第23話 美容室

「じゃ、わたしこのあとバイトだからじゃーねー!」

「あ、うん。バイバイ」


 金曜日。

 今日の最後の講義が終わると藍沢さんは、そう言って慌てて教室から去って行った。

 そんな藍沢さんの背中を見送ると、俺もこのあと美容室の予約をしているため向かわなければならないことを思い出す。


「……き、桐生くん」


 いざ行くとなると少し気が重いなと思いつつも、席から立ち上がろうとしたところで突然声をかけられる。

 この大学で、俺に話しかけてくる人物なんて藍沢さんぐらいなのだ。

 しかしその声は男の声で、少し驚きながら振り向くとそこには同じ専攻の男二人組の姿があった。


 所謂陽キャという感じではなく、控えめな印象の二人。

 それでも、二人とも髪を金髪に染めており、着ている服も高そうではないが若者がよく着ている感じの服だった。


 そう、高校までと違い、大学には制服は存在しないのだ。

 だからこそ彼らも、大学生になったのをキッカケに所謂イメチェンをしたのだろう。

 まぁそれは個人の自由だ、好きにしたらいい。

 ただ、そんな会話もしたことのない二人が、いきなり俺なんかに声をかけてきたことに驚いた。


「えっと、なにかな……?」

「いや、さ――。桐生くんって、こっち側だと思ってたんだよね」


 こっち側ってなんだ……。

 よく分からないながらも、俺は黙って彼らの話の続きを聞く。


「だけど、どうして藍沢さんと仲良くなれたんだい?」

「そうだよ! 何かモテる秘訣でもあるのかい?」


 ああ、なるほど……。

 彼らは、どうして俺なんかが藍沢さんと仲良くなれたのかを知りたいのだろう。

 だからさっきの、こっち側って言葉の意味も分かった。

 この同じ専攻内でも日陰の存在なのに、どうして藍沢さんのような女性と仲良くなれるのだと言っているのだろうと――。


 ただ、それは俺からしてみても未だに謎なことなのだ。

 キッカケは、たまたま俺がパソコンとVtuberに詳しかったから。


 でも、もうその役目はとっくに果たしているはずだけれど、今日も俺は藍沢さんという美少女と共に授業を受けていたのだ。

 そんな光景を毎日のように見せられては、同類からしてみれば謎が謎を呼んでいるに違いないだろう……。


 だが、藍沢さんとのことを勝手に吹聴したくはないし、彼らには悪いがそれに答える義理もない。

 そのうえで、俺から彼らに言えることは一つだった。


「別に秘訣なんかないよ。たまたまだよ」


 そう、全てはたまたまなのだ。

 だって、俺は何もしていないのだから。


 彼らのように、大学生になったことをキッカケに変わる努力をしているわけでもない、こんな伸びきった髪にセンスのない服を着ているただのモブキャラなのだ。


 だから理由があるとすれば、それは全て藍沢さんの人格のおかげなのだろう。

 だからこそ、俺達の関係において語れるようなことなんて何一つないのだ。


 ――まぁ強いて言うなら、共通の趣味があったわけだけど。


 そのことは、ここでは伏せておくことにした。

 それは俺と藍沢さんの秘密だから。


「それじゃ、俺行くところあるから」


 そして俺は、彼らにそれだけ告げて教室を去る。

 残された彼らは、結局まともな回答を得られなかったことに、何とも言えない表情を浮かべていた。

 けれど、変わろうと努力をしている彼らなら、きっといつか上手く行くんじゃないかなと思うのであった。



 ◇



「お久しぶりですね。いやぁ、また随分と伸びましたねぇ」


 美容室へやってきた俺は、俺の髪を驚きながら触っている担当美容師さんと鏡越しに向き合う。

 ここは、以前ライブのレッスン前に立ち寄った美容室で、行きつけとも呼べないが、こういうのに慣れていない俺でも一応足を運べる唯一の美容室だ。


 高校までは、ずっと実家の近所にある床屋さんを利用していた俺にとって、この美容室という環境は全く慣れることはなかった。


 お洒落な美容師達に、お洒落なお客さん達。

 それに内装もお洒落過ぎて、俺なんかが来るにはあまりにも場違い過ぎて居たたまれなさを感じてしまう……。


 しかしそれでも、俺はみんなに会うためにもお洒落の波に乗らなければならないのだと、今日はそれなりに覚悟を決めてやってきたのである。


「どんな感じにしたいとか、希望はあります?」

「えっと……とりあえず、短くしたいです……」

「そうだね、前みたいにバッサリ行っちゃおうか」

「はい、お願いします……あと、自分なんかがこんなこと言うのは大変烏滸がましいのですが……」


 そう前置きして、俺はめちゃくちゃ緊張しながらも自分のスマホで髪型のイメージを伝え、人生初めての髪型についてのオーダーをした。

 俺なんかが何言ってんだって感じだが、俺も今日初めて会話をした二人のように、変わってみる努力をしてみようと思ったのだ。


 藍沢さんと一緒にいても、もう笑われないようになるためにも――。


 そんな俺からのオーダーを聞いた美容師さんは、鏡越しに微笑んでくれた。


「うん、いいですね! 絶対似合いますよ」

「ほ、本当ですか?」

「もちろん、あとは任せて下さい」


 なんて頼もしいのだろう。

 俺はスマホでイメージを見せながら、拙い説明でお願いしただけなのに、ちゃんと聞き入れてくれてしっかりと応じてくれる美容師さん。


 だからあとは、信頼できるプロに全てお任せしよう。

 こうして俺は、まずはこの野暮ったい髪の毛との決別をするのであった。


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