第125話 過去と現在
「ああ、すまない。ちょっとトイレに行ってくるよ」
実はずっと我慢しててねと、笑いながらトイレへ向かう武。
その結果、この部屋には俺と佐知さんの二人だけが残される。
初対面かつ、さっきは凄い演奏を聴かせてくれた佐知さんと二人きりな状況に、俺は普通に緊張してしまう。
「……ごめんなさいね。武ってマイペースでしょ?」
「あはは、まぁ」
「小さい頃から、ずっとあんななのよ。わたしはいつも、そんな武についていくので精一杯だったわ。今だってそう――」
そう言って佐知さんは微笑むも、その表情にはどこか影があった。
それはきっと、武がマイペースなことだけを言っているのではないのだろう――。
「――ねぇ、彰くんってさ、武とただの友達ってわけじゃないでしょ?」
「えっ!? いや、と、友達ですよ!?」
「あはは、彰くんって分かりやすいのね」
見透かすように、コロコロと笑う佐知さん。
そんな佐知さんを前に、俺は更に取り乱してしまう。
「いや、その、本当にただの友達で!!」
「いいってば、武には言わないから。だって、歳も違うし雰囲気も違うもの。――それに、あの武がこんなにも親しくする人自体、とっても珍しいからね」
「そ、そうなんですか?」
「うん。あの見た目だから、物心ついた頃から武ってすごくモテてきたのよ。それでも武はね、近付いてくる子は誰も寄せ付けなかったの。それどころか、男の子もあまり寄せ付けないで、いつもマイペースに一人でいるタイプだったっていうか」
なるほど……そうだったのか。
武の昔の話を聞いてしまったことに、少し罪悪感を抱きつつも興味はあった。
今ではひょうひょうとしている武だが、学生時代はどうやらそうではなかったようだ。
「その分ね、武はずっと音楽にだけは真っすぐだったわ。そんな武は、いつだってわたしよりずっと先にいるの――」
「ずっと、先に……」
「そう、どれだけ努力しても決して追いつくことのできない、憧れの存在――。そんなスーパーマンが幼馴染なんだもの、わたしは恵まれているのと同時に、不幸でもあると思っているわ」
その言葉の意味は、俺にも分かった。
だって俺自身、最近までずっとメンバーに対して同じ感情を抱いていたから……。
特別な才能に満ち溢れた存在が、すぐ近くにいることによるプレッシャー、劣等感、そして漠然とした焦り――。
比べる必要なんてないとは分かっていても、ふとしたタイミングで自分と比べてしまい、その都度差を痛感してしまう。
それはきっと、見上げる側の人はみんな経験のあることだと思う。
「そんな武が、ここ一年ちょっと前から、音楽と少し距離を取るようになったの……。それが何なのかは分からないけれど、それからの武は目に見えて変わったわ」
「変わった……」
「ええ、マイペースなのに変わりはないんだけどね、一言でいうなら接しやすくなったのよね」
その話しで、なんとなく俺は佐知さんの言いたいことを察した。
「あれ? 二人で何話してるの?」
するとそこへ、トイレから戻った武がやってくる。
「ううん、何でもない。ただの世間話しよ」
「そっか」
慣れた様子で誤魔化す佐知さんに、簡単に受け入れる武。
何となく、二人ともお互いを知っているからこそのやり取りに思えた。
「それじゃあ、もう一度聞くわ。彰くんは、武の何なの?」
そして佐知さんは、改めて武にそう問いかける。
その言葉に対して、武は俺に目配せをしてくる。
だから俺も、そんな武に頷いて応える。
「――彰は、僕の仲間なんだよ」
「仲間?」
「ああ、今やってる活動の、同業者みたいなものだね」
「――なるほど、ね。その活動が何かは、言いたくないのね」
「うん、そうだね。ごめんね」
「まぁいいわ。そのおかげで、今日も最後までいてくれたんだし、武も変わることができたのね」
「あはは、まぁそういうことだね。――僕にとって、彰は本当に大切な存在なんだよ」
佐知さんの言葉に対して、迷いなく答える武。
いきなり大切な存在なんて言葉を言われたことに少し戸惑いつつも、武の表情は嘘を言っている感じではなく、そして佐知さんも納得するように受け入れてくれていた。
「分かったわ。でも武。音楽の方はどうするの?」
「どうするって?」
「あなた、最近は活動も減らしてるでしょ?」
「ああ、うん。そうだね」
「もしかして、このまま――」
「辞めないよ」
「……え?」
「だって僕は、音楽が好きなんだ。音楽なしでは生きていけないぐらいにね」
「それじゃあ――」
「違うよ佐知。だからこそ僕は、今の在り方が正しいと思っているんだ」
そう言って武は、再び俺の方を向く。
「僕は今、凄く楽しいんだ。音楽しかないと思っていた自分の新たな可能性を、大切な仲間のおかげで沢山知ることができているからね」
その言葉とともに、俺に向かってウインクする武。
何より俺自身も同じ気持ちだからこそ、俺もウインクで返した。
「……なるほどね。いいわ、もう何も言わないわ」
すると、納得するように微笑む佐知さんは俺の方を向く。
「じゃあ彰くん、武をよろしくね」
「は、はい!」
「おいおい、佐知は僕の保護者だっけ?」
「うふふ、いいじゃない。そんなことより――」
そう言うと佐知さんは、今度は呆れる武の前に立つ。
「今度は二人で、食事でもいきましょうね?」
「うん、いいよ」
「え? 本当に!?」
「もちろん」
頬を赤らめながら無邪気に喜ぶ佐知さんに、やれやれと微笑む武。
そのやり取りだけで、佐知さんの武に対する気持ちも何となく分かってしまうのであった。
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