第6話 探偵たちは心を隠す

「こうもしてやられるとは……」

「ここまでの人員を動員したのに……」


 海から戻ってきた飯田と、防弾チョッキを外した來羽はがくりと肩を落とす。それを傍目には冷静な、心の中では上機嫌な丹葉が慰めた。


「まあまあ、捕まえられませんでしたが、後一歩のところまでは追い詰められたんです。次は捕まえられますよ」

「丹葉探偵……」


 優しく丹葉に肩を叩かれて、飯田はぐすりと涙ぐむ。來羽も、はあ、とため息を一つ吐いて、何とか悔しい気持ちに折り合いをつけたようだった。


「……まあ、今回は残念な結果に終わりましたが、次は必ず私が怪盗エトワールを捕まえて見せますよ。丹葉さん、勝負は持ち越しですね」

「え? 勝負続けるのか? 引き分けでいいんじゃない?」

「だから引き分けで持ち越しだと言っているんです。そもそも、最初に勝負を持ち掛けたのは貴方ですよ」

「うっ」


 確かに來羽の言う通りだった。適当に言ったこととは言え、言い出したのは丹葉である。勝負という形にしたせいで來羽に火をつけてしまったらしい。

 この調子だと、次のエトワールの現場にも来るかも知れない。飯田だけではなく、來羽までまた誤魔化さないといけないことを思うと、丹葉はその大変さに少々頭が痛くなる思いがした。


「次は必ず私が勝って、貴方に私の言うことを一つ聞いてもらいますから」


 ふん、と自信満々にする來羽。丹葉は疑問に首を傾げた。


「ちなみに、何を命令するつもりなんだ?」

「それはっ……」

「ん?」


 來羽は何やら面食らって顔を赤くした。もごもごと言いにくそうにし、とうとう顔をふいと丹葉から逸らした。


「……私が勝ってから言いますので!」

「そうか(まあ、エトワールを捕まえさせる日は来ないし、知っても知らなくても同じか)」


 來羽の反応とは裏腹に、まるで勝負に乗り気ではない丹葉はドライに頷く。だがそんな丹葉の胸の内を知らない來羽は、ちらりと横目で丹葉を見て、おずおずと、その名を呼んだ。


