第7話 探偵と怪盗、カフェでお茶する
『警察、またもや怪盗に盗まれる』
そんな見出しから始まるネット記事には、この間の海辺の美術館のことが書かれてあった。
丹葉はそれを、カフェのテラス席でコーヒーを飲みながらスマホで読む。
内容はいつまで経ってもエトワールを逮捕できない警察の軽い批判と、エトワールをエンタメとして捉えている世間の様子、そして最後に丹葉のことが書かれていた。
『彼は数々の難事件を解決してきていますが、怪盗エトワールに関しては一歩及ばずといった感じです。弱点はエトワールなのは確実でしょう。この間も、エトワールにしてやられて悔しそうでしたよ(探偵関係者)』
関係者って誰だよ。
そう思いながら、丹葉はスマホをテーブルの上に置いた。
正直、この手の記事は最近増えてきている。今までは事件を解決しまくる丹葉を称賛するものばかりだったが、世間とは手のひらが軽いものだ。
だが特に、丹葉はそれが悲しいとも悔しいとも思わない。探偵と人気は関係ない。とは言えないが、エトワールのことがあっても丹葉への依頼は特に減っていなかった。
それは丹葉の今までの実績のおかげであり、エトワール以外の事件は現在も変わらず解決しているからである。
だから丹葉は今のままでも全く問題はない。心配なのは飯田のことぐらいだ。きっとこの間の海辺の美術館のこともしこたま上司に怒られたに違いない。
あの後二人でご飯に行ったが、飯田の愚痴はそれはもう止まらなかった。彼には苦労をかける。
だがそれでも、丹葉は推し活動を辞めるつもりは毛頭ない。エトワールを推すことは、もはや丹葉にとって生きることと同義であった。それ以前はどうやって生活をしていたのか思い出せないほどだ。
今が生きてきて一番幸せであると、丹葉は断言できる。
ああ、今エトワールは何をしているだろうか……。
推しを想いほぅ、と息を吐く丹葉。
その時、視界の端にちらっと黒髪が掠めた。どこか馴染みのあるそれに視線が自然と吸い寄せられる。いや、吸い寄せられるどころか、その黒髪は丹葉の目の前で止まった。
そして視界に入ってきたその顔に、丹葉は絶句した。
「あれ、もしかして、探偵の丹葉さん、だよな?」
腰をかがめてこちらを覗く顔は、それはもうイケメンだった。黒髪が艶やかで、目鼻筋がすっと通っており、睫毛が長く、瞳は意志の強さが感じられるオニキスで。
と、いうか。
「(え、ええエトワールううう!)」
話しかけてきた相手は、怪盗エトワールだった。
といっても、勿論怪盗服は着ていない。いつもはシルクハットだが、何もつけずに綺麗な黒髪をさらさらと揺らし、信じられないほどのイケメンを惜しげもなくさらしている。服装は黒いズボンにジャケットで、シンプルなその姿が顔の良さをより引き立てていた。
「(なななななんでこんなところにエトワールがっ⁉ いや、というか何で話しかけてきた⁉ 何だ、何の意図が⁉ ていうかプライベートのエトワール初めてみたあああ! ひいいいなんだこのイケメンはかっこよすぎる本当に俺と同じ世界線の人間か? それにしても本当に存在してたんだ魁君って……!)」
魁君、とは、怪盗エトワールの本名である。
怪盗エトワール。本名は
丹葉が彼の本名を知ったのは、本当に偶然のことだった。
それは、エトワールの素顔を見た次の日のことである。
「(あーエトワールかっこよかったなあー。素顔は見れたけど、彼は一体何者なんだろうか。あんなにポンコ……怪盗として未熟なのに、なんで怪盗になろうなんて……物凄いイケメンなんだから、ほかにできることは色々あるだろうに)」
そう思いながら、丹葉は手元にあった経済誌をぱらぱらと捲った。が、あるページで丹葉の手はピタリと止まった。
そこには日本長者番付が載っており、上位の人物の家族写真も小さく載っていた。
写真館で撮るような、真ん中の人物が椅子に座って、周りに親族が立っているよくある写真。
その中でひと際目を引く顔があった。
その人は機嫌があまり良くないような、少し険のある顔をして中央の椅子の斜め後ろに立っている。だがその不機嫌そうな顔がまた、彼の魅力を際立たせているようでもあった。
華のあるその顔を丹葉は知っている。いや、昨日見たばかりだった。震える声で丹葉は呟く。
「エトワール……!」
そこに写っていたのは、怪盗エトワールその人だった。
後に調べたことだが、日本屈指の富豪である魁家には、職にも就かずふらふらしている放蕩息子がいるらしい。それが魁家三男坊の魁斗真だった。
つまり怪盗エトワールは、暇を持て余した斗真が、スリルと遊びを求めて始めた道楽だったのである。
「ば、馬鹿息子じゃないか……」
丹葉は愕然とした。まさか金持ちの遊びに振り回されることになるとは、思いもよらなかった。
だが、
「でもそこがいいなああ~!」
丹葉は斗真の顔に心底弱かった。
「正体がバレれば自分どころか親、家族までダメージを食らうというのに、わざわざ選んだのが怪盗とは……欲望に忠実~可愛い~!」
最早丹葉は斗真が何をしても可愛いと思ってしまう域に達していた。
丹葉は経済誌の斗真が映っている写真を丁寧に切り取り、スクラップファイルに収める。
そしてこの秘密は墓場まで持っていこうと誓ったのだった。
秘密は知っているものの、それを丹葉が知っているということを、張本人であるエトワール――斗真は知らない。
「(そのはずなのにっ!)」
なぜ斗真は斗真として接触を図ってきたのか、丹葉は思考を巡らせるがわからない。
この間一秒、決して反応が遅いわけでもないはずだが、斗真は丹葉の返事を待たずして丹葉の正面に腰を下ろした。
「ああ、やっぱり丹葉さんだ。俺、あんたのこと応援してるんだよ。あ、席良いか?」
「(かかか魁君と同席いいい⁉ 嘘だろ何万? 何万円払えばこのお礼ができるの? 応援してる? 丹葉さんだって? し、思考が追い付かない……幸せで召されそう)ああ、構わないよ。どうぞ」
頭の中では大混乱と大パーティーを起こしている丹葉だが、表情は至って冷静に斗真に返した。伊達に名探偵とは言われていないのである。
「ニュースで見たぜ。また怪盗に負けたんだってな? そんなにすげーの、エトワールって」
斗真は既にカウンターで受け取っていたコーヒーを飲みながら、その黒い瞳を丹葉に向けた。探るような、楽しんでいるような目つきに、丹葉の名探偵としての推理力と勘は、瞬時に斗真が接触を図ってきた理由を確信した。
「(こ、こいつ、スリルを楽しんでやがる!)」
そう、斗真は怪盗が探偵に接触を図るというこの状況を、存分に楽しんでいたのだった!
「(自分だけが全てを知っているという状況を楽しんでやがるううう! 可愛いいい!)」
だが斗真には残念ながら、全てを知っているのは丹葉の方であった。
だが丹葉は推しのために知っていることを知られてはならない。ここは全力で斗真に乗っかるのが一番であるという判断をした。
つまりは、目の前にいるイケメンを、怪盗エトワールではなく、魁斗真として接する。
そして斗真がこの状況を十二分に楽しめるために、最大限の努力をする、と。
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