自我の呪縛を解くために

今回は少し自論について強調のあるお話をしていきます。あくまでも一過性の流れで話していくので読み終えた後は気持ちがどうか重たくならずに受け流していただきたいです。


私の作品に応援コメントを寄せていただく機会が多くなってきていて大変ありがたくもある日々を送れています。次回作の意欲をも掻き立てられる刺激を与えてくださることがあることで、次々と構想も生まれる良い結果があり大変嬉しく感じております。


時に落ち込んだり時に希望を与える励ましの言葉をいただいたりと、何とも体に優しい人間らしい人間の生活が送れているなと実感しています。


できるだけこうはしたくないなと思うことがあります。


時間に追われて自分を追い詰めること。この自我の呪縛は意識を固めてしまう。

いわゆる固定観念を自分の中に創造してしまいがちになることにもなり兼ねないということ。

他者から言われた言葉で自分が考える方向とは真逆な路線に踏み入れ、その頭上にはたくさんのフリーワードが浮遊している状態。

これらに惑わされては本来の自身の概念や価値観に苦味のある影響を与えてしまうこともままなりません。


しかし、よく聞いて考えてみてください。

他者からの言葉、メッセージって場合によっては果たしてどれだけの割合で必要になってくるのだろうかということを。


私は個人が持っている発言の度合いは他者には基本的に与える力や負荷にどれだけかかるか、そこに持っていくまでの試される見えない効力がいつしか合意に決められてしまうことが、その人の持つ力を低減させてしまう恐れもあるのではないかと考えることもあります。


本来はそこまで恐れることもないのですが、攻撃性の強い相手があなたの時間と労力をかけて完成させた作品だったり、それ以外の生活に関わる何かに脅かすことをありうることも時として起こる可能性の出てくるのです。

ここまで話してしまうと強迫性観念が強いんですかと疑うかもしれません。

ただそうともは限らないのです。


そうであってほしくなければ自分自身の発言権も強く出して見せつけてもいいものだと思います。


上手く付き合っていきたいという願いは誰でも抱くものです。

私の周りでも上手く人や物事に付き合っていけないから、結果として手放す人も中には存在します。

最終的にはその方の決定権があるので関わることはしませんが、そこにもしかしたら毒性の強いものもあることもなくはありません。


知見という意識をどれだけ他者よりも持っているか。

その質や量で自身の振り幅も活躍できてくるかをどんどん使いこなしていきたいものもありますよね。


自分の作品は作品。誰のものでもありません。


あなたのオリジナルをたくさん生み出していきましょう。必ず手を添えてくださる方はいらっしゃいますから。

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