「……丹葉さんは、」

「なんだ」

「丹葉さんは、私にどんなことを命令するおつもりで……?」

「え、」


 言われて、面食らったのは今度は丹葉の方であった。まるで考えていなかった。当然だ。どちらにも勝者を出さないのが丹葉の目指すところなのだから。

 だが來羽は丹葉の答えを気にしている様で、返答を今か今かと待っている。丹葉は少し考え、口を開いた。


「そうだな……一緒にご飯に行ってもらうとか?」


 思い付きだった。ふと浮かんだことを口に出しただけで、丹葉に他意はない。だが來羽は一瞬止まり、だがすぐにぷるぷると震えて丹葉に怒鳴った。


「馬鹿にしてるんですか!」

「え!」

「そ、そんなの、命令して頂かなくてもいつでもご一緒させて頂きますから!」


 顔を真っ赤にして來羽は丹葉に詰め寄る。丹葉は困惑しながらもそういうものかと頷いた。


「あ、そう?」

「やり直しです!」

「や、やり直し?」

「もっと私が命令されないとやらなさそうなこと考えておいてください!」

「でも、次は君が勝つつもりなんだろう?」

「それとこれとは別ですから!」

「そういうものか?」

「いいですか、次に会うときまでに考えておいてくださいね!」

「はあ、」

「それでは!」


 気の抜けた返事をする丹葉に來羽は言いたいことを言い終えると、さっさと背を向けようとする。丹葉は見送ろうとしたが、思いつきで來羽を呼び止めた。


「來羽君、一緒にご飯行くか?」

「え……」


 來羽は驚きで目を見開く。何をそんなに驚くのか、と丹葉は思う。さっき一緒に行きたいと言ったのは來羽なのではないか、と。

 正確には來羽はいつでも一緒に行くといっただけで行きたいと言ったわけではないのだが、丹葉にとって同じことだった。だがそれは、來羽にとっても、同じだった。


 みるみる來羽の頬が喜びで上がり、行く、と口を開きかけた。が。


「この間飯田警部と飯でもどうかって話してて、さっき今日行こうかってことに」


 この辺に旨い店があるって知り合いの一課の刑事に聞いて。そう続けようとした丹葉の台詞を來羽はすっぱりと断ち切った。


「結構です!」

「あ、そう?」


 きっぱり断られたが特に何の感慨もない丹葉はあっさり頷く。來羽は断ったものの、でも言いにくそうに、ぽつりと言葉を零した。


「……でも、また誘ってください」

「勿論だ」


 にこりと微笑む丹葉に來羽はほっとした顔をして、今度こそ背を向けた。


「じゃあ……」

「あ、待ってくれ」

「もう、何ですか――」


 何度も呼び止められて、來羽は少々鬱陶し気に振り向く。が、思いのほか近くにあった丹葉の顔にびくりと体が固まった。

 丹葉はそんな來羽の反応はお構いなしで、すっと手を出すと來羽の眼鏡を顔から外した。丹葉の指先が來羽の肌に触れて、來羽はぴくりと体を震わす。


「汚れがついてる……俺が押し倒した時かな……ああ、とれた」


 ポケットからハンカチを取り出すと、丹葉は綺麗に眼鏡の汚れを拭きとった。そして呆けている來羽の顔に、また優しく眼鏡をかけてくれる。


「良く見えるか?」


 覗き込むように顔を近づけ、丹葉は來羽の瞳を見る。

 じわじわ、じわじわと、顔、いや、体中に熱が集まった來羽は、ようやく一言だけ言葉を発した。


「……ば」

「ば?」

「ばーかっ!」

「ばっ⁉」

「丹葉さんなんか、丹葉さんなんか……」


 トマトか消火器か來羽か。どれを並べても遜色がないくらいに顔を赤くした來羽は、困惑しきりの丹葉をびしりと指さした。


「次は負けませんからー!」


 わあっと駆け出す來羽。


「一体なんなんだ……?」

「さあ……?」


 今度は誰にも止められることなく小さくなっていく背中を見ながら、丹葉と飯田は首を傾げたのだった。


 さて、駆けだした來羽の心境といえば、


「(丹葉さんかっこよすぎるっ!)」


 であった。


「(あんな、顔が近くに……! ああああ! 何かいい匂いしましたし、肌とかすべすべで、もうとにかく顔が良いいい!)」


 ――そう、來羽は丹葉の大ファンなのである。


 名探偵として有名な丹葉は時々インタビューを受けたり新聞に載ったりするが、來羽はその切り抜きを余すところなく集め、丁寧にコレクションしたりするほどだ。

 丹葉の名探偵としての力量、立ち居振る舞い、そして何よりその顔が好きだった。

 実際に見てみたいと思っていたが、今まではその勇気が出なかった。認識されたくないタイプのオタクだったのだ。


 だが、この間たまたま丹葉を見かけた。

 怪盗エトワールが盗んで消えたばかりらしく、慌ただしく怪盗を追っていなくなる警官達のなかで、丹葉だけが立ち尽くしていた。

 すっかり警官がいなくなった美術館の前で、丹葉は一人泣いていた。赤くなった鼻を啜り、遠くて聞こえなかったが何事か呟くと溜息をつき、一人美術館の中に消えていった。


「……丹葉、帝斗……」


 その後ろ姿を見て、來羽も泣いた。丹葉の気持ちを思うと涙が溢れて止まらなかった。


 名探偵と言われ今も数々の事件を解決している丹葉だが、ことエトワールに関してはまるでダメであった。そのため世間の探偵ファンたちの間では数々の憶測が飛び交っていた。


 実は丹葉とエトワールは仲間なんじゃないか、とか、丹葉の推理力は衰えているんじゃないのか、とか、エトワールが凄すぎて丹葉でももう捕まえられないじゃないのか、等々。

 そういう意見を見るたびに、來羽は何を馬鹿なことを、と思ってきた。だが心のどこかで、どうして逮捕できないんだ、という疑念は高まっていた。

 もしや世間の言うこともあながち間違いではないのか、と。


 だが、一人立ち尽くす丹葉の姿を見て、來羽は自分が不甲斐なくなった。

 丹葉も悔しいに決まっている。天才で、名探偵であるがゆえに、誰にも頼れず、エトワールという凶悪な怪盗に一人で立ち向かっているのだ。

 悔しいのは、辛いのは当然であるはず。なのに私は、その丹葉さんの気持ちを、推しの気持ちをわかってあげられなかった。

 そして、同じ探偵である私だからこそ、推しにできることがあるはずだ、と。


 來羽は、丹葉の隣に立つことを決めた。いや、ことエトワールに関しては丹葉より前に立ち、丹葉の代わりにエトワールを捕まえ、丹葉をエトワールという呪縛から解き放つと、そう決めたのだった。

 そのために警察上層部に在籍している親戚に頼み、今回の事件に組み込んでもらったのだった。


「(エトワールは捕まえられませんでしたが、来て良かった……)」


 今日の現場であった様々なことを思い出し、來羽はほう、と息を吐く。


 緊張して少々口が良くなかったかも知れないが、敵意丸出しの丹葉は新鮮で、威嚇する猫のようで可愛らしかった。

 それに來羽君、と名前を呼ばれることも出来たし、勝負に勝てば言うことを聞かせられる権利も手に入れることが出来た。

 海をバックに月に照らされる丹葉はそれは美しかったし、抱きしめられて、押し倒されて……。


「丹葉さん……」


 來羽は丹葉のぬくもりを思い出し、また熱い息を吐いた。

 まだまだ夢心地の來羽は、周りも見ずに駆け出した結果道に迷ってしまっていることにまだ気づいていない。


 ちなみに、來羽が丹葉に命令したいことは、下の名前で呼び合うこと、である。帝斗さん、類君、と呼び合うのが夢であるのだが、果たしてそれが叶う日は来るのか。

 未来は誰にも分らないのであった。

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