相違を楽しむ
あらかじめ伝えておきますが、今回は少し文面が曖昧になっています。
上手く構成しようとしても、その時によって言ってることが脱線していないか?とまとまりがきちんとなっていない事があります。
そうなんです、今回ばかりは半分言い訳めいております。申し訳ないです。
今からこれまでの反復という意味で話をしていきたいと思います。
作品ってジャンル別に書いていく事も楽しみとしてありますが、そこには個々の経験値も必要となってくるのがあります。
いくら言葉や知識が備わっていても、では実際その方がどれくらいの人や物事に関わってきたのかと問われた時に、伝える意識や準備は万端となっていますでしょうか。
ただ100%の自信があったとしても、それなりの意見や評価は返ってきます。
時として言われなくない言葉も受ける事もあります。触れてほしくない部分にもつままれる事だってあります。
では、他者との間に発生する「相違」をどう付き合えばいいか。
標準言語である日本語が正しく使えているかという意識として取り上げてみます。
皆さんの中には声に出した時に出る言葉とスマートフォンやパソコンのキーボードで打つ言葉、手紙など書く時に起こす言葉は全て同じ文章として成り立っている自信、というはありますか。
これらは時と場合によっては相手に伝える時の正しい日本語にズレが出てきます。
ただそれはごく一般的な出来事なので、特別公の場で提出する文面を必要とされる事以外は、堅苦しい言葉遣いはあまり使われる事はないかと思われます。
こうして文を起こして綴っている私でさえ、きちんとした文章の書き方ができているかといえば、そうでもないからです。
どんなに下手な日本語になったとしても、できるならどこかで懸命さが伝われば相手にも理解してくれると信じたいものです。
世の中を甘く見ているわけではありません。
稚拙な言葉遣いや表現は受け入れられないこともあるし、個人としても必要性がない方もいらっしゃいます。
しかし、よく考えてみてください。
書きたくても「書けない」人達だって大勢います。わずかな執筆でさえ、これは己のポリシーだと表現者として伝えようとする人もいるんです。
それから比較するとどうでしょう。
今こうして綴っている私も含めて、これを読んでいられる時間のある方も、そこに余裕って言う言葉が浮かんできませんか?
余裕があるって実は凄く恵まれている事なんです。
いかがですか、「相違」についてご自身も生じた時に感じる心情。
私ばかりではない、誰もが思い当たる相違といかに付き合ってそれを踏まえて楽しみとして置き換えて執筆をしていく、おかしくもある面白さ。
え?言っている意味が分からなかったですか?
人が持つ価値観の相違、楽しくないですか?
今回のミヤマさんは"何か"が違いますね。
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