第113話 買い物当日

 次の日。

 目を覚ました俺は、部屋のカーテンを開ける。

 外は完全に晴れ渡り、絶好のお出かけ日和だった。


 時間はまだ午前八時。

 今日は梨々花と買い物へ行く約束をしている俺は、それを意識するだけで一気に目が覚めてくる。


 今日は異性の知り合いとして、梨々花の水着を買うのに付き添うこととなっている。

 だから、ただ異性の意見を聞きたいだけだということは分かっているのだが、どうしても意識してしまっている自分がいた。


 こうして女の子に誘われて、一緒に買い物へ行く経験自体がないのだから当たり前だ。

 とは言っても、梨々花とは既に色々と関わっているわけで、ドキドキはするが楽しみの方が勝っていた。


「というか、俺も水着買わないとだよな」


 自慢じゃないが、俺は物心ついてから学校の授業以外で水着を着たことがないのだ。

 だから、まさかこんな風に海へ行くことになるとは思っていなかったため、水着は実家に置いたままとなっている。

 まぁとは言っても、その水着は中学生の時に買ったものだ。

 だからまだ穿けるかも分からないし、そもそもデザインも子供っぽいものだから今は正直着たくない……。


 だから、今日の買い物で買うかどうかはともかく、俺も新しく水着を買わなければならないことに気付いたのであった。


 俺はスマホで水着の画像検索をしながら、歯を磨く。

 それから簡単に朝食を用意すると、今日着る服を決める。


 ――今日は一応、男女で出掛けるんだもんな。


 グレーのTシャツとかは汗染みとか気になるし、白のTシャツに黒のパンツとかでいいかな。

 前に大人買いした夏服の中から、今日のコーディネートを決める。


 そして、あれこれ悩みつつも身支度を全て終わらせて時計を見れば、時間は十時過ぎ。

 待ち合わせは十一時だから、まだ少しだけ早くはあるが俺は家を出ることにした。



 ◇



 渋谷駅へ到着した。

 相変わらずの人だかりで、ハチ公前には今日も多くの人の姿があった。


 こんな人だかりで、無事に出会えるだろうかと以前の俺なら不安になっただろう。

 しかし実際は、場所さえ決めていれば意外と普通に分かるものなのだ。

 そういう余裕があるのも、俺も都会に馴染んで着ている表れなのかなぁと一人で納得しつつ、人だかりの中に溶け込みながら梨々花が来るのを待つことにした。


 とは言っても、ここで一人何もしないというのも退屈なため、俺は耳にイヤホンを装着し、スマホで昨日のリリスの配信アーカイブを観ることにした。


 昨日は雑談配信のようで、リスナーから寄せられた質問にリリスが答えていくという内容だった。

 相変わらずリスナーとのプロレスは面白く、あほピンク呼びも定着している感じだった。

 リリスがしっかり反応して言い返すから、リスナーも面白がってリリスをイジるコメントをしていくことで、配信はずっと笑いに包まれている。

 それはまさしく、こういう配信業としての一つの正解と言えるだろう。

 配信経験のなかった梨々花だが、コミュニケーション能力においてはメンバーの誰よりも高いからこそできる業だった。

 そんなリリスの配信はずっと飽きずに聞いていらるし、何なら配信者として勉強になる部分も多かった。


 トントン――。


 配信に夢中になっていると、突然肩を叩かれる。

 驚いて振り向くと、そこには梨々花の姿があった。


「ごめん、お待たせ!」


 ニッコリと微笑み、待ち合わせ場所へやってきた梨々花。

 俺はその姿に、思わず見惚れてしまう――。


 オフショルダーのトップスに、タイト目のパンツ。

 夏だから露出も多くなっている今日の梨々花の姿に、俺だけでなく周りの人達も見惚れているのが分かった。


 そんな、誰しもが思わず見てしまうような美女。

 そして俺が今配信を聴いていた、愛野リリスでもある梨々花が、こうして俺との待ち合わせにやってきたのだと思うだけで、何とも言い難い喜びが込み上げてくる。


「いや、全然待ってないよ」

「なら良かった! じゃ、行こっか!」


 そう言って、隣に並ぶ梨々花。

 その距離は近く、ふわりと香る柑橘系の香水の良い香りが鼻孔を擽る。


 そんな梨々花の存在をはっきりと意識してしまいながら、俺達は目的地であるお店へと向かうことにした。


「相変わらず、人凄いねー」

「あはは、梨々花はこういうの慣れてると思ったけど」

「え? そんなことないって。というか、こんなのに慣れたくもないよ」


 東京生まれの梨々花も、この人混みにはうんざりしているようだ。

 そしてここでも、梨々花の姿にすれ違う人達からの視線が集まっているのであった。


「視線、凄いなぁ……」


 すると梨々花も、その集まる視線に対してうんざりするようにそう呟く。


「今は、わたしが一緒にいるっての……」


 続けてそう呟くと、梨々花は周りを警戒するように、すっと半歩近付いてくる。

 そして、トンとお互いの肩がぶつかると、梨々花は恥ずかしそうに頬を赤らめるのであった。


「あ、ごめん!」

「い、いや! 大丈夫!」


 その反応に、俺まで恥ずかしくなってきてしまう。

 それから謎の沈黙が生まれつつも、俺達は今日の目的地であるショッピングモールの前へとやってきた。


「着いた! よーし、可愛いの買うぞぉー!」


 嬉しそうに、買い物にやる気を出す梨々花。

 こうして俺達は、さっそく今日の目的である水着を買いにショッピングモールの中へと入った。

 しかし、この時の俺はまだ、これから向かう場所がどういう場所なのか、本質的に理解してはいなかったのであった――。


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