第164話 初めての――

「た、ただいまー」


 お風呂から上がり、緊張とともにリビングの扉をそっと開ける。

 ここは俺の家だけれど、今は梨々花がいるだけでこうも緊張することになろうとは……。


「あ、彰おかえりー! さっぱりできた?」


 対して梨々花は、何も変わらずいつもの梨々花。

 二人きりなことをあまり意識していないのか、楽しそうにスマホで動画を観ている。


「うん、さっぱりできたよ」

「なら良かった! てかさ、ねぇ見て見て! 今ミリアちゃんとツクシちゃんがコラボしてるけど、二人とも言いたい放題でめっちゃウケるよ!」

「ふーん、どれどれ?」


 ミリアちゃんとツクシちゃんというコンビが純粋に気になった俺は、誘われるまま一緒に配信を観る。

 自分自身Vtuberではあるが、同時に俺は生粋のVtuberファン。

 それは梨々花も同じで、二人の軽快なトークに声をあげて笑っている。


 当初は、彼女達DEVIL's LIPは俺達FIVE ELEMENTSの妹分という認知のされ方をしていたが、今ではDEVIL's LIPという箱としての認知度は高まっており、今も配信には一万人を超える視聴者が集まっている。

 それは他でもない、彼女達一人一人が唯一無二の魅力に溢れているからだ。


 今隣にいる梨々花だってそう。

 自前の明るい性格はVtuberとしてはもちろん、大学でも周囲の人を惹きつける魅力に溢れているのだ。

 言ってしまえば、俺なんかよりもよっぽど配信の才能に溢れている梨々花。

 そんな梨々花が、今こうして自分の彼女として隣にいるのだと思うと、やっぱり変な感じがしてくる。


 そんなことを考えていると、俺の視線に気付いた梨々花が顔を上げる。


「どうした?」

「いや、何でもないよ」

「そう? ……何だか、改めて不思議な感じがしてくるなぁ」

「不思議って?」

「その……ずっと応援していた推しと、こうして一緒にいることが、的な?」


 そう言って、照れ臭そうに微笑む梨々花。

 まさかの全く同じことを思っていたのである。

 しかし、俺からしてみれば梨々花こそ光の存在で、そんな梨々花から推しと言われるのは違う気もしてくる。


 しかし、それはこれまで俺がVtuberとして活動してきたことの積み重ね。

 自分自身を否定することは、梨々花を否定することにもなる。


「俺もだよ。俺も今、全く同じこと考えてた」

「え、彰も……?」

「うん、俺にとっても、梨々花が一番の推しだからね」

「なにそれ」


 少し冗談めかして本音を伝えると、梨々花は吹き出すように笑う。


「じゃあ、やっぱり相思相愛的な?」

「そうなるね」

「ふふ、変な感じ!」


 嬉しそうに抱き付いてくる梨々花。

 こうして二人寄り添いながら、一緒に配信を観る時間は幸せに溢れているのであった。


 ◇


「どうする? そろそろ寝る?」


 欠伸を噛み殺す梨々花に声をかける。


「うーん……そうだね、眠たいかも」


 ぐっと伸びをしながら、頷く梨々花。

 それが合図となり、リビングから寝室へ移動することにした。


「すごーい! 最高じゃーん!」


 寝室へ入るなり、ベッドを見つけてダイブした梨々花。

 大の字で寝転がりながら、ボインボインとマットレスの弾力を楽しんでいる。


 一日の中で、最も重要なのは睡眠。

 そう考えている俺は、こっちへ引っ越してきてからはセミダブルサイズの結構良いマットレスを愛用している。


 それは裕福な生まれの梨々花をもってして、違いは一目瞭然だったようだ。

 いや、梨々花だからこそ気付けたのかもしれない。


 まるでテーマパークにでもやってきたかのように、ボインボインし続けている梨々花。


「そうでしょ? そんじょそこいらのマットレスとは違うからね」


 通常の倍以上のコイルが使われているのだ、それはもうボインボインさ。

 自慢のマットレスを誇りながら、俺もベッドに腰掛ける。


 部屋にはテレビもないし物も少ない。

 言ってしまえば、本当に眠るためだけの部屋。


 目覚まし時計のカチカチと刻む音が、やたらとはっきりと聞こえてくる。

 梨々花も満足したのか、目元に腕を置いて横になっている。


「……ねぇ、彰」


 そして呟くように、そっと名前を呼ばれる。


「ん? どうし――」


 振り向いて返事をしようとすると、いきなり掴まれた腕をぐっと引き寄せられる。

 その結果、俺も一緒にベッドの上で横になる。


「……そろそろ、寝よ?」


 耳元で囁かれるその言葉に、胸の鼓動がドキドキと早まっていく――。


 ここには俺と梨々花の二人きり。

 そして今、俺達は付き合っている――。


 だからこれは、付き合う男女におけるステップアップ。

 そう頭の中では理解と期待をしているのに、緊張でどうしていいのか分からなくなってくる。


 しかし、そんな緊張する俺を他所に無言で抱き付いてくる梨々花。

 それが合図となり、そのまま二人でたっぷりと時間をかけながらキスを交わす。


「……電気、消して?」


 その言葉に、俺も覚悟を決めて部屋の電気を消した。

 こうして俺達は、初めての二人きりの夜を過ごすのであった――。

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