第158話 覚悟 ~梨々花視点~

 この数日、わたしは彰の実家で過ごしている。

 東京とは違う長閑な街並み。

 それは最初は新鮮で、慣れてくると落ち着くような、まだ一週間足らずだけれどわたしはこの町が大好きになっていた。


 でもそれはきっと、わたし一人だったら感じ方は違っていたと思う。

 いつもわたしの隣に、彰がいてくれたからこんなにも楽しかったのだ。


 それはもう、疑いようのない事実。

 最初は勢いだけでついてきたけれど、今では本当に来てよかったと思っている。


 彰のご両親とも打ち解けることができたし、妹の凛子ちゃんも素直で良い子だ。

 こんな家族だからこそ、今の彰があるんだなってことはすぐに納得できた。


 そして今日は、いよいよ最終日。

 色んな所に連れて行ってもらったけれど、今日だけは彰の実家でゆっくり過ごそうと申し出たわたしは、今は彰の部屋のベッドの上で漫画を読んでいる。


 部屋の中を見回せば、物の少ないとてもシンプルな部屋。

 今は一人暮らし中だから、元々部屋にあったものは東京の自宅へもっていっているのだろう。

 それでも、元々この部屋には物が少なかったであろうことは、何となく見ていれば分かった。


 そんな、彰がずっと育ってきた環境。

 そこに今、自分がいられることがただただ嬉しい。


「あーあ、明日帰るのかぁ」

「まぁ、配信もあるからね」

「それはそうだけどさぁ……。てか、別にこの部屋でも配信ならできるくない?」


 帰りたくない気持ちで、わたしはついそんな本音を口にしてしまう。

 ここは彰の実家だというのに、わたしの方が帰りたくなくなっているのだからおかしな話だ。


 でも、言われなくても彰の答えがノーであることは分かっていた。

 配信者になってみて分かったことの一つに、公私の切り分けの難しさがある。


 簡潔に言えば、配信しようと思ったら際限なく配信できてしまうから。

 だからこそ彰は、リスナーのみんなに断りを入れつつ、こうしてしっかりと公私を分けたうえで帰省してきているのだ。


 それが分かっているわたしは、言ってみただけでそれ以上は何も言わない。

 でもさっきの言葉は、紛れもないわたしの本心。

 配信も大学も全部投げ出して、ここで生活するのも悪くないとすら思ってしまっているのだから。


 ――まさか自分が、こんな気持ちになるなんてね。


 自分の変わりように、自分でも笑えてきてしまう。

 大学に入学するまでのわたしは、自分で言うのもなんだけれど恋愛には疎い存在だった。


 中学、そして高校で、告白された回数は二桁を超えていると思う。

 でもわたしは、その誰とも付き合うことはなかった。

 友達や部活の時間の方が大事だと思っていたし、恋愛なんかにうつつを抜かす余裕なんてあの頃のわたしにはなかったから。


 でもきっと、今にして思えば本質的な理由は他にあったと思う。

 それはわたし自身、相手に対して何の感情も動かなかったから、その気にはなれなかったのだ。


 だからわたしは、恋愛というものがずっと分からなかった。

 一方的に思いを向けられるばかりで、自分自身がどうしたいのか分からないまま生きてきた。


 でも大学に入学して、わたしの考えは変わっていくこととなる――。


 いつも教室の後ろの席で、一人でパソコンと向き合っている人。

 わたしも最初は、同じ学科のみんなと同じでその程度の認識でしかなかった。


 でもわたしは、次第にそんな彼のことが気になるようになる。

 それは、いつも楽しそうに何やら作業しているからだ。


 顔には疲れの色が出ていても、楽しんで何かに取り組んでいるのが伝わってくる。

 そしてわたしにも、まだ誰にも言っていないVtuberになりたいという夢があった。


 だからわたしは、元々物怖じしない性格なこともあり、彼に――彰に声をかけてみることにしたのだ。

 まさかそれが、わたしの運命をこんなにも大きく変えてしまうだなんて、あの時の自分は本当に思いもしなかったな……。


 気付けば、今ではわたしの全ては彰とともにある。

 それが決してオーバーではなく、すんなりと納得できる自分がいる――。


 彰との他愛のない会話が途絶える中、わたしはそんな出会った当時のことを思い出す。

 彰に目を向ければ、わたしと同じく今も手にした漫画を読んでいる。


 ――もっと傍に、いたいな。


 ずっと同じ部屋で二人きり。

 もう十分密接と呼べる近い距離感。


 でもわたしは、もっと彰の傍にいたいという気持ちでいっぱいになってしまう。

 それはさっき昔のことを思い出したからかもしれないし、それとも今日が最終日だからかもしれない。


 自分でも理由は分からないけれど、そんな理由なんてどうでも良かった。

 今はもっと、彰の近くにいたい……触れ合いたいという気持ちで、胸がいっぱいになってしまっているのだから――。


「……ねぇ、彰の読んでる漫画も面白い?」


 そう声をかけつつ、わたしはベッドから起き上がる。


「……これ? うん、面白いよ」


 顔を上げた彰が、こちらに微笑みかけてくる。

 その姿に私は、また感情が込み上げてくる。


「……へぇ、そうなんだ」


 わたしはゆっくりと近づく。


「どんなの、かな」


 そしてわたしは、彰の背後からそっと漫画を覗き込む。

 彰が一瞬、ピクリと反応したのが分かった。

 そんな反応も愛おしくて、止まれなくなったわたしは思い切って行動に移す。


「こんなにも長い間……二人きり、なんだよ?」


 その言葉とともに、わたしは彰に背後から抱きついた。

 もうこのまま、中途半端な距離感ではいたくないという強い思いとともに――。


 緊張で、手が少し震えてくる。

 この彰の帰省について行くと決めた時から、これはずっと覚悟していたこと。

 でも、いざ向き合ってみるとやっぱり怖いな……。


 すると彰は、そんなわたしの震える手をそっと優しく解いてくる。

 そして後ろを振り向くと、覚悟の籠った表情をわたしへ向けてくる――。


 その表情に、わたしも覚悟を決める。

 これから彰は、大事なことをわたしへ伝えようとしているのが分かったから。


 不安、そして淡い期待――。

 様々な感情が駆け巡りつつも、わたしは勇気を出して彰の目を真っすぐ見返す。

 これから何を言われたとしても、その言葉をしっかりと聞き届ける覚悟とともに――。



「俺は梨々花のことが――大好きだよ」



 そして彰の口から告げられた言葉は、わたしがずっとずっと、待ち望んでいた言葉だった――。

 その言葉を告げられると同時に、わたしは溢れ出る感情とともに自然と涙が溢れ出てしまうのであった――。

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