第114話 水着

「あった! あそこあそこ!」


 梨々花が指差す先にあるのは、たしかに女性ものの水着を売っている販売店だった。

 その一角には所狭しと水着が並べられており、他にも何人かが買い物しているようだった。


 ――え、俺今からあそこいくの!?


 周りは全て、女性と女性ものの水着。

 そんな場所に、男でただ一人向かわなければならないことに今更気付いた俺は、ようやくそのハードルの高さを理解したのであった……。


「彰?」

「あ、ああ、ごめん」


 不思議そうに首を傾げる梨々花。

 どうやら梨々花的には、俺があそこへ入ることに対して何も思うところはないようだ。


 しかし、梨々花はそうでも他のお客さんはどうか分からない。

 仮に水着を選んでいるところに、男の俺が一人いることで買い辛くなるとか、邪魔になってしまうことはないだろうか……。


 そんな戸惑う俺を他所に、梨々花は迷わずお店へと入っていく。

 だから俺も、テンパりつつもそのあとに続くしかないのであった――。



 ◇



「うーん、どれがいいかなぁ」


 沢山ある水着の中から、梨々花はどれがいいかを悩んでいる。

 色も柄も形も沢山あるようで、この中からどれがいいか見つけるのは確かに至難の業に思えた。


「ねぇ彰、どれがいいかな?」

「ええ、俺ぇ!?」

「いやいや、元々そのために一緒に来て貰ったんでしょ?」


 たしかに、そうだった……。

 俺は深く考えることもなく、水着を買うのに付き合う約束をしたからこそ、今ここにいるのだった……。


 しかし、実際に来てみると全てがアウェーだし、どの水着がいいかなんてとても選べそうにはなかった。


「じゃあさ、これとこれは?」


 すると梨々花は、困惑する俺に見兼ねて水着を二つ手にする。

 そして自分の胸元に交互に当てながら、どちらがいいか聞いてくるのであった。


 ――ど、どっちがいいって、そんなの……。


 俺は脳内で、その二つの水着を着ている姿を想像する。


 一つ目は、黒の胸元にフリルのついたタイプ。

 そしてもう一つは、白地にピンクの花柄模様が施された水着だった。


 雰囲気は違うけれど、どちらも梨々花にはよく似合いそうなデザインだった。


 だからこそ、俺は回答に困ってしまう。

 もしこれで決めるというなら、それには責任が伴ってしまうからだ――。


「もう、それじゃ試着してくるから、実際に着てるの見てどっちが良いか選んでくれる?」


 すると梨々花は、困惑する俺を見兼ねてそんなことを言い出すのであった。


「え、いや、それは……」

「なんて、冗談だよ冗談! 直接着るわけにもいかないし、下着まではみせられないからね」


 戸惑う俺を見て、ごめんごめんと笑う梨々花。


 ああ、なんだそうだったのか……。

 漫画やアニメではよくある試着シーンだが、どうやら現実では直接着るのはNGなのだそうだ。

 いや、他がどうとかは全然知らないけれど……。


「だから、ちゃんと聞かせて欲しいな。これとこれ、どっちがいい?」


 そして梨々花は、改めて俺にどちらが良いかを聞いてくる。

 だから俺は、悩んだ末に思い切って答えを出した。


「……黒、かな」

「ほほう? その心は?」

「俺の中の梨々花のイメージに、より近いから、かな?」


 俺は感じたままを言葉にする。

 なんとなく、その黒い水着の方が僅差でよく似合う気がしたのだ。

 色白な梨々花だからこそ、黒がよく映えるような気がしただけと言えばそれだけなのだが、それでも絶対に似合うと思えた。


「わ、分かった! じゃあ、こっち試着してくるね!」


 すると梨々花は、少し恥ずかしそうにしつつも満足そうに頷くと、その黒い水着の方を手にして試着室へと向かっていった。

 そして中へ入ると、俺に前で待っているように声をかけて試着を始めるのであった。


 俺は物凄く居辛さを感じつつも、言われた通り試着室前で梨々花が試着を終えるのを待つしかなかった。


「ほうほう、なるほどねぇ」


 中からは、そんな梨々花の声が聞こえてくる。


「うん、良いんじゃないかな」


 そして梨々花の、納得するような声が聞こえてくる。

 恐らく試着してみて、本人的にも納得がいったのだろう。


 シャ――。


 これで買い物も無事に終えられるだろうかと安心していると、梨々花の入っている更衣室のカーテンが少しだけ開けられる。


 そしてそのカーテンの隙間から、上半身だけ出す梨々花——。

 その胸元には、先程の黒い水着だけが装着されていた――。



「――どう? 似合うかな?」



 恥ずかしそうに、俺に感想を求めてくる梨々花。


「……うん、似合ってると、思います」


 だから俺も、顔が熱くなるのを感じながらもそう素直に返事をする。


「な、なら良かった! ありがとね!」


 それだけ確認すると、梨々花はまたカーテンの奥に戻って行った。

 そして再び服に着替えた梨々花は、今試着したその水着を買うことに決めたのであった。


「え、本当にそれで大丈夫?」

「あはは、大丈夫だよ。――それとも何? やっぱりどこか変だった?」

「い、いや、よく似合ってたと思い、ます」

「なら、問題ないじゃん?」


 梨々花がそう言うなら、もう俺も何も言うことはなかった。

 こうしてその水着を買った梨々花は、とても満足そうに店をあとにするのであった。


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