Phantom Mirror

ひかり

Ⅰ.【PhantomMirror 】

第1話 「箱入りぼんぼん……」

「アルの言っていた通りだ」


 一人の少年がぼそりとそう呟き、目の前の暗く長い路地を見据えた。


 彼はひと目見ただけで、強く印象に残る容姿の少年だった。

 その紫水晶の瞳は意志の強さを感じさせ、黄金を思わせる見事な金の髪は太陽の光を受けて煌めく。

 まだ幼さの残る顔立ちは端整だ。立つ姿もどこか凛としていて、出自の良さが窺える。だが今の彼は、少し不安げに周りを見回していた。

「……どうしよう」


 ここは女神によって祝福された大地、ゴルデン大陸の東の果て。

 その街角で、彼は一人立っていた。


 彼の背後には賑やかな広場がある。午後の柔らかい日差しの中、どこの街にもあるような、出店で賑わっている市場だ。

 それなのに、この路地はまるで別世界のように静かだった。


(治安が悪いわけではないか)


 控えめに周りを見渡すが、誰かが物陰に潜んでいるような気配はない。

 それでも踏み出すのに躊躇する。


(……うん。大抵の事ならなんとかできる)

 彼は意を決して、路地を歩き出す。途端に背後の広間の喧騒が遠ざかり、ひやりとした空気に包まれた。


 怯む気持ちを奮い立たせて、真っ直ぐに路地を進んだ。


 まもなく路地は直角に曲がり、両側に建つ高い建物が途切れて塀に変わった。これも背が高く、踏み台でも使わなければその向こう側を覗き見ることはできない。

 空が開けたせいか少し明るいが、この路地の先も、塀の向こう側にも生き物の気配はない。


 塀の向こう側が民家の裏庭なら、何か生活の気配があってもおかしくないのだが。

(気味が悪いな)

 思わず、足が竦む。

 少し情けない気持ちで、彼はため息をついた。


(しっかりしろ、何のためにこの夏の自由を勝ち取ったんだ)



 彼は今年、13歳になった。


 自分では大人だと思っているが、それでもまだ未熟なところが多い。周りの大人たちに舐められないように虚勢を張っているが、それすら親たちには温かい瞳で見守られている気がする。


 だからこの夏、ここで自分がもう立派な大人だということを示したい。

 そんな思いで滑り込んだ異国の裏路地は、やはり彼には勇気がいる場所だった。


 それでもなんとか踏み出し、路地の突き当たりにあった古い小さな木の扉にたどり着く。


 扉に貼り付けられた銀のプレートには、小さな文字で『アロイス雑貨店』と書いてあった。



 ■■■■■



「いらっしゃいませー!」

 扉を押した途端、明るい声が飛んできた。が、彼はすぐに渋面する。


 店内はそれはすごい有り様だった。


 店内の壁を埋め尽くす棚には、ごたごたとした小物が隙間なく詰め込まれている。

 どうやら商品の古道具やら雑貨らしいが、全く整理整頓されている様子はない。

 さらに薄暗い店内でもそうとわかりほど、うっすらと埃をかぶっている。


 さらに店全体はとても狭く、入口から奥に設てあるカウンターまではわずか散歩の距離。なのにそのカウンターのすぐ下も、雑多な物置と化していた。


『汚い古道具屋』だとは聞いていたが、これは酷い。

 もはや客を迎えるための店の様相も呈していない。


 扉を半分開けたところで固まっていると、積み上げられたカウンターの間からひょこりと顔を上げた人物と目があった。


(子供……?)


 暗くてよく見えないが、蜂蜜色に近い金髪を乱暴に一纏めにした少年が一人、こちらを見ていた。

 大きく印象的な水色の瞳がぱちぱちと瞬く。

 そして彼と目が当たった瞬間、少年は思いっきり嫌そうな顔をしたのだ。


「何? ここにはあんたみたいなおぼっちゃまに売るようなもんは何もないよ!」

「はぁ!?」


 ずいぶんな言いようだ。

 彼は言い返す言葉も忘れて、少年をまじまじと見る。


「い、いちおう客なんだが…」

 思ったより辿々しい返答になってしまった。

 少年はそんな彼を一瞥したあと、ふっとカウンターに潜り込んだ。


 どうやら下に潜戸があるらしい。

 木の軋む音とともに目の前に立つ少年は、彼とほとんど同じ身長だった。自然、目線の高さも同じだ。


 たいへん不機嫌そうな釣り上がった眉と、澄んだ湖の水面を想わせる瞳が目の前にある。

 彼は一瞬言葉を忘れて、その瞳を食い入るように見つめてしまった。

 呆けたような彼を現実に戻したのも、少年の乱暴な言葉だったが。


「だーかーら、うちには貴族のおぼっちゃまに売れるような物は売ってないっつーの! というわけで、帰った帰った!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺は貴族だなんて一言も!」


 一応、変装はしているつもりだ。

 洋服はできるだけ庶民っぽいものを選んだし、手にかけている上着も宿で働く下働きの少年から借りたものだ。

 金の髪だけは目立つが、街中を歩いていても決して珍しい色ではない。現に、目の前の少年も少し色は違うが、金髪だ。


 腕を組み、仁王立ちになって叫ぶ少年は、彼の言葉を笑い飛ばす。

「どう見ても貴族だろーが。っていうか、よっぽどの箱入りぼんぼんなんじゃねえの? そんないいとこのガキがうちに来るなんて、面倒な事に巻き込むんじゃねーよ」

「箱入りぼんぼん……」


 思わず繰り返してしまった。

 それを聞いた少年の眉間の皺が一層深くなり、彼はしまったと思う。が、ここで何を言えばいいのかが思い浮かばない。


 だが、ここで追い返されるわけにはいかない。

 彼は真っ直ぐに少年を見据える。

「ぼ、僕はあるものを探していて、ここならもしかしたら手がかりがあるかもしれないと聞いて」

「うっせえ。帰れ」


 どうやらこちらの話を聞いてくれる気もないらしい。

 彼が内心、頭を抱えたくなった時、半分だけ開いていた扉が大きく動いた。バランスを崩した彼を支えるように、背後から手が伸びる。


「やっぱりここにいたか、イーア。大人しくしてろって言ったのに」

 頭上から聞き慣れた低音の、呆れたような声がして、彼は顔を上げる。見慣れた長身の男が、心配そうで、それでいて楽しそうな顔でこちらを見下ろしていた。

 彼はそっと息を吐く。


「アル」

 落ち着いた大人の目に見られると、少し安心した気持ちになった。

 どうやら少しだけ、緊張していたらしい。


「アル!」

 そんな少しばかり気が緩んだ瞬間、はちきれんばかりに嬉しそうな声が店に響く。店番の少年だった。


「おー、チル! 元気だったかー?」

 アルも嬉しそうに少年の頭をがしがしと撫で回す。

「なんだよー! しばらくこっちに来れないって言ってたじゃん!」

 頭を滅茶苦茶にされながらも、少年はとても嬉しそうだ。


(な、態度違うっ)


 彼はちょっとだけ傷付きながら、仲良しげに戯れる二人を見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る