたちと同じくらいだろうか。ひと目見ただけでわかる、貴族の少女だった。


「いらっしゃい。どうしたの?」

 チルがにっこり微笑んだ。

 先程の自分に対する態度とひどい違う。イーアはちょっと抗議したい気持ちをぐっと堪えた。


「こ、こんにちは。あの、ここは『ちょっと困った道具』の相談もしてくれると聞いて……」

 少女が鈴が転がるような声で話しだした。

 扉を抑えている右手に対して、左手はしっかりと布の包みを抱えている。


(困った道具……?)


 少女の言葉に、チルは黙ったまま首を傾げる。

 否定されないことに安心したようだ。少女はおずおずと扉を閉じて、店の中に入ってくる。


「あの、鏡なんですけど……」


「鏡!?」

 突然上がったイーアの声に少し驚きつつも、少女は頷く。


「へぇ」

 チルはニヤリと笑いながら、そっと手を伸ばした。

「どんな鏡?」


「あの……」

 少女はそっと布の包みをさしだす。

「鏡の中に、幽霊が写っているんですっ」


 イーアは思わず駆け寄り、チルの肩越しに布包ぬのづつみを見つめる。

 そのイーアの顔を振り向きながら、チルは呆れたような視線を投げて寄越した。

